遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『硝子の塔の殺人』  知念実希人   実業之日本社

2023-11-14 20:33:59 | 諸作家作品
 たまたま、新聞広告で眼に止まり、このミステリー小説を読んでみる気になった。私にとっては初作家作品となる。時折、今まで読んだこと無い作家の作品を一度は読んでみようと試みている。その一冊。
 本書は、当初「アップルブックス」(2021年6月~7月)に連載、配信されたものに加筆、修正されて、2021年8月に単行本が刊行された。

 本書末尾に載る島田荘司著「『硝子の塔の殺人』刊行に寄せて」と本文の記述を参照すると、本作品は、1980年代後半から1990年代前半にかけて島田荘司、綾辻行人、法月綸太郎、有栖川有栖などが生み出してきた新本格ミステリーと称されるミステリー小説の系譜に連なる作品のようだ。

 長野県北アルプス南部の蝶ヶ岳中腹という山奥に建つ円錐状の硝子の尖塔。その硝子館がこのミステリー小説の舞台となる。硝子館の所有者・主人は神津島太郎。硝子館の主人を含めてこのストーリーに登場するのは総計10人。
 冬期の山奥に孤立した硝子館の主人に招待されて人々が硝子館に集合する。連続して3人がそれぞれ密室状態の空間で殺される事件が発生する。密室型連続殺人事件である。犯人はそこに集合した人々の中に居るはずだというミステリー。事件の謎解きが終わるまでの4日間の経緯が描かれる。

 著者はストーリーの中心人物、一条遊馬に「昔からミステリ小説を読むことが好きだった。特に本格ミステリと呼ばれる、幻想的なまでに不可能な謎を、探偵役が論理的に解き明かしていく物語が」(p11)と本格的ミステリの意味を語らせている。

 総計10人の登場人物は癖のある人々が多い。この円錐形の11階建て硝子館には主人の部屋を含めて部屋は10室あり、壱から拾まで漢字で番号が振られている。最上階は展望室であり、主人のコレクション収蔵庫になっている。地階は発電室・冷凍室・倉庫・メインキッチンが配置されている。

 まず、登場人物を簡略にご紹介しよう。( )内は硝子館内の部屋番号であり、10階から2階まで、壱から拾の番号の部屋がある。2階だけが2室(玖、拾)となる。

神津島太郎(壱): 舘の主人。数年前に退任するまでは帝都大学生命工学科の教授。
          遺伝子治療の歴史を変えた画期的な製品、トライデントを開発し
          た。毎年数十億の特許使用料を手に入れる富豪になった。
          神津島は、「この硝子館は、トライデントを細部まで完璧に再現
          して私が作らせた」(p36)と一条遊馬に話している。
          本格的ミステリに惹かれ、自分でもミステリ小説を書く。私は綾
          辻行人になりたかったとも語る。11階の展望室に世界中からミス
          テリ小説絡みの希少品をコレクションしている。重度のミステリ
          フリークにして世界有数のコレクターである。
          一方、潮田製薬のALS(筋萎縮性側索硬化症)関連新薬差し止
          めの訴訟を起こしていた。トライデントの特許への侵害だと。
          
老田真三(拾) : 執事。住み込み。

酒泉大樹(参) : 料理人。神津島の依頼を受けた時にだけ出張してくる。
          料理費用の予算制限がないので、ここでの仕事を気に入っている。          一方で、硝子館が建築基準法とか火災予防条例とかを完全に無視
          していることを知っていて、ここでの料理作業に恐怖感も持つ。
          メイドの巴円香に好感を抱いている。

巴円香(陸)  : メイド。住み込み。

加々見剛(弐) : 長野県警捜査一課の刑事。密室殺人事件の発生においては、専ら
          殺人現場の物理的維持保全を最優先させる。警察の到着までは極
          力現場の状態に手出しさせない。また自ら捜査しようとはしない。

一条遊馬(肆) : 神津島の専属医。週に2,3回硝子館に診察に来館。招待客の一人。
          妹を介護する必要から半年前に専属医に。普段は麓の街に住む。

