珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

遠藤周作の本の記憶

2025-01-29 | 日記
昨日の食事会で、今騒がれている性加害問題から「そもそも男は」というか「昭和の男は」という話題になって、昭和の男を夫にもつ女3人には、ある種の共通したボヤキがあった。
それは名誉のため伏せておく代わりに、フジの遠藤周作の息子の発言から、遠藤周作親子を吊し上げておこう😅 

昔、遠藤周作の短編やエッセイを読んでいた時期があった。
概ね面白かったんだけど、ちょいちょい出て来る「ジョヒオっぽい」箇所が気になって、それは

「……だから女は控えめに控えめにしていた方がいいと思うのだ」
「愛にはヤクザで勝手な男のあとを、トボトボと惨めに歩いていくのが女の原型である。私は差別しているのではなく、男と女の原型とはこういうものだと言っているにすぎない」
「男は子供の運動靴を買うお金を呑んですってしまったり、しょうもないことをした時、悔いて反省する。しかし俺は悪いやつだという自覚がある。俺は正しい、俺は立派だと思っている男はいない。だが女にはそれがない」
「女は、お便所を一緒に行ったり、『いつまでもいつまでも美しい友情を』などと歯の浮くような寄せ書きなどをするわりに、男のように長い年月をかけて友人関係を育むことはしない。一時だけベタベタつるんでいるだけで自信がないのだ」
「昔、あまりに傲慢な女がいたのでひっぱたいてやったことがある。が、その父親は『よくやってくれた』と言ってくれた。立派な人だったと思う」
「軽井沢?で見知らぬ男の車に乗った女が惨殺されたむごたらしい事件があったが、女だって男を利用しようという計算がったかもしれない。そもそも東京でタダで乗せてくれるタクシーはあるはずがなく」……

他、今本が手元にないから正確じゃないかもしれないけど、私の記憶にはこういう記載が出て来るんだから、当時から気になったんだと思う。
そういう思考の親が息子をもつと(女の子をもてばまたと違ったのかもしれないけど)、氏は「私は女の子なんていう面倒くさい子供はいないので」という記述も記憶してる。
そうそうこれは「(友人の花嫁の父をさして)君のお父さんが泣いているところを面白いから見に行こう」という確かユーモアエッセイ?に書いてあった。

遠藤周作といえば著名な作家かもしれないけど、この親にしてあのジョヒオありなのでは?
と、私の左側の思考がまた過去から何やかき集めてきたので、参考まで😆 
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2 コメント

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Unknown ()
2025-01-29 18:57:57
親の影響でジョヒオになってしまったら、恋人や妻だけじゃなく、女の子をもって精神を叩き直さないといけないかも。
ジョヒオは誰も幸せにしない。
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Unknown ()
2025-01-30 08:05:12
思い出した!
「私は家のことは、縦のものを横にも動かなさいし、横のものを縦にもしない。新婚時代に皿洗いなど頼まれたら、わざと皿を割って『あーこの人に頼んでも無理だ』という観念を植え付けてやった」
とも書いてあった。
根底に家事など偉い男がやるもんじゃない、女が男にかしづけみたいな価値観があるんじゃないの?

改めて、ジョヒオは世界を幸せにしない。
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