珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにない声(改定)

2018-06-02 | 思うこと
度々書いているが「感覚の鋭い人」というのがいる。
そういう人は「本を読んだから」とか「誰かに教わったから」ではなくてふつうに生きて、周りをみて、感じているだけで、小難しく体系的に論じているそれらがわかってしまう。

でもそういう人は、それを文字に起こして語ったりしない。
「わかってしまう」代わりに、書いたり発信するとが苦手だったり、興味がなかったりするからである。

私は一時期、情報の宝庫であるインターネットを読んで「目覚める人」がすべてのように錯覚していたことがあった。
ああネットさえ見れば…

逆にいえば
「読んだらわかる」
「読まなければわからない」
「わかりやすく書けばいい」
と思っていた。

そんなもの「読まなくても感覚的にわかる」人がいる。
なぜ読まなくてもわかるのか?
そういう人は何を思っているのか?

ネットを含め、メディアっていうものは「書いて発信したい人」の巣窟と思う。

人ってそれだけじゃないのに。
膨大な多種多様な声を読んでいるようで、実はそういう偏った声しか拾っていなんだなあと、時々思う。
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