愛読作家の一人としてその作品を読み継いできた。ネット情報で作品一覧をチェックしていて、本書は未読だと気づいた。それで本書を遅ればせながら読み終えた。
奥書に、2018年11月に第1刷とある。著者は2017年12月に逝去した。残念でならない。本書は、ほぼ1年後に刊行されていたことになる。
本書はエッセイを主体にしながら、対談ほかを組み合わせて編集されている。
著者のエッセイ集を読み継いできて、そのエッセイの端々に著者の歴史観、創作にあたっての立ち位置と思い、自作からの気づきが読み取れる。つい、ナルホドと思いながらエッセイを読み進めた。本書もそうだった。エッセイと対談などから、著者の作家としての視点を著者自身の言葉により知ることができるという副産物があり、興味一入である。
全体の構成をまずご紹介しよう。4部構成になっている。
< 旅のはじめに 時代暗雲 詩人の出番 >
この一文が、通常の「はじめに」の代わりになっている。「旅に出ようと思った。遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ」という書き出しから始まる。小倉(北九州市)への歴史紀行文である。
この一文に、早くも著者の作家の視点が明確に記されている。
地方をめぐり歴史にふれてみたいという著者は、「勝者ではなく敗者、あるいは脇役や端役の視線で歴史を見たい。歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を歩きたかった」(p10)と記す。それが著者の作品につながっている。
著者は晩年の平成の時代をとらえ「近頃の世の中の流れを見ていると頭上に暗雲がかかる思いがするし、今にも降りそうな雨の匂いもかいでいる」(p12)と危機感を表明する。そして、時代を詠う詩人が求められている時代だと語る。「詩を読み、人の心が動くとき、世界が変わる。今は、そんな詩人が求められている時代だ」(p12)と。
< 第Ⅰ部 西国を歩く >
葉室麟さんの歴史紀行文をまとめたもの。朝日新聞(西部本社版)に2015年4月11日~2018年3月10日の期間、「曙光を旅する」連載のエッセイである。著者が生前に記したエッセイの一部はこの連載の終幕部分で死後に発表されたことがわかる。
「旅のはじめに」は、この歴史紀行の第一回なのだろう。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のファンだったという葉室麟さんは、「曙光を旅する」というこの歴史紀行を書き続けていきたいという夢があったのではないか。司馬さんが歩き訪れた地を、葉室さんにも歩いてもらい、敗者・脇役の視点で歴史エッセイをもっと書いて欲しかった。そう思う。
この連載では、福岡、柳川、若松(福岡県)、臼杵・日田(大分県)、名護屋・佐賀(佐賀県)、長崎、鹿児島・奄美(鹿児島県)、小天(熊本県)、飫肥(宮崎県)、下関(山口県)、沖縄、京都が歴史紀行として取り上げられている。
著者がこのエッセイ集で思いを馳せている内容を人物名で捉えると、大友宗麟、沙也可、司祭ロドリゴ、広瀬淡窓、西郷隆永(隆盛)、坂本龍馬、木戸孝允、鍋島閑叟(直正)、佐野常民、夏目漱石、宮崎滔天とその兄弟、金子堅太郎、小林寿太郎、北原白秋、島村速雄、火野葦平、丸太和男、青來有一、島尾敏雄、古川薫、守護大名大内氏、高嶺朝一、大城立裕などである。
著者の歴史観の一端と思索の広がりを知り、感じるとともに、初めて知る人物名もかなりあり、目を開かれる思いがした。敗者・脇役というフィルターを通して歴史に思いを馳せる著者の姿勢が見えてくる。
この第Ⅰ部で本書のページ数の半ばとなる。
< 第Ⅱ部 先人を訪ねて >
これも元は上記の新聞連載の一環のようである。一部、書き下ろしも含まれている。
内容的にこちらは著者が尊敬する先人を訪れた時の内容をエッセイにまとめている。
筑豊(大分県)の上野朱(アカシ)さん(長男)を訪ねて、故上野英信さんについて語る。中津(大分県)の松下竜一さん、熊本の渡辺京二さん、土呂久(宮崎県)の川原一之さんとの対話がまとめられている。著者がどういう先人から何を学んだかが伝わってくる。
