昨年地植えにした三段咲きのユキワリソウである。
ここに来て、やっとその真性の姿を露わにしてきつつある。
地植えにすると、雨露が跳ね上がる。ちーとばかし汚れっちまうのがいけないね。
昨年初に贖い、確か、花後にこの辺りに移植したと思っていたが、さっぱり顔を見せてくれない。
「消滅したか?」などと諦めかけていたが、それがひょっこり地上に姿を現した。しかし、あまりにも小さい。2cmあるかなしかだ。
それでも、そのちっちゃなガタイの足下には、さらに小さな芽が見えてきた。さて、このフクジュソウは花を咲かせるのだろうか?
このところの寒さに震え上がり、平開することを躊躇っていたユキワリイチゲであったが、気温の上昇とともに少しはやる気を出してきたようである。
なんだかんだと、5本ばかりの花茎が上がっている。確か、6~7個の根茎を埋めたはずだが、まぁ、この程度花が付けばいいのだろう。
イチリンソウ属は、地味が気に入るとスパイクする。我が家のニリンソウがそうであった。もう6~7年前になるか、ときがわ町にある建具会館で販売されていたニリンソウをたった2ポットだけ連れ帰った。すると、その花は年を経るごとにちっちゃな猫の額を蹂躙し、辺りを白一色に染めてしまった。壮観ではあったが、流石にニリンソウだけを見ているわけにもいかず、だいぶ知人に引き取ってもらったものである。
さて、ユキワリイチゲのことである。花を付けるまで三年ほどを要したが、今後も自分のペースで着実に歩み続けてくれるといいのだが。
黄色系のオキナグサである。
本葉が出始めているのだが、はて、早いのか、遅いのか、判断に苦しむ。
かなりたくさん増えた時期もあったが、坪庭の北側に移してから減り始め、とうとうこの株だけになってしまった。
坪庭の一角からスリット鉢に鉢上げして自由度が増した。場所を移動できるだけに、かなり下部から花芯を捉えることができる。
それでも今朝は、雪から変わった雨がいまだに降り続いている。南向きとはいえこんな天気、狭いベランダでは光が乏しすぎる。
「黒の貴婦人」とはいったものの、黒と言うにはちょっと無理がある。濃い紫といったところか。光の当たり具合によっては、深蘇芳(ふかきすおう)、黒緋(くろあけ)などに見えることもある。なかなか思わせぶりな色と言えるのではないだろうか。
3月の南岸低気圧の通過には注意が必要だ。もう10年近く前になると思うが、3月の土日に三週続けて雪掻きをした覚えがある。
戦々恐々としていたが、裏の藪は薄っすらと雪に覆われているが、すでに道路には雪はない。この程度の降りでよかった。
さて、咲き始めた雪割一華であるが、昨夕には薄っすらと雪の綿帽子を被っていた。上記の写真は、今日(3/5)10時頃に撮ったものだが、すでに雪は消えている。
花被片の色がかなり鮮明になってきた白の雪割草も、雪の洗礼を受けたようである。
左側にはやっとつぼみが起きてきた赤紫の雪割草が見える。数年前HCで求めたものだが、珍しくしぶとく生き残っている。
いまにも融けて無くなりそうな雪が見える。一つ、二つと花開いていたフクジュソウであるが、今日は花開くことがなさそうだ。
この左隣に、昨年贖ったフクジュソウを植え込んだのだが、いまだに顔を見せることはない。地味が合わず、融けてしまったか。
坪庭の南側、このフクジュソウの左側には数多くのニリンソウが眠っている。そろそろ目を覚ました輩もいるようだが、春の猫の額はこのニリンソウの白い花から始まると言ってもいい。そう、芽出しラッシュのときには、まさに地が割れるほどに頭を擡げてくるのだよ。草本の神秘なチカラをまざまざと見せつけてくれるってわけだ。
「みんなの趣味の園芸」のマイヅルソウの項を見ると、「花を咲かせる芽は茎を高さ10cm前後に伸ばして葉を2~3枚つけます。花が咲かない芽は大きめの葉を1枚つけます。」との記述があった。
あまりに急ぎすぎた我が家のマイヅルソウ、この株は花をつけそうにないね。萌芽したばかりとは言え、まだ5~6cmほどかな。あまりにもひ弱そうだ。
昨日、一昨日と暖かな日が続いた。今年始めてつぼみが萌芽し、その日を待っていたユキワリイチゲも花被片を平開して気分良さげである。
まだまだ見るからにひ弱なつぼみが4つほど、後に控えている。いや、驚くよ、つぼみってやつは思いもよらないところからひょこっと姿を現し、つんつんと伸び始める。
弱々し気だった小さな俵型のつぼみが徐々に膨らみ、平開していくさまを見ていると、とても神秘的な気分になるものだ。
ここ数日で、イチリンソウの仲間であるキクザキイチゲやニリンソウなどが土を割り、萌え始めている。しばらくすると、猫の額が白く染まる。
な~んて書いていたら、予報通り、当地にも雪が舞ってきた。せっかく開き始めたユキワリイチゲも薄っすらと雪を纏っている。な~にっ、気にすることはない。この草は雪割一華なのだから。
原種クレマチス・カザグルマの八重咲き品種とされるユキオコシの芽が立ってきた。雪が降っているのに、芽が立ってきたのである。ユキオコシが雪を呼んだのか?
