3ケ月が退院目標だったので「1ケ月後に病室内フリー、2ケ月後に病棟内フリー、そして2.5ケ月後に病院内フリーを目標にしましょう!!その時には少しでも走れる様になりましょう!!」と共有できた。正にサラリーマン現役時代の目標達成システムの実行と同一である。これが訓練する励みになったことは未だ会社勤めに未練を持っている様だ。歩くことも出来ない段階で「走れる様に!!」とはなんと素晴らしい目標であることかと心が昂った。この様な目標が出来ただけであるが、何だか3ケ月後は健常時の自分に戻っている錯覚を感じた。映画「博士の愛した公式」を妻と一緒に見たことがある。寺尾聡演じる高次脳機能障害となった博士の「あるがまま」の真意が自分の障害と重ね合わせることで解った気がした。リハビリ専門病院への転院が1月末ということもあり、妻が「自宅の庭に咲いた水仙の花ですよ!!」と言って花瓶に挿してくれた。妻と初めてのデートは約40年前の下田爪木崎の水仙畑だった。自宅の庭に水仙があったことなど今迄気付くことも無かったことと私の置かれた現状が全て重なり、リハビリ目標で前途に希望を感じながらも夜中に独りで複雑な涙を流した。
リハビリ専門病院に転院して予定通り目標を達成していた約1ケ月後、東日本大震災の衝撃を受けた。津波にのみこまれる人々・家屋、原子炉の水素爆発、放射能汚染など次々に襲いくる破滅的事故に対し、病院から一歩も出られない私は何も出来ない自分がとても悲しかった。お見舞い客の言動が変わり、その悲惨さに対して私の不幸など比べ物にならないほど小さいと慰めてくれた。私は「所詮それらを比較する方がおかしい」と相変わらず最高の悲劇者であると反論していた。
次号に続く