遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『木挽町のあだ討ち』   永井紗耶子   新潮社

2023-11-06 13:04:08 | 諸作家作品
 手許の『日本語大辞典』を引くと、木挽町(コビキチョウ)は現在の東京都中央区銀座東部の旧町名という。江戸時代に、製材をする木挽き職人が多く居住していた町のようだ。その町に、万治3年(1660)森田太郎兵衛が森田座を創設した。江戸三座の一つで、歌舞伎劇場、芝居小屋である。この小説は、森田座の裏手で起こった仇討を題材にしている。そこで、「木挽町のあだ討ち」というタイトルになる。
 2019年から2021年にかけ間隔をあけて「小説新潮」に連載された後、2023年1月に単行本が刊行された。本書は第36回山本周五郎賞と第169回直木三十五賞を受賞した。

 この作品、その構成が実に秀逸でおもしろい。森田座の裏手での仇討でもあり、構成が「第○幕 XXXの場」と芝居仕立てになっている。内表紙(書名に目次と付記)の後に、見開きのページでこの幕構成が表記されている。
 さらに、書名だけの内表紙があり、そのページをめくると、鬼笑という作者が記した「木挽町の仇討」と題する読物が載る。事件を伝える瓦版の読物。末尾に「鬼笑巷談帖」とある。この読物で仇討の内容の大凡が読者にもわかる。伊納清左衛門の一子、菊之助が芝居小屋の裏手で、大柄な博徒の作兵衛に仇討ちと名乗って、真剣勝負の決闘をし、作兵衛の首級を上げ、仇討ちを為し遂げたのである。

 仇討の要点が読者にも理解された後で、「第一幕 芝居小屋の場」が始まっていく。いわば、幕が開く。

 さて、このストーリーは、菊之助が仇討を為し遂げて、国元に戻った後の話である。菊之助と同国で、参勤交代により江戸番となっていた18歳の武士で菊之助の縁者が、国元への帰国の前に、森田座を訪れる。菊之助の仇討の顛末について、芝居小屋の目撃者から仇討の状況を順に聞き回るという流れになっている。
 まずおもしろいのは、各幕が目撃者による目撃内容の語りになっていることである。武士の質問も、目撃者が己の言葉で復唱して、証言を続けるという形をとり、いわば目撃者の独白となっていく。芝居小屋の目撃者には、事前に菊之助から率直に答えてやってほしいという手紙が送られてきていたのだ
 事情を聴取する18歳の武士については、終幕になって初めてその名前及び菊之助との具体的な関係がわかることに・・・。

 証言する目撃者は、仇討自体の目撃内容を語ると、その後に、己自身が芝居小屋で働くようになった人生の経緯を求められて語るというパターンになる。そして、その武士から他に目撃者はいるかを尋ねられ、次の目撃者を紹介して一幕が閉じられる。
 そこで誰が目撃者として語るのかを列挙しておこう。

 第一幕 芝居小屋の場 木戸芸者の一八  木戸での客の呼び込み役を担っている
 第二幕 稽古の場 立て師の与三郎  元は江戸住まいの御徒士の三男坊
 第三幕 衣装部屋の場 女形の二代目芳澤ほたる  普段は舞台衣装類の修理維持係
 第四幕 長屋の場 小道具作りの久蔵  妻であり目撃者のお与根が代わりに証言
 第五幕 枡席の場 戯作者の篠田金治  元は旗本の次男。劇評では七文舎鬼笑と称す
 終 幕 国元屋敷の場 帰国した縁者の総一郎に菊之助がおのれの仇討を語る

 目撃者はすべて芝居小屋で仕事を担う関係者。働く場と役割が違うことから、その語りの内容に、当時の森田座の様子が様々に描き込まれていく。読者にとっては江戸時代の三座の様子と芝居小屋の舞台裏の諸知識が副産物となっていく。この点、私には実に興味深かかった。
 短期間ではあるが芝居小屋での目撃者と菊之助との関わりあいを踏まえた語りから、菊之助と彼の仇となった作兵衛との関係が明らかになっていく。作兵衛は伊納家の家人で、菊之助の父が作兵衛に刀を持たせることもあった。菊之助は幼少期から作兵衛の世話になり、親しみと恩義を感じる家人だった。父の叔父が作兵衛を士分扱いとみなし仇としてお上に届出を出したことで、菊之助は仇討の旅に出ざるを得なくなった。叔父には家督を乗っ取りたいという意図があることも推測された。菊之助は父が国政において貫きたい志があったと推測していた。その志を継ぎたいという。そのためには、恩義を感じる作兵衛を討ち取らねばならないというジレンマに陥っていたのだ。それを突き抜けての、木挽町の仇討である。
 このストーリーから、当時、仇討が認められるためには、仇討ち前・仇討ち後にどのような条件や手続きが必要なのかということもわかってきて興味深いところがある。
 
 各幕は、目撃者の独白となる。語り口や視点が変化していくので、文体も変化する。ストーリーにおけるこの設定が私には新鮮だった。仇討の目撃証言内容だけでなく、目撃者の人生を語らせるという部分が、5人のサブ・ストーリーとなっていく。ストーリーが単調化せずに、広がりとバリエーションを生み出していく。当時悪所と評された芝居小屋で働く人々の人間模様と人情に溢れた一つの世界の様子がここに描き出されている。
 終幕を読み、菊之助が江戸番として勤めてきた総一郎に、武士の世界とは異なる世界を知らしめたいという意図、視野を広げさせる意図を持っていたことが分かってくる。

 芝居には「どんでん返し」という用語がある。
 このストーリー自体に、あっとおどろくどんでん返しが仕組まれている。
 後で気づいたのだが、タイトルのネーミングそのものも、ひとつの伏線になっている。
 このストーリーのどんでん返しが、芝居で言う「大向を唸らせる」ことになる。
 楽しくなる「終幕」が訪れる。なるほど、受賞を頷かせる。

 お読みいただきありがとうございます。

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