珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

YES or NO?

2018-08-11 | 日記
娘がスマホを握りしめながら言う。
「明日、友達4人でプール行く予定がね。一人がものもらいになって行けなくなったの。
だからその子が3人で行ってきてって言うんだけど、私は4人で行きたいから、それならプールをやめて映画にいかない?って言ったの。でも他の2人はプールがいいって言うの」

「うん、それで」
「まだ話し合いの途中なんだけど、どうせ私の意見なんて通らない。通ったことない。
私、多数決って嫌い。一人でもすごくいい意見もあるかもしれないのに」
 

それはそうである。
でも意見なんてそう通らないし、通じないもんである。
でも思うことがあるなら、主張してほしい。

3人しかいない我が家でも、外食するってだけでよく揉める。
そもそも「3人ともが外食したい気分」の時が、なかなかない。
あったとしても「何が食べたい気分か」でなかなか一致しない。
自分の意見だけじゃなくて、3人とも「それいいね!」じゃないと嫌と思うので、更に難しい。
そんな中で、ツワモノ大人に混じって彼女も主張して、食べたいものを食べるべく、頑張らせてみたりするのだが。

先日、ある人気ブログのコメントを見て思った。
何とかいうと大勢で「そうだ、そうだ!!」「共感します」「私もそうでした。わかります」と強く言い合っている人たちが、「そうは思わない」となった時は、別人のようにおとなしくなるのがわかった。
イエスはいうけど、ノーはわざわざ言わないんだなあ。

人のことは、傍から見る分には「イエスしか言わない」「羊のように従っている」「盲信している」と滑稽に言ったりする。
ても、そんなふうに心ではノーを言っている人がいっぱいいるんだと思う。
自分がそうなら、他人もそういうことである。

ただ、黙っていると、そう思われても仕方ないのも事実である。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
« 大人の対応 | トップ | 夏の食卓 »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2018-08-11 23:31:45
前ブログで「トップでも末端でも」という記事を書いたことがあります。
教祖の女性問題などを「隠蔽体質」というけど、末端だって幹部が不祥事を起こしたら下には隠した。
新聞の部数だって、コソコソ打ち合わせしてノルマを回し合って数を合わせていたなんて、ペイの私なんかからしたら充分隠蔽でした。

今なら「トップでも末端でもアンチでも外部でも」と書くかもしれません。

身内の不都合は騒がない。
こんなことに、アンチもシンパも上も下もない。
イエスは派手に言うけど、ノーはわざわざ言わない。
でもイエスにしてるわけでもない。
心でノーと思ってる。
ただそういうことを、人には厳しく、自分にはスルーするだけのことかなと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事