ネドじゅんさんのnoteを読んで納得したこと。
例えば、何か作業していてイラッとしたら。
その「イラッ」はなんと、気分ではなく、ココロではなく、私たちの人格とも関係ない。
「イラッ」は、脳や心臓などの神経細胞組織から出されたストレス物質であり、同じように、怒りや悲しみや落ち込みなども、その物質が血流に入って、全身をめぐっていると考えられているそうだ。
身体は反応していろんな物質を出すけど、それだけであり、
「イライラする怒りっぽい私」とか「そんな私を否定する」とか「直そうとしたけど失敗した」とか、「ワタシとくっつけてドラマにする」必要はない。
それははトイレに立ったり、お茶を煎れているあいだに、血液中で消費されて消えてしまう。
最初の「イラッ」は物質であり、「ワタシがうんたら」というドラマは思考であると。
最初の「イラッ」は物質であり、「ワタシがうんたら」というドラマは思考であると。
え?じゃあ「感情」って、まるで夏に外にいたら蚊に刺されたみたいな「物質」であって、それを自分の性格とか欠点とか自分が産みだしたとか、それをいじくりまわしてはドラマ仕立てにしていたってこと?!
確かに、クサいのやらジェットコースターみたいなドラマが幾つもあったわ😅
ネドじゅんさんは「感情はいきいきと身体をかけめぐるけど、(ネガティブなものなどは)それをドラマにせず、ただ起こったことと見ていれば「あー、びっくりした」と過ぎ去る」と言っておられる。
これが2040さんがっていた「感情はリアリティを出す為に用意されているオプションで、囚われるのは自由」ってこと?
こういう話って興味のない人はつまらないかもしれないし、ちょっと何言ってるかわからないという人はスルーしてください。
私には面白くて、いろいろとハマりましたが。