珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

少数意見

2018-06-21 | 娘と夫の話
一生懸命、真面目に聞いていればわかる、という教師に対しての少数意見。

一生懸命聞いている。
全然サボってない。
 反抗しようとも思っていない。


でも先生の言ってること、チンプンカンプンで外国語を聞いているみたい。

魔法にかかったようにわかる、なんて塾やなんかのセールスの言葉があるけど、
「魔法にかかったようにさっぱりわからない」という言葉がある。
私がそうだった。

大人はすぐ「波風が立つ」というけど、こんなこと言ったら、一斉に振り向かれて、バカにされたり笑われたり悲しそうな顔をされたり、職員室に呼ばれたり、親が呼び出されたり、電話がかかってきたり、クラスで浮いたりするから言わないだけで、そう思っている生徒はいる。
波風どころじゃない。

少数意見なんじゃなくて、言えないから「無い」「少数」にされているだけじゃないかと思う。
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ブログにない声

2018-06-21 | 日記
「皆がもってるから欲しいの」
「皆は関係ないでしょ?あなたが欲しいかどうかでしょ?」

思春期の子どもを持つ親子で、よく交わされる会話である。

でもこの「皆が」って大人になっても結構大きい。
「皆がそう言うから」
「圧倒的多数がそうだから」
「あの人が言ってるから」

だから安心。
 

私は天邪鬼じゃないし、ひねくれてもいないし、マイナー好きでも不良でもないし、「わざと人が少ない方にいく」タイプじゃない。
むしろそんな変わり者は苦手な方である。
(変わり者って、どこか厄介さというか闇を抱えていて面倒くさいからである)

だけど「皆が」という、この考え方はもっていない。
「多くが言ってるから正解」とは絶対に思わない。
数字を見せられて「どうだ?」っていうのは、札束を見せられてどうだ?と言われてるような気がするというか。(あくまで個人の感覚ですよ)

お金や権力や名誉や、そんな誇示、アピールが好きな人たちが、見せたがる圧倒的多数が、というアピール。

黙って「
思っているだけ」という声はアピールしない限り誰も拾わないの?
なら私は拾うぞ!! と思う自分がいる。
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閑話休題(レモンさん)浜田 省吾 『PAIN (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』

2018-06-21 | 閑話休題
浜田 省吾 『PAIN (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』




ひょんなことから、アンチの方のTwitterからシンパの方のblogへ飛んだ。

末端の純粋な信者。
組織の矛盾は感じている。
シンパblogを運営しているぐらいだから、アンチblogも読んでいるだろう。
それでも、そこに綴られている言葉は、揺るぎない信の部分。
きっと組織の矛盾を感じながらも、信じ続ける自分の為のガス抜きblogなのかもしれない。

その方の文章の一節に「~現場の責任者はコップのふちを歩いているようなものです。内側にも外側にも落ちないようぐるぐる回っている。現場の正役職で異常なほど毎日、津波のように押し寄せてく
るノルマを何年もこなし心を病んだ方はたくさんいると思います。」

この一節を読んだとき読んでいて、どうしようもなく胸が苦しくなった。
かつての活動家時代の自分を見ているようで。

私はコップの淵をグルグルと数十年と回り続け、その淵から飛び降りた人間です。
どちらに落ちても心を病むぐらいなら、外の世界へと思い切って飛び降りた。
飛び降りたその「痛み」は、同じ思いをした人と気持ちを共有した事で救われたけれど、そこから先は一人で歩いていくしか心は立ち直れない事にも気がついた。

このシンパblogの方達のような純粋な信者に気付きを与えるには、どんな方法があるのだろうかと考える。
ネット以外の何かなのかもしれないと思ったりもする。


この「PAIN」は、東日本大震災直後のツアーライブで、浜田省吾が「震災で被害にあわれた方の為に」と歌ってくれた歌。
歌そのものは、随分前の歌だけど、心に深く染みいる。

「~2度立てぬ痛手なのに、受け入れていく。不思議だ人は・・・追いつけないこの悲しみ、後に残して・・・」






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