ほんの半年前まで「満員御礼」はいいことだった。
スタジアムが人で埋め尽くされる、客が入っている、賑わっている、行列ができるって文字通り歓迎されて感謝されてることだったのに、これがすっかり忌み嫌われて、悪事で犯罪になってしまった。
人は満員御礼で笑顔になったらばこそ、ウキウキと気分も活力も免疫も上がった。
なのに今は同じ風景を見たら、険悪になって消耗して免疫も下がるなんてね。
スカスカの赤字や閑古鳥を見てホッとするという、変なメンタリティになってしまった。
実際、圧倒的多数の免疫は、ウイルスじゃなくて過剰なビビリの方にやられてるというかね。
人は一旦こうと思ったらなかなか変えない人、或いは引きずる人が多い。
あっさり忘れて方向転換する人の方が希少と思う。
これから毎年風邪の季節になったら、これが「恒例行事」になるんだろうか。
ちょっと咳が出たら、コロナかインフルエンザかと大騒ぎして真っ青になって、
風邪ひく=犯罪者みたいになって、
それにビビらない人は白眼視されて、
熱を出しながら身体を丈夫にして成長いくはずの子供も隔離される。
うう…ゲンナリするわ (_△_;)
アンチブログを書いていた頃、ある種撲滅のようなものを願って、鉄壁の要塞のようなものを作ってみた。
数ミリの隙間も許さない設計にして、あらゆる角度から書き尽くした結果、最後は叩く方に生き辛さのようなものを感じてしまった。
しょうもないことに過敏になるより「だから何?」と平気になった方がはるかにラクだった。
今回の騒動で、私はしきりにそれを思い出す。
私は空気が冷たく澄んで、プチ鍋で一杯できる冬が好きなのである。
クリスマスも正月もある冬が楽しみなのである。
昔はスキーもガンガンやったのである。
最強のメンタルで迎えたるわと思ってるし、私だけじゃなく、皆でそう思いたいけどね。
「数字は嘘をつかない。ここまでに抑えられたのは皆さんの自粛のおかげです」と断言していたけど、小池都知事もそういうことにしたいんだろうけど、
そんなこと誰もわからないのでは?
事実、満員電車が走っていた頃の方が患者は少なかった。
もしかして三密より手洗いと消毒を徹底して、学校も開けていても患者数は変わらなかったかもしれない。わからないけどね。
自粛に意味がないもあるとも、そんなことは少なくとも誰もわからない。
わからないことを決めつけて正しいと思い込ませようとするのはズルイ。
これは強く思う。
(日本株BCG説、もともと抗体がある程度あった説など)
私も「優しく」教えて欲しいです。
近所のクリニックの先生も「わからない」「日本政府の政策なんてユルユルすぎて感染症対策にしてはあり得ない、話にならない」と言っていた。
確かに厳しいロックダウンを強いているイギリス等が桁違いの死者を出しているんだから、それはそうなんだろうなあと思う。
一方で「日本政府がここまで抑えたことは評価」とか「自粛をやらなければオーバーシュートでパンデミック」って聞くと、んんん?と思う。
なんで「わからない」のに自粛の賜物や日本政府のおかげになるのかな?
解る方は優しく教えてください。