新河鹿沢通信   

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枯れたオオウバユリ

2014年12月09日 | 地域の山野草
晩秋から雪の季節になると山野草の話題がほとんどなくなる。この時期になると、鶴田知也氏の「秩父路の野草冬春編」を思い出す。この書の冒頭に次のような記述がある。『かつて私はさる高名な植物学者に「冬の植物にもっと関心を示すべきではあるまいか」ということで、お褒めにあずかったことがあります。、、、、、、若いころ読んだアメリカの哲人の「死骸にも独特の美が存する」との卓見にいたく感服したから、、、、』が思い出される。


枯れたオオウバユリ 2014.11.30 川連町古舘

いつでもデジカメをポケットに出歩いて山野草等収めているが、この時期になると鶴田知也氏のいう冬の植物の姿、枯れた植物に関心が離れない。植物は枯れても又春になればその鮮やかな姿をみせてくれる。枯れたのであって死ではない。枯れるのは子孫繁栄の法則かもしれない。

冬の山野草の中で「ウバユリ」、「オオウバユリ」はその代表と思える。枯れた姿は見事。ある種の華やかさと悲しさが漂う。オオウバユリ(大姥百合、学名:Cardiocrinum cordatum var. glehnii )はユリ科ウバユリ属の多年草。ウバユリの変種として扱われる。本州の中部以北、北海道に分布し、やや湿り気のある林内、林縁に自生する。高さは1.5~2.0mくらいになり、花期は7~8月で、10~20個の黄緑色~緑白色の花をつける。花をつけた株は一生を終えるが、元株の脇に子株が育っている。鱗茎はデンプンを含み、食用にできる。北海道では、アイヌによりトゥレプの名で食用にされ、アイヌ民族が用いる植物質の食品の中では穀物以上に重要な位置を占めていた。(一部引用)


オオウバユリ群生 2014.6.14 川連町小坂

今年はいつもの年より多くのオオウバユリが見られた。この場所は沢工事で瓦礫と沢石だらけの荒れ地だが数えてみたら15本も生えていた。花が咲く7月下旬に訪れたら、旺盛なつる性の野草に覆われて姿が見えなくなっていた。

オオウバユリは一度花を咲かせると鱗茎ごと枯れてしまう一回繁殖型植物といわれている。種から芽を出し、始めは一枚葉で1年を過ごし2年目、3年目と葉を増やし大きくなる。6~8年が過ぎた頃、150-200cmにも茎を伸ばし、蕾を作り一生に一度だけ開花し、一つの実に600個弱の種を作り枯れて一生を終える。この時、地上部だけでなく百合根(鱗茎)も姿を消す。子孫を残すため、7年ほどもかけて鱗茎に蓄えた栄養を花茎・花・果実に使い一生を終える。この地に来春も姿を見せてくれるのかはわからない。花が咲けないでしまったから、まだ一生が終わっていないことになりはしないか。来年も芽が出てきたら廻りの草を取り除き、いくらか手助けしてみたいものだ。


オオウバユリ 開花直前 2014.7.28 川連町黒森

漆の木の下に一本のオオウバユリ、廻りはつる性の野草に倒れてしまうが今年はミヨガの密生の中に出てきた。この場所付近には毎年その名に相応しい株に出合える。
 

オオウバユリ 開花 2014.8.3 川連町黒森

7月の集落の林道の草刈りで、何気なく草刈り機に刈られそうにそうになったのを想いとどめさせたら今回見事に咲いた。面白いのは花が横向きに咲くことにある。花はつぶれた筒状で開かない。花が満開になる頃には葉が枯れてくることが多いため、歯(葉)のない「姥」にたとえて姥ユリと名がつけられたといわれている。鶴田知也氏はこの説に満足できないと次のように書いている。『お家騒動の渦中にある幼君を守りぬいた「伽羅千代萩」の正岡のような乳母です。並はずれて背が高い茎の頂上に咲くその花も、思いなしか、忠義一徹で威厳ををそなえ、お色気なしの女丈夫といった身構えです。冬に入って、茎も果実もすべて黄土色になった姿には、為すべき一切を終わったという、りりしさを誇示しているように見えますものですから、私には「姥」ではなく、「乳母」が適切なのです』。

