N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
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山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その10

2010-04-19 22:27:06 | 旅行
そしてその家の大体の間取りを俺に説明した後に今度は
周りの家が変わっているのかどうか(主に住民)を確認しだした
とりあえず向かったのが4件隣の住宅街の一角の隅にある
仲が良かった1歳年上の女友達だ、みっちゃんというあだ名だったらしい
その友達はもうこの場所に居らず東京に住んでいるらしい
現在は交流が無いのだが
そこで何故東京に住んでいるのか分かるのかと言うと
そこにはまだその子の母親が住んでいたのだ
歳はなんと94歳という
1階建ての一軒屋に一人暮らしをしているらしく
耳は少し遠いがこれがまたかなりしっかりしていて
94でこんなに元気な人は見たことがない
俺の祖母は91でこれまた元気だが祖母よりもちゃんと歩けるし
何より一人暮らしをしているという事自体が驚愕だ
そして約50年ぶりの再開と言うのもこれまた驚愕だ
更に更になんと向こうはうちの祖母の事を覚えているという
残念ながらうちの祖母は思い出せないらしく二人で語り合う事はできなかったが
50年ぶりの再会
まだ23年そこらしか生きていない屋久杉に絡まっているだけのちんけな蔦の様な俺からすると
これはもうあまりの偉大さにその全貌を太陽の黒点ほどの割合しか把握でき無い様なものだ
23年と90年とは数字で見れば高々4倍にすぎないのだが恐らく「ただの4倍」のはずがない
とまあ、その辺りも自分が実体験で体験していないのでなんともいえないのだが
それは俺が90歳になった時に振り返ってみれば良いだけの話で
別段今話さなければいけないということもない、生きてればの話だが

そうこう母と祖母とその人が思い出話に耽っている横で
あろうことも餓鬼共は祖母の乗ってきた車椅子でてんやわんやだ
それはカーチェイスやドリフトを決めるために作られた乗り物じゃないんだが
やれ「私が乗る」だの「俺が乗る」だのこうたいごうたいで乗り回していた
だが自分で車輪をパラリンピックの選手並に扱いでいるのではなく
後ろから大学病院の看護士の如く安全に丁寧に慎重にとは程遠い速度、安全性を保ちつつ
時折来る車の運転手の視線に頭を悩ませながら(こればかりだ)俺は子守をしていた
ハズなんだが俺はどうもそのすぐそばにあるなぜか1本だけある桜の木が木になって
木になって、ついついデジカメのSDカードの1MB分の残量を減らしてしまう事になった
多分そこに1本だけ植えた、もしくは偶然、ただそれだけの事なのだろうがなんだろう
こういうのって少し神秘を感じないか?
例えば小さな孤島に生えた1本の木だとかスイカ畑に1つだけ生ったメロンだとか
爪楊枝の入れ物の中に1本だけ裁縫針があるだとか
周りの雰囲気と違うものが1つぽつんとあるだけでそこから何かしら特殊なオーラが漂っている
是非も無いが、脳内の細胞が活性化されるイマジネーションが湧き出てくる気分になる
人間は些細な事でもとてつもなく大きな変化をするときもあるだろうからな

それはさておき、祖母とその人の会話も5~6度の既視感を覚えつつも
ほどなく御開きとなった
あまりこういうことを言うものではないが、恐らく今生の別れだろう
祖母も「山口に来るのも体力的にもこれが最後」と言っている
なんだか少し胸が締め付けられる思いになった
車は母の昔住んでいた家のそばにあるのでここから40mぐらい離れているのだが
その辺りに行くまでそのおばあさんは杖をついたままずっとこちらを見守っていてくれていた
その名残惜しそうな視線もまた、俺には涙腺を緩ませるとまではいかないが
なにやらアドレナリンとは対照的な脳内物質が分泌されているのではないかと思わせるほどの
哀愁を漂わせていた
こういうときにこそ「さようなら」という言葉がぴったしなのだろう
さようなら、お元気で

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