ここに、対談「小説世界 九州の地から」が収録されている。2015年の直木賞作家東山彰良さんとの対談。奇しくも大学の先輩後輩の関係になるそうだが、「いま九州で書くこと」について、語り合っている。ここに葉室麟の作家意識が語られている。以下を抜き出してみる。
*僕は歴史を地方の視点、敗者の視点から捉えたいと考えているんです。 p169
*自分が感じていないことは書けませんから、小説とは、うそをつけないものかもしれません。 p172
*僕は国家や社会への帰属意識は必ずしも持たなくていいと思っています。自分が生育してきたなかで、大事だな、信じられるなと感じたものがあれば、それがよりどころとなる。 p173
*その人が今まで生きてきた実感として、何を美しいと感じ、何を大事だと思うのか、その感性から逃げないことが何より大切だと思います。 p173
どういう文脈で語られたものかは、この対談をお読みいただきたい。
<第Ⅲ部 苦難の先に>
2016年4月、熊本県益城町を震源とした震度7の地震に関連したエッセイが2つ。熊本を襲った震度7の大地震を背景にしながら、熊本藩出身で明治憲法の起草者となった井上毅(コワシ)を語るエッセイ。秋月(福岡県)の歴史を振り返りつつ、豪雨被害からの復旧を願うエッセイ。4つのエッセイが収録されている。
自然災害における被災者の人々への著者の悲痛な思いが伝わってくる。
< 第Ⅳ部 曙光を探して >
2017年の春先に、「曙光を旅する」連鎖開始から2年目の節目に合わせて行われたインタビューの内容が収録されている。結果的に、葉室麟さん最晩年の作家としての抱負が語られている。「『司馬さんの先』私たちの役目」というタイトルになっている。
勿論、ここには作者自身の思い、作者のスタンスが表出されている。インタビューの文脈の中で、葉室麟さんの言葉のニュアンスなどを味わっていただく必要があるが、覚書を兼ね、私なりにその発言を抽出して見る。
*「人生は挫折したところから始まる」が、私の小説のテーマ。 p206
*50歳を過ぎて作家デビューするまでに人生の経験を積み、・・・・・経験の数が私の強みです。 p206
*歴史小説は、自分に似た人を歴史の中に探して書きます。
自分とつながる人から見る方が、歴史がよく見える気がします。 p207
*(『大獄 西郷青嵐賦』『蝶のゆくへ』)その2作品では、私なりの明治維新論を、近代という歴史そのものを描きたいと考えて書いています。 p208
*九州・山口・沖縄は、現代に至るまでの日本を考える材料がそろっています。 p208
*私は地方記者出身であり、発想も地方記者そのもの。地方が大事で、そこに寄り添っていきたいと根っから思っています。 p209
第Ⅳ部の最後であり、本書の末尾として、「葉室メモ」が収録されている。
「連載を始めるにあたってのおおざっぱなメモです」という一行から始まる。「曙光を旅する」の新聞連載の準備中に葉室さんから担当記者に発信されたメールだという。
編集者の前書きが付いていて、そこに次の文がある「単なる『メモ』にはとどまらない、日本の歴史に対する深い省察が込められていた。『葉室史観』の一端を示す、その内容をここに紹介する」(p204) と。
葉室麟さんの人柄と連載に取り組む意欲・夢などが伝わってくる。葉室ファンには是非読んでほしいと思う「葉室メモ」だ。司馬遼太郎さんとの問題意識の違いも表明されている。
次の箇所だけご紹介しておきたい。
「歴史の大きな部分ではなく、小さな部分を見つめることで、日本と日本人を知りたい。 あえて言えば、自分たちが忘れている歴史を思い出したいのです」 p214
なお、各所に、「曙光を旅する」連鎖との関連で、著者と関わりを持った人々による葉室麟さんへのメッセージも載っている。著者を知るのに有益なメッセージである。
せめて、あと10年、葉室史観を書作品として書き続けて欲しかった。噫、残念だ。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『読書の森で寝転んで』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<葉室 麟>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 70冊+5冊