雪降りの中で毅然として個を主張しているように見える。鶴田氏のいう「伽羅千代萩」は「伽羅先代萩」の字違いだろうか。「伽蘿先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)は、伊達騒動を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目。通称「先代萩」といわれ、鶴田知也氏の「秩父路の野草冬春編」から人形浄瑠璃に足を踏み入れてしまったが、門外漢にはほとんど知ることのできない世界。


雪のオオウバユリ 2014.12.3 自宅

ウバユリの果実の中は何段にも棚になっていて少しでも触るとおびただしい種子が飛び散る。花は横向きに咲いて、果実は上向きとなる時期は何時なのだろうか。興味がつきない。枯れたオオウバユリ、間もなく雪の下に埋められてしまうので持ち帰った。周囲に多量の種子を土産にミニサンクチャアリの仲間となった。

今年の雪は降り始めから異常、当地方初雪は11月15日だったがすぐ消えた。12月2日に降り始めた雪、連日根雪ペースで降っている。明日の朝自宅前の枯れた「オオウバユリ」は、雪の中に隠れてしまいそうだ。



三好功一著「雑物園長の記」

2014年09月30日 | 地域の山野草
三好功一氏は「雄勝野草の会」の初代会長である。会員歴6年の自分は平成3年に亡くなられた三好先生との面識はない。しかし「雄勝野草の会」に入る前、昭和50年代から先輩達から三好先生のことは聞いていた。当時農業の自立、組合の再建等の日々の連続でそれほど野草にかかわることもなく過ごしてきた。会員になってから三好先生の関係した本を探していたら、このほど一冊の「雑物園長の記」(全)が秋田の古本屋にあることを知り手に入れた。

「雑物園長の記」(全)表紙と佐竹義輔氏の推薦のことば

第三部の「早春賦」我が家前庭の「ミニ野草園」の写真があった。この写真の左下に「こちゃるめるそう」の立札がある。果実が楽器のチャルメラに似ているからこの名がついたと云われるが、カタカナ書きの山野草の名に慣れたせいか、ひらがな書きで見るとなぜか別のものにも思えてしまう。

三好功一「ミニ野草園」全景

コチャルメルソウには以下の解説がある。
コチャルメルソウ Mitella pauciflora Rosend. (ユキノシタ科 チャルメルソウ属)コチャルメルソウは本州・四国・九州に分布する多年草。落葉広葉樹林の谷や斜面下部などの湿潤な場所に生育する。地下茎があり、群落を形成することが多い。葉は長さ2~5cmで長い柄があり、浅く5裂する。両面には立った毛が散生している。4月から5月にかけ、15~20cm程度の花茎をだし、5個前後の花を付ける。花の形はおもしろく、5つの萼の間から羽状に裂けた花弁が出ている。花茎や柄には腺毛が多い。種子はすぐに稔るようで、花が咲いたものもあれば、すでに種子が稔って果実が裂開しているものもあった。春早くから葉を展開して花を咲かせ、高木が葉を展開するまでの短い期間で種まで作ってしまおうということらしい。その後はじっくりと地下茎で確実な繁茂を目指している。


コチャルメルソウの果実  引用

「果実の形が楽器のチャルメラ似」から名がつけられた、見事な観察眼に納得してしまう。

145ページに「秋海棠全滅す」の記事がある。三好先生は大好きな花の一つと云う。我が家のシュウカイドウはあまりにも増えすぎてもてあましている。この花は20年ほど前、集落で環境衛生の消毒の当番になり、各家々を動力噴霧器を背負い家の周りを消毒して歩いた。主にハエの駆除が目的だった。ある家にいったらピンクの可憐な花が咲いていた。あまりにも印象的だったので少し譲ってくれないかと話したら、数日後数株届けてくれた。当時、花の名は知らず、後になってシュウカイドウの名を知った。


