京都五山のさらにその上。最高位に位置する南禅寺。臨済宗南禅寺派の大本山。、もとは 亀山天皇が造営した離宮。足利の時代、 足利尊氏・義満 ともに禅宗の高名な僧侶 夢窓疎石に帰依していたため 五山第一の地位を維持し 義満の時代に 五山之上 とされ 別格になる。以後 幾度となく火災の被害にあうものの 徳川家康の時代に 息を吹き返し 隆盛を誇る。 やはり 抜き出た僧侶 以心崇伝が 家康の信頼をえ 強大な権力をほこる。
それがゆえに 幕府そのものであった南禅寺は 明治政府により 迫害をうけることになる。 今では観光名所となっている疎水路は境内を分断するよう建設されているし、国宝の方丈は 一時期 精神を病んだ人の収容所に使用されていたそうだ。
宗教と政治は いつの時代も きりはなすことができないもののようだ。
栄枯盛衰を 見守ってきた巨大な三門をみあげて 遠い昔におもいをはせるのも ときには いいかもですね。
それがゆえに 幕府そのものであった南禅寺は 明治政府により 迫害をうけることになる。 今では観光名所となっている疎水路は境内を分断するよう建設されているし、国宝の方丈は 一時期 精神を病んだ人の収容所に使用されていたそうだ。
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