スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

平原正城「母を奉じて嵐山に遊ぶ」(修神会令和6年春季吟道大会)

2024-05-25 09:00:00 | 平原正城


令和6年4月13日(土)に神奈川県横浜市青葉区の青葉公会堂で
公益社団法人日本吟道学院公認修神会(会長尾辻龍樟)春季吟道大会が
開催されました。
 
今回の吟詠は、平原正城さんの「母を奉じて嵐山に遊ぶ 籟山陽」
紹介します。
詩文

母を奉じて嵐山に遊ぶ  籟山陽

嵐山到らざること 巳に五年
万株の花木 倍鮮姸
最も忻ぶ 母と枕を共にし
連夜香雲 暖かき処に眠る

平原正城「母を奉じて嵐山に遊ぶ」(修神会令和6年春季吟道大会)

(ブログ拡散用)
平原正城「母を奉じて嵐山②遊ぶ」(修神会令和6年春季吟道大会)
動画リンク
https://youtu.be/s2wvNrUtKdc

最後まで、お聴き頂きありがとうございました。     
ご感想をこのブログにお待ちします。





チェックが完了しました。問題は検出されませんでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本龍虔さん「山中の月 藪孤山」(令和6年春季吟道大会)

2024-05-18 09:00:00 | 修神会大会2019(R1)年以降


令和6年4月13日(土)に神奈川県横浜市青葉区の青葉公会堂で
公益社団法人日本吟道学院公認修神会(会長尾辻龍樟)春季吟道大会が
開催されました。
 
今回の吟詠は、山本村龍虔さんの「山中の月 藪孤山」
紹介します。
詩文
山中の月 藪孤山

驚き見る 東山 山又山
山南 山北 幾重の山
山路 行き 尽くせど 山は尽きず
山月 山より出でて 又山に入る 

どうぞ視聴してください

山本龍虔さん「山中の月 藪孤山」(令和6年春季吟道大会)

(ブログ拡散用)
山本龍虔さん「山中の月 藪孤山」(令和6年春季吟道大会)
動画リンク
https://youtu.be/ol7xLWUmZ1k

最後まで、お聴き頂きありがとうございました。     
ご感想をこのブログにお待ちします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学友C君(三重県K市在住)が亡くなった・・・

2024-05-11 09:00:00 | 哀悼吟詠
三重県花(ハナショウブ)

三重県K市在住の学友C君が亡くなった・・。大学時代から60年の付き合いだった。奥さんから連絡頂いた時から涙が止まらない・・・。今週のブログも筆が進まない・・。今回は私の愛読書「歎異抄」から親鸞の師匠法然上人の和歌「つきかげの」を修練した時の吟詠を、、(昨年の春・秋詩吟大会では彼を励ます吟詠を、今年の春季大会では彼を想い、一生懸命吟じた。ただ今は吟じられない、2年程前に修練していた時の吟詠を、、、、)

和歌「つきかげの 法然」
  月影の至らぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ

この句は、毎月親鸞談義をしていた会社同僚から聞いていたものです。
この句を自分のものにするには何回も読み下さなければと思っています。
修練続けて、この句の境地になったら、改めて吟詠をC君に捧げたい。
吟道範典には模範吟がありません、自分で吟譜をつけ吟じました。

    和歌 「つきかげの 法然」
  
月影の至らぬ里はなけれども 
 ながむる人の心にぞすむ

この詩の心(私の気持ち)は、仏様は全ての人々に手を差し伸べてくれますが、
自分自身が心から「南無阿弥陀仏」を唱える気持ちがあってこそ、その慈悲の心が
解ろうというものです。だから他力本願の念仏が大事・必要、と理解しています。でもまだまだ未熟です。
「スマート詩吟は面白い」そして「福祉吟詠は楽しい」法然和歌「つきかげの」

 以上です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

障害者に関わる本を再読しました

2024-05-04 09:00:00 | 障害者
私は脳卒中後遺症として左片麻痺の身体障害者として10年超になります。
当時は元の健常者に戻りたいと、読書の範囲はリハビリ関連の本が多くありました。しかし、障害理解を学ぶ内にその範囲は障害に関わる社会の考え方の作品に読書の範囲が変わっていきました。それで私の本棚にあった本を適当に手に取り、再度読み返してみました。その中から心の隅に残った文面を2,3紹介します。

(1)「テオの「ありがとう」ノート」(坂田雪子訳、2016年3月、PHP研究所発行)

10数年間車いすで生活している上、障害者施設で暮らして居る
テオ少年の一大決心したこと・・・・・・・。

「ある日テオは[ありがとう]、「すみません」を言うのをやめることにした。何か頼むたびに、いちいちお礼を言うのに、うんざりしたからだ。でも、これはそうかんたんなことじゃない。」



(2)「わたしが障害者じゃなくなる日」(海老原宏美、2019年6月、旬報社)

生まれつき脊髄性筋萎縮症の病気にかかっている彼女が
30才代前半で著したこと・・・・・・。

わたしは重度障害者と呼ばれています。重い、障害のある、人。
確かにそうかもしれません。
でもね、じつは、わたしに障害があるのは、あなたのせいなのです。
そう言ったら、おどろきますか?
それはそうだよね。あなたはきっと私のことを知らない。私もあなたのことを知らない。なのに、自分のせいだなんて。
でもね、本当にそうかもしれないんだよ。


(3)日々是好日・闘病記Ⅳ(2013年12月、文芸社)

文芸社が募集した闘病に関わるエッセイ集の帯に記載されている一文に少し付記して・・・・・(実は、このブログ作者が入選した作品の中の一文です)

健常時何の制限も無い活動から真逆の別世界に落ち込んだ訳であるが、私は障害者になって思うことは健常時のままだったら既存の枠を出て自分から別世界に対し「相手の悩みを聞き気持ちを和らげてあげる」ことは多分無かったと思う。身体のどこか一つ不自由があるだけで他人への優しさ・思いやりがこれ程変わるものかということを肌身に感じ、私自身が逆に助けられていることで受容・回復につながっていると思う。

以上それぞれ単行本の中で気になるところを著しました。気になったところは、何故なのだ、本心は・・・?を明らかにする為に読み進めました。

今回は詩吟から離れた内容でした。次回またお会いしましょう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする