まだ暑い。それもそのはずで、当地では真夏日さえ記録されている。いや、今後もそんな予報が出ているのだ。
だが、やはり草木の世界では秋との認識が伝播してきているようだ。
坪庭などで、シロバナホトトギスの開花が進んでいる。直立することなく、茎を横倒しに伏すようにして咲いている。しな垂れるとかといった粋な風情ではなく、とても姿勢が悪い。
ホトトギス的には、どう咲こうが知ったことかということかもしれないが、これに関してはどうもいただけない。
昨年、とあるサイトでキイジョウロウホトトギスを求めた。大株との触れ込みだったが、現物を目にしたとき、おや、おや、なんて小さな苗であろうかとの印象だった。てっきりその年に咲くのかと思っていたが、なんのことはないつぼみさえ結ばずに年が暮れた。
土替えもすることなく年を越し、春弥生には芽出しを見たが、昨年二芽だったものが三芽となっただけで、さほど増えもせず、大きくもならない。気難しいのか?
今年こそ、花は見られるのであろうと思っていたら、情けないほどの小さなつぼみが二つ、三つ湧き出した。
まだ気を許したわけではない。本当に咲くのかえ?
2022年7月に、夏咲きのタマガワホトトギスや、上記の白花などとともに、「つどいの里 八ヶ岳山野草園」から購入したものである。
毎年、恙なく花を見せてくれている。今年、植え替え時に、そのいくつかを地植えにもしてみたが、他の草に埋もれてあまり捗々しくない。鉢の方はといえば読み違えたようで、とても込み入ってしまった。これでは花がよく見えないね。
黄緑の大きな葉が豊かに繁り、初夏の宵ともなれば、芳香を漂わせながら純白のユリを思わせる大輪の花が綻び始める。
なぜ、「惑乱」なのか?
そもそも、「惑乱」とはどのような意味を有するのか?
「惑乱」--デジタル大辞泉には「冷静な判断ができないほど心が乱れること。また、人の心などをまどわし乱すこと」とある。
そう、このタマノカンザシはいま「冷静な判断ができない」状態なのであろう。
一般的な花期は、初夏から盛夏などとある。もう、盛りがとうに過ぎた10月初旬なのである。誤差の範囲とは言い難い。
我が家には、この地植えにしてある一重のタマノカンザシのほかに、鉢植えもある。また、とても見事な八重の花を付けるタマノカンザシも仮住まいしている。そのいずれもが、今年花を付けることなく終わってしまった。意気消沈、とても残念な気持ちであったのだが、ここに来て、とても小さなつぼみなのだけれど、ひょっとしたら、咲くかもしれないつぼみが萌したのである。「惑乱」以外の何物でもないと思うのだが、どうだろう。
未曽有の天候に翻弄された夏が終わり、一時、まさに秋の到来を告げるかのような穏やかな日々が訪れた。このまま、いつもの秋の気配に包まれて過ごせるのかと思ったのだが、度々、真夏日に見舞われる。タマノカンザシならずとも、「惑乱」せざるを得ない環境変化がすぐ眼前に横たわっているのだ。
せっかく萌したつぼみなのである。見事に咲いてほしいと願わない訳にはいかないよね。
タマノカンザシの惑乱について
タマノカンザシ(玉簪)とはユリ科ギボウシ属の多年草で、いわゆるホスタなどの仲間の一つである。最新の画像[もっと見る]
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