碧月夜(伍)  : 名探偵を自称。連続密室殺人事件の謎解きは己の役割と活躍する
          複雑で不可思議な事件、警察でも解けないようなミステリアスな
          難事件だけを扱うと公言する。ここでも事件の謎解きを主導的に
          行う。警察内部でも有名人になっていると加々見が言う。

夢読水晶(漆) : 霊能力者。霊能力を使い事件を解決するというテレビ番組「霊能
          探偵事件ファイル」に定期的に出演。

久流間行進(捌): 本格ミステリ界の重鎮。神津島が硝子館で重大な発表をするとい
          うことで招待された一人。数年前に、久流間が講師を務める小説
          講座の受講生に神津島が加わったことで知り合い関係ができた。
          神津島の書く小説はオリジナリティが欠如すると評価している。
          神津島コレクションと硝子館自体への興味から招待を受けた。
          
左京公介(玖) : 雑誌「月刊 超ミステリ」の編集者。
          10年以上前にこの地方で起きた「蝶ヶ岳神隠し」と呼ばれた連続
          殺人事件の特集を組んだ。その折、神津島を訪れて懇意になって
          いた。また、神津島の書いた推理小説の出版を投げかけられ、そ
          の対応に苦慮してもいた。


 さて、ストーリーのプロローグは、一条遊馬が展望室でつぶやく場面から始まる。名探偵により真実が暴かれ、遊馬が犯人だとして展望室に拘束されている。『硝子館の殺人』は既に幕を下ろしたのだと。アレ!と思う始まりである。

 ストーリーは硝子館内での4日間という時空間を扱う。
 <一日目>の最初は招待された人物たちの相互交流が始まり、相互のプロフィールが大凡わかる導入部となる。その場面から一挙に一条遊馬が神津島を毒殺する経緯へと転じていく。勿論、この経緯は遊馬の視点から描かれていくので、読者にとっては密室殺人ではない。結果的に遊馬以外の人々には密室殺人現場が形成されていたという認識になる。
 遊馬は、神津島から、久流間行進の代表作『無限密室』で使われたフグの肝臓を粉末にした猛毒を新しくコレクションに加えたと見せられていた。遊馬は展望室に収蔵されたその猛毒を使う。神津島が午後10時から重要な発表を皆に行うと告げていた時刻より少し前に、壱の部屋で、神津島を毒殺する。遊馬は、死体が発見される時点で、現場目撃者の一人に加わり、医者として死亡確認し、心筋梗塞の再発と宣告して終えられるというシナリオを描いていた。
 壱の部屋に皆が集まった時点で、名探偵と自称する碧月夜は可能な範囲で独自に証拠を収集し始める。加々見は死体に誰も近づけず、殺人現場の維持に専念し、この部屋を封鎖してしまう。神津島はダイイングメセージを遺していた。
 ホールで警察に連絡を入れていた老田は加々見に携帯電話を渡す。通話を始めた加々見は、道路が雪崩により通行止めになったことにより、3日後の夕方まで来れない事態になったと皆に告げた。
 1階のシアター室で、碧月夜は皆の前で早速ダイイング・メッセージの解読を行なったのだ。神津島のシナリオが狂い始める。遊馬は己が疑われないように対処し始める。遊馬の対応の仕方の変化が読ませどころの一つになる。

 <二日目>は、午前6時に月夜が遊馬の部屋を訪れてきて、専属医としての一条の話を聞きたいと言う場面から始まる。その話し合いの途中で、1階のダイニングで火災発生の警報が流れる。ダイニングの火災はスプリンクラーの作動で鎮火した。しかし、そこには執事の老田が胸を幾度も刺された遺体があった。ダイニングのドアは内側から閂をかけるだけの形式で、外からは開けられない。人々はドアを壊して中に入った。
 老田が被害者となり、硝子館で連続殺人事件が発生したことになる。人々とっては2つめの密室殺人事件だ。老田の遺体の傍のテーブルクロスには、『蝶ヶ岳神隠し』という文字が老田の血で書かれていた。
月夜と会話中であった遊馬が犯人でないことは明白だが、遊馬にとり一層不利な状況が生まれたことになる。