奥書に、2018年11月に第1刷とある。著者は2017年12月に逝去した。残念でならない。本書は、ほぼ1年後に刊行されていたことになる。
本書はエッセイを主体にしながら、対談ほかを組み合わせて編集されている。
著者のエッセイ集を読み継いできて、そのエッセイの端々に著者の歴史観、創作にあたっての立ち位置と思い、自作からの気づきが読み取れる。つい、ナルホドと思いながらエッセイを読み進めた。本書もそうだった。エッセイと対談などから、著者の作家としての視点を著者自身の言葉により知ることができるという副産物があり、興味一入である。
全体の構成をまずご紹介しよう。4部構成になっている。
< 旅のはじめに 時代暗雲 詩人の出番 >
この一文が、通常の「はじめに」の代わりになっている。「旅に出ようと思った。遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ」という書き出しから始まる。小倉(北九州市)への歴史紀行文である。
この一文に、早くも著者の作家の視点が明確に記されている。
地方をめぐり歴史にふれてみたいという著者は、「勝者ではなく敗者、あるいは脇役や端役の視線で歴史を見たい。歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を歩きたかった」(p10)と記す。それが著者の作品につながっている。
著者は晩年の平成の時代をとらえ「近頃の世の中の流れを見ていると頭上に暗雲がかかる思いがするし、今にも降りそうな雨の匂いもかいでいる」(p12)と危機感を表明する。そして、時代を詠う詩人が求められている時代だと語る。「詩を読み、人の心が動くとき、世界が変わる。今は、そんな詩人が求められている時代だ」(p12)と。
< 第Ⅰ部 西国を歩く >
葉室麟さんの歴史紀行文をまとめたもの。朝日新聞(西部本社版)に2015年4月11日~2018年3月10日の期間、「曙光を旅する」連載のエッセイである。著者が生前に記したエッセイの一部はこの連載の終幕部分で死後に発表されたことがわかる。
「旅のはじめに」は、この歴史紀行の第一回なのだろう。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のファンだったという葉室麟さんは、「曙光を旅する」というこの歴史紀行を書き続けていきたいという夢があったのではないか。司馬さんが歩き訪れた地を、葉室さんにも歩いてもらい、敗者・脇役の視点で歴史エッセイをもっと書いて欲しかった。そう思う。
この連載では、福岡、柳川、若松(福岡県)、臼杵・日田(大分県)、名護屋・佐賀(佐賀県)、長崎、鹿児島・奄美(鹿児島県)、小天(熊本県)、飫肥(宮崎県)、下関(山口県)、沖縄、京都が歴史紀行として取り上げられている。
著者がこのエッセイ集で思いを馳せている内容を人物名で捉えると、大友宗麟、沙也可、司祭ロドリゴ、広瀬淡窓、西郷隆永(隆盛)、坂本龍馬、木戸孝允、鍋島閑叟(直正)、佐野常民、夏目漱石、宮崎滔天とその兄弟、金子堅太郎、小林寿太郎、北原白秋、島村速雄、火野葦平、丸太和男、青來有一、島尾敏雄、古川薫、守護大名大内氏、高嶺朝一、大城立裕などである。
著者の歴史観の一端と思索の広がりを知り、感じるとともに、初めて知る人物名もかなりあり、目を開かれる思いがした。敗者・脇役というフィルターを通して歴史に思いを馳せる著者の姿勢が見えてくる。
この第Ⅰ部で本書のページ数の半ばとなる。
< 第Ⅱ部 先人を訪ねて >
これも元は上記の新聞連載の一環のようである。一部、書き下ろしも含まれている。
内容的にこちらは著者が尊敬する先人を訪れた時の内容をエッセイにまとめている。
筑豊(大分県)の上野朱(アカシ)さん(長男)を訪ねて、故上野英信さんについて語る。中津(大分県)の松下竜一さん、熊本の渡辺京二さん、土呂久(宮崎県)の川原一之さんとの対話がまとめられている。著者がどういう先人から何を学んだかが伝わってくる。
