珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

自分次第を考える

2018-06-01 | 思うこと
人ではなく、自分次第。

これは最近、よく考える言葉である。
同じ人間が、ただの紙きれに人生を賭ける勢いかと思ったら、次は破り捨てるものになったりする。
ふつうのおばちゃんが、命の恩人に思えたり、ゾンビに見えたりも然り。
ということは、その「ままただの紙きれ」「ふつうのおばちゃん」となって、拝むでも燃やすでもなく、何も感じず見ることもできるということである。
あら不思議。
「紙きれ」も「おばちゃん」も、なーーーんにも変わっていないのに。
変わったのは自分である。

娘はとんでもない通り魔事件に遭いながら、犯人の悪口をただの一度も言わなかった。
事件直後も、その後も、愚痴も恐怖も口にしなかった。
そして信じられない速さでケロッと「無関心」になった。

「どうでもいいと」


事件の詳細は書けないが、現場は数百メートルに渡り規制線が引かれて、数十人の捜査関係者でごったがえしていた。
警察車両が何台も止まっていて、娘はその中の一台に毛布にくるまれて、女性警察官に付き添われていた。
全身血まみれであった。
そんな事件に遭いながらである。

こういう事件を「社会の闇」と思い、相手を更生させようとか犯罪を撲滅させようと必死になっても、長い年月と忍耐と労力とストレスをかけて戦った末に、できるかどうかも定かじゃない。
一人を更生させたところで、おそらくそんなものは次々と出てくる。

しかし自分がケロッと思う方は、ずっと早くて簡単なのである。
この世に「闇とか根深いもの」があるとしたら、それに執着する心ではないのか。

くだらないものを「吹けば飛ぶ紙クズみたいもの」と思うか、「深い闇」だの「毒」だのと感じるか、それは自分次第。
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学校事情

2018-06-01 | 娘と夫の話
予想に反して、お弁当作りが楽しい。
娘が友達から、日替わりで変える弁当箱を「可愛いね」と言われたと聞いてガッツポーズである。
「ね、そうでしょ!それから他には?」
私的にはランチクロスも、一枚一枚真剣に選んでいるのだが。

「別に。ありがとうと言って終わり。
「ああ、この間卵焼きをあげたんだけど、何も言われなかった。うちのは甘くないからきっとまずかったんだよ。やめとけばよかった」
毎度毎度その冷めた返事は何とかならないものか。

「皆はどういうお弁当持ってくるの?」
「だいたい二段弁当。冷やし中華とかオムライスの子もいる」

「冷やし中華!!それは思いつかなかった」
私も、発想をとばさなければ!と今日はお好み焼きを入れてみた。
どんな冷めたリアクションが来るのか楽しみである。

この娘、子どもの癖になかなか動じず、給食袋に帽子じゃなくて間違えてパンツが入っていても無言で袋を閉めるタイプである。
友達とギャグにすれば人気者になれるかもしれないのに。(冷たい目で、なれるわけないでしょ!と言われたけど)

「先生はどんな感じ?」
「うーん…国語はプリンセス、理科はチャラ男、社会はオネエ…」
「何それ、あだ名?皆がそう言ってるの?」
「ううん、心で勝手に思ってる」
書くとネタになりそうなのに、それ以上は詳しくは教えてくれない。
しかし、この冷めた娘になぜか唯一受けたのが、私が小六の時の担任の話である。

くしゃみってまあ「ハクション!!」っていわれるけど、担任の名字がこれと音の似た発音で、クラスの男子がくしゃみをする時、その名を呼びながらくしゃみしていた。
この話が大うけで、彼女は以来くしゃみをする時、その名を叫ぶ。
あれから何十年もたってこんなところで再びいじられてるとは、担任はまさか思うまい(笑)
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