 <三日目>に、今度は1階のサブキッチンで火災発生の警報が響く。そこには誰も居なかった。その場に巴円香の姿が見えず、逆に異常さを感じて、巴円香の陸の部屋に全員が向かう。ドアはロックされていた。金庫からマスターキーを取り出してきて、円香の部屋に入ると、ベッドに横たわった状態の円香の遺体が発見された。心臓を刺されていた。円香はなぜか、展望室に飾ってあった「シャーロック 忌まわしき花嫁」の撮影で使われた衣装を着ていた。なぜ、ウェディングドレスなのか。ついに第3の密室殺人事件が起こった。

 遊馬は、連続殺人事件の思わぬ発生から、己の毒殺行為をこれらの連続殺人犯に転嫁できないかと考え、行動を開始する。
 名探偵碧月夜の謎解きは、証拠が累積していくにつれ、加速していく。
 思わぬ状況が見え始める。

 壱の部屋の現場を調べに行き、新たな事態に遭遇する。遊馬が毒殺したはずの神津島の遺体の上にA4のコピー用紙が置かれ、遺体に武骨なナイフが深々と突き立てられていたのだ。なぜ、この犯行が必要だったのか。誰が実行したのか。

 三日目の最後に、全ての謎が解けたと言い、名探偵が高らかに宣言する。
「私は読者に挑戦する。この『硝子館の殺人』の真相を導くために必要な情報は、すべて開示された。犯人は誰なのか、いかにしてあの不可思議な犯行を成し遂げたのか、ぜひそれを解き明かして欲しい。これは、読者への挑戦状である。諸君の良き推理と、幸運を祈る」(p342)と。
 まさに、これが新本格ミステリーというところか。

 <最終日>、碧月夜は生き残った人々をダイニングに午前6時半に集合させ、密室連続殺人事件の謎解きを始めていく。ここで遂に遊馬が神津島を毒殺したことが明らかになる。そして、他の事件の犯人と目される人物もまた・・・・・。
 結果的に、遊馬はプロローグに描かれた状況に陥る。展望室に拘束されることに。だが、そこで遊馬はある真実に気づく。
 名探偵碧月夜は真相を導くための情報を明解な論理的解釈により謎解きをした。読者もまた納得せざるをえない。だがこの幕を下ろしたかに見えた事態が、大きく様相を異にした解釈に至るのだ。
 「この硝子館は、トライデントを細部まで完璧に再現して私が作らせた」(p36)という神津島の言が解釈転換の梃子になる。新たな論理的解釈が遊馬により実行されていくことに・・・・・。
 
 それぞれの密室殺人事件が、一つ一つ小さな山場として解釈され、それらを貫く全体の論理的解釈と謎解きという大きな山場へと碧月夜の解釈が実行されていく。だが集積された情報について視点を変えて見直すと、思わぬ事実解釈に転換していく。それを一条遊馬が行うのだ。何と言っても、最後のどんでん返しがおもしろい。まさにスリリングである。実に意外な展開!! 
 読み応えがある本格ミステリーになっている。お楽しみいただきたい。

 本書には一つの副産物がある。それは本格ミステリー小説の系譜について、一条遊馬と碧月夜の会話の中に、蘊蓄を傾けた話題として、その説明が頻繁に織り込まれていくことである。また、ミステリー小説の作品群の一部の発想がこのストーリーの中に応用されて織り込まれていく箇所もある。この領域で活躍してきた、あるいは活躍している作家名や作品名が頻出してくるところがもう一つのおもしろさとなっていく。これは、一条遊馬と碧月夜を媒介にした著者自身の蘊蓄の吐露なのだろう。そうならば、著者自身が相当なミステリーフリークではないだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

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