珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

忘れるに限る!

2018-06-04 | 思うこと
書く人間の性のようなものかもしれないけど、嫌なことは書いてすっきりしたい。
書かずにいられるか!!と思う。
でも実際に書いてすっきりするかというと、私の場合は書くことで輪郭も色濃く明確に尚鮮やかになって、不快感は鉛玉のようにいつまでも居座り続ける。

以前、娘の事件の加害者の刑事裁判の時に、私は出席しなかったが、裁判官の心象に作用するように「被害者の心情を訴える文章」を書かされたことがあった。

それは加害者の刑罰に影響することだから、刑を重く望む被害者の立場としては、当然訴えた方がよい。
言われるままレポート用紙二枚分くらいの、被害者の苦しい胸のうちを書くことになった。
しかし、これが……一言でいうとめちゃくちゃ苦しいのである。
心が波立った。
書くほどに怒りがこみあげて、それにやられてしまった。

これは加害者の両親を前に、思いを話す場でもそうだった。
弁護士さんと二人だけの時なら、非常に冷静で冗談すら出てくる余裕があったのに、いざ一点集中して思いを話すとなった時、自分でも驚くくらい取り乱してしまって、冷静な言葉なんか出てこなかった。

言いたいことを言って、書きたいことを存分に書いてください。
あなたのいうことはもっともです。
何の遠慮が要りますか?
さあ!

という完璧なお膳立てされていながら、それがちっとも快感じゃない不思議。

怒りというものを「強く執着させる」ということは、こんなに苦しいのかと思った。
苦痛以外の何ものでもない。
苦しさのあまり、これから解放されるならすべてを許したいと思ったほどである。

怒りというのはそういう性質のものと思う。
100万個の言い訳をしてもそうである。

こんな経験をしながら人間は忘れてしまう生き物だけど、嫌なことはすっかり忘れてしまうに限る。
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ネットにまつわるあれこれ5

2018-06-04 | ネットにまつわるあれこれ
以前、ブログのコメントで
「刺激が足りなくてつまらない。誰かもっと刺激的な話を書き込んでくれよ」
という書き込みを見た。

刺激的な書き込みが欲しい?
そんなことは簡単である。
その辺のたいしたことない話を、文章次第でいくらでも「退屈」にも「刺激的」にもできるさ。

例えば
「過去に私は思いこみが激しくて、周りに流されました」
という、ただこのような事実を
「自分はクズだった。どうしようもないクズだった…笑ってくれよ」
なんてドラマチックに書けば、人は引きこまれる。

「驚きました」「落ち込みました」を
「滂沱の涙が止まらない…二度と思い出したくないあの頃…」
なんて浪花節にすればジワッと感倍増。

ネットの手がかりは文章のみである。
安易に人を「大天才」などと形容する人は、落とす人はまるで犯罪者のように誇張する。
そんな「文章の癖」というものがあることを知っておくのも、ネットの付き合い方の一つ。

「ありのまま」がいちばんだと思うけどね。
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