湘南のクレマチス<シーボルティー(シーボルディー)>も、にわかに活性化してきたようだ。
フロリダ系バイカラーの新旧両枝咲きとされている。期待値大なので、うまく生育してくれると嬉しいのだが。
Mさん宅のセツブンソウを拝見した後、手頃な山野草がないものかとホームセンターの花卉売り場へと向かった。
関東に住まう方であれば、あのセキチューをご存知であろう。そう、群馬県高崎市に本社を置くホームセンターを運営する企業体である。Mさん宅からは目と鼻の先、ヤオコー ザ・マーケットシティ入曽の一角にセキチュー 狭山北入曽店の花卉売り場がある。
山野草系など滅多に置いていないのだが、時節がらかニホンサクラソウとミヤコワスレが置いてあった。一芽ずつだが手頃な値段であったので、それぞれ2ポットずつ求め鉢植えにした。
2月中旬ごろであったか、上述したヤオコー ザ・マーケットシティ入曽の隣に、「驚きの安さ」をコンセプトにしたディスカウントストア「クルべ」が開業した。この業界、情け容赦ないね(あっ、これはどの業界も同じか!)。
1週間ほど前だったか、ATMに用がありヤオコーへと向かったのだが、この大渋滞に嵌まってしまい10分かからずに行けるはずのATMになかなか行き着けない。仕方なく他の場所のATMへと向かったのだが、ご覧の通り、常態化してしまっているようだ。
上記、赤い文字列のリンクをクリックしていただくとクルべのホームページが開く。コンセプトや直近のチラシが表示されるはずだが、確かにセール品はお安いようなのである。
この道は富士見通りからヤオコー前の薬研坂を通り県道126号線へと抜けるけっこう使い勝手の良い道路で、狭山台から南回りで狭山市駅へのバス通りでもある。渋滞は開店前の10時以前から午後遅くまでまで、かなり長い時間に渡って常態化しているようである。バスはもちろんのこと、これじゃ所要時間など読めないよね。
すでに、この界隈の人々からは憤懣やるかたない声がやまない。こんなご時世だからして、食品などの安さはありがたいのだが、ビジネス、交通、救急などインフラの維持に関して不安要素が顕在化してきているようなのだ。さて、さて、この騒動、いつまで続くのであろうか? 当方としては、なるべく近づかないような方策を考え、どうしてもそのスポットに行かなければならないケースでは徒歩にて対処するしかないようである。
森を通って、Mさん宅へと向かう。たった一輪の真っ赤なツバキが目を射る。
例年はもっと早くに訪れるのだが、いつも数株しかお目にかかれなかった。
今年は遅いかなと思って訪れたのだが、ちょうど見頃だったようである。
すでに何回もこの花の変化をご紹介してきた。そして、今回は、開花と言ってもいいほどのほころび具合を見せてくれたので投稿した次第。
よく写真では見てきたが、花びらの色、もっと紫が差していたようなのだが、開花したばかりでまだ色が乗らないのだろうか? 園芸ってやつは、咲けば咲いたで悩みが尽きないもののようである。
こちらも、固いつぼみの頃からフライング気味に何度もアップしてきた。う~んっ、残念ながら、まだ開花に至らない。
三段咲きのユキワリソウで、花色は白であった。当初、グリーンがかった花被片だったが、いまでは本来の色味となってきている。花茎も徐々に伸びてきているようなので間もなく開花の運びとなることだろう。
もう4~5年前になるだろうか、入間川河畔で繁茂していたコゴメイヌノフグリを摘んできた。これは、雑草の範疇(?)であろうから、摘んで帰っても差し支えないよね。
とにかく増えるんだ。小さな庭一面に繁茂していく。業を煮やして所構わず引き抜いたが、その名残がいまでも顔を出してくれる。ちょうどいいくらいにね。この子たちが咲き出すと、あ~、春が来たんだなぁ~と思うのだよ。
年を越したミヤマハナシノブの実生苗である。地上部が姿を消すことなくいまがある。
かなり密生しているが、このままでいいのだろうか? 明日からはまた寒さがぶり返すという。そう、この山を越えたなら、株分けしてみてもいいかもしれないね。
「移住の話題」、ある意味、旬の話題だよね。その第一位が「群馬県」だとのこと。
このニュースは視聴したことがないのだが、男性(森さんとかいうのかな)のアナウンサーが熱弁を振るっている。
移住者、実は、若い方々が多いのだという。続いて発せられた次の言葉に唖然とした。
「移住というのは、リタイアした<人生終わった人>が多いのかと思っていたら意外と若い人が多いので驚いた」なんてニュアンスのフレーズを吐いたのだ。聞き間違いかな? そうでなければ、最近のアナウンサーという輩は度し難い阿呆だな!
念の為申し上げておくのだが、ある程度の年齢となって職を辞し、確かにビジネスマンという生き方はリタイアしたわけだけど、仰るような<人生終わった人>なんてことはないのだがね。言うに事欠いて、<人生終わった人>とはよくぞ言ったものである。
日頃見ることのない端っこのほうで流れているニュース番組、これほどまでに言葉に対してセンシビリティーの欠片もなく、救いのない報道を考えもなく行っているのかと思うと肝が冷える。
録画していたわけではないので、上述した内容が寸分違わずに内容をトレースしたものではないので聞き間違えかもしれないね。一般的jに、アナウンサーの方々は高学歴で、常識をわきまえた方々が多いのだろうから、聞き間違いであったことを祈るばかりだし、もし、上述の内容に抵触する部分があるのであれば・・・・・・。。。