ここに、対談「小説世界 九州の地から」が収録されている。2015年の直木賞作家東山彰良さんとの対談。奇しくも大学の先輩後輩の関係になるそうだが、「いま九州で書くこと」について、語り合っている。ここに葉室麟の作家意識が語られている。以下を抜き出してみる。
*僕は歴史を地方の視点、敗者の視点から捉えたいと考えているんです。 p169
*自分が感じていないことは書けませんから、小説とは、うそをつけないものかもしれません。 p172
*僕は国家や社会への帰属意識は必ずしも持たなくていいと思っています。自分が生育してきたなかで、大事だな、信じられるなと感じたものがあれば、それがよりどころとなる。 p173
*その人が今まで生きてきた実感として、何を美しいと感じ、何を大事だと思うのか、その感性から逃げないことが何より大切だと思います。 p173
どういう文脈で語られたものかは、この対談をお読みいただきたい。
<第Ⅲ部 苦難の先に>
2016年4月、熊本県益城町を震源とした震度7の地震に関連したエッセイが2つ。熊本を襲った震度7の大地震を背景にしながら、熊本藩出身で明治憲法の起草者となった井上毅(コワシ)を語るエッセイ。秋月(福岡県)の歴史を振り返りつつ、豪雨被害からの復旧を願うエッセイ。4つのエッセイが収録されている。
自然災害における被災者の人々への著者の悲痛な思いが伝わってくる。
< 第Ⅳ部 曙光を探して >
2017年の春先に、「曙光を旅する」連鎖開始から2年目の節目に合わせて行われたインタビューの内容が収録されている。結果的に、葉室麟さん最晩年の作家としての抱負が語られている。「『司馬さんの先』私たちの役目」というタイトルになっている。
勿論、ここには作者自身の思い、作者のスタンスが表出されている。インタビューの文脈の中で、葉室麟さんの言葉のニュアンスなどを味わっていただく必要があるが、覚書を兼ね、私なりにその発言を抽出して見る。
*「人生は挫折したところから始まる」が、私の小説のテーマ。 p206
*50歳を過ぎて作家デビューするまでに人生の経験を積み、・・・・・経験の数が私の強みです。 p206
*歴史小説は、自分に似た人を歴史の中に探して書きます。
自分とつながる人から見る方が、歴史がよく見える気がします。 p207
*(『大獄 西郷青嵐賦』『蝶のゆくへ』)その2作品では、私なりの明治維新論を、近代という歴史そのものを描きたいと考えて書いています。 p208
*九州・山口・沖縄は、現代に至るまでの日本を考える材料がそろっています。 p208
*私は地方記者出身であり、発想も地方記者そのもの。地方が大事で、そこに寄り添っていきたいと根っから思っています。 p209
第Ⅳ部の最後であり、本書の末尾として、「葉室メモ」が収録されている。
「連載を始めるにあたってのおおざっぱなメモです」という一行から始まる。「曙光を旅する」の新聞連載の準備中に葉室さんから担当記者に発信されたメールだという。
編集者の前書きが付いていて、そこに次の文がある「単なる『メモ』にはとどまらない、日本の歴史に対する深い省察が込められていた。『葉室史観』の一端を示す、その内容をここに紹介する」(p204) と。
葉室麟さんの人柄と連載に取り組む意欲・夢などが伝わってくる。葉室ファンには是非読んでほしいと思う「葉室メモ」だ。司馬遼太郎さんとの問題意識の違いも表明されている。
次の箇所だけご紹介しておきたい。
「歴史の大きな部分ではなく、小さな部分を見つめることで、日本と日本人を知りたい。 あえて言えば、自分たちが忘れている歴史を思い出したいのです」 p214
なお、各所に、「曙光を旅する」連鎖との関連で、著者と関わりを持った人々による葉室麟さんへのメッセージも載っている。著者を知るのに有益なメッセージである。
せめて、あと10年、葉室史観を書作品として書き続けて欲しかった。噫、残念だ。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『読書の森で寝転んで』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<葉室 麟>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 70冊+5冊