昨日から続きます。
私は会合に参加する度に「私に3分間詩吟をさせて下さい」と言って
了承が得られたらその場に相応しい吟を詠じることにしている。
吟道範典には吟譜と同時に音譜・アクセントが附記されているので、
一度声調を会得すれば、殆どの吟に対応できる様になり面白いのである。
だから詩吟は気嫌いせずに一段階段を上りさえすれば
その段差はわずか一段だけど遠くまで見通せるステージとなる。
「詩吟とは何ですか?」という質問に答えるつもりで書き連ねてきた本編も終りに近づいてきた。
「何の為に詩吟しているの?」という問いには、私は吟を通して「感動を与えたい」と考えているが、未だ実現していない。
私が詩吟に満足感を得ながらも、最初から何となく観客との隔たりを感じていた。
共感が得られていなかった。私は言葉がはっきりと聴き手(観客)に伝わっていないと思った。
素晴らしい感動ある詩を、吟を通じて伝え様としているのに、
言葉の難解さがあるのかもしれないが、伝えきれていないと思った。
それが隔たりである。
習いたてに始めた「川中島」は、「一句七言」で、「(2字・2字・3字)・・・構成され、節調子は、「(静・静・動)・・・」と続いている。
この吟情を想い、その風景の中にたたずんでいる気分になるまで詩文を覚えてしまうと、
気分がますます高まり、自分が謙信になって、信玄に刃を向けた気になるから是非体感して欲しい。
そのような感動を与えたいのである。
子供の頃夢中になったことを思い出す。
田舎の故郷で、近くの広場にかみしばい屋が拍子木を叩きながらやってきたことを思い出す。
かみしばい屋が恐ろしい場面で声を荒げると私たちは息をのんだ。
危機を脱すると私たちはほっと胸をなでおろした。
語り手と聞き手はその両者の呼吸で、伝え・受け止め同じ場の空気を共感していた。
そのような共感を詩吟に求めてきたわけである。
是非一緒に好きな詩文で共感しませんか。
皆様のご参加をお待ちしています。
この38回でこのシリーズはオシマイです。
約2ヶ月弱お付き合い頂きありがとうございました。
(指方龍順)これでオシマイ。おわり。