シュウカイドウと蜂 2014.9.10 自宅坪庭

ウィキペディアに次の解説があった。俳句では秋の季語として詠まれる。

秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり  松尾芭蕉

この花の色は確かにスイカの色に見える。シュウカイドウの花からスイカを連想するしたたかさに脱帽する。花言葉は、自然を愛す、恋の悩み、片思い、未熟。「片思い」はハート形の葉の片方が大きくなるところからといわれる。盆過ぎから咲きだしたこの花に接すると秋の季節を実感し、そろそろ田んぼの収穫作業の準備に入る。

「雑物園長の記」の317ページに湿原探究報告(2)「刈女木湿原」--新種ガリメギイヌノヒゲ--の記事がある。冒頭に帯屋久太郎の名歌が記されている。 

 
ふるさとを愛するものは故郷の土となれよと啼く閑古鳥  久太郎

故帯屋久太郎は湯沢市出身の歌人 歌碑は湯沢城跡本丸にある。この歌碑を噛みしめて多くの湯沢市民は地元で、また湯沢をはなれて座右の銘にしているものと想われる。故帯屋久太郎は明治の末、詩人山村暮鳥と文芸誌「北斗」を発刊した。全国から寄稿者があって俳句では萩原井泉水、久米三汀などがおり明治45年7月15号で廃刊になった。山村暮鳥は当時、協会伝道師として湯沢に滞在した。

刈女木湿原は羽後町田代梨の木峠の近くで、出羽丘陵標高350mにある約1haの湿原。この湿原には春先「ザゼンソウ」から始まり、夏の「サワギキョウ」の群落がある。当時未開拓のこの湿原を「原生花園」と呼んでたびたび足を運んだ。昭和48年(1973)三好功一氏は刈女木湿原に土田治兵衛氏と野草の調査に行った際に、土田治兵衛氏がこの湿原でホシクサ科の「イヌノヒゲ」を採集した。その時はこの種名がわからず、佐竹義輔博士鑑定をお願いした。佐竹氏は日本の植物分類の権威者でホシクサ科は専門分野だったという。(佐竹義輔氏は明治35年(1902)生まれ佐竹南家の第18代当主、植物学者。日本高山植物保護協会会長で湯沢市名誉市民。2000年3月没97歳)

佐竹義輔氏の調査の結果、イヌノヒゲの新種であり学会に発表、和名「ガリメギイヌノヒゲ」学名Taiocaulon tutidae Satake が正式に認められた。学名のtutidae Satake は土田、佐竹の名からつけられた。

ガリメギイヌノヒゲ 引用

平成26年1月7日、湯沢市グランドホテルで開かれた「創立40周年記念祝賀会」で、「雄勝野草の会」会長の土田治兵衛氏はあいさつの中で、『野草の会40年で「ガリメギイヌノヒゲ」の発見と学名につけられた名を大きな思い出』として紹介した。山野草を愛でる人は多くいる。しかし、新しい山野草を見つけ、学名に自分の名前がつくというような人はほとんどいない。昭和50年(1975)に会館した秋田県立博物館に、秋田県で発見されたホシクサ科植物 「ガリメギイヌノヒゲ」と「コケヌマイヌノヒゲ」の標本など貴重な資料が保管されている。発見から学名「Taiocaulon tutidae Satake」登録が早く関係者の熱意が見える。尚「コケヌマイヌノヒゲ」は湯沢市木地山高原にある苔沼で発見された固有種。どちらも植物学者。日本高山植物保護協会会長の佐竹義輔氏の功績は大きい。

こよなく山野草を愛でた、三好功一氏の昭和51年5月25日NHK秋田、ラジオ放送で放送した「西栗駒の湖沼群」を載せている。最後に以下のことばがあった。

 果てしない私の夢を
 それは
 ふるさとの湿原
 苔沼
 田代沼
 刈女木
 野草と語ることが余生を生きる私のたのしみ


特大な野草 オオベニタデとドガランポ

2014年09月25日 | 地域の山野草
数多くの野草の中でひときわ大きくなるものがある。「オオベニタデ」と「ドガランポ」(イタドリ)だ。真夏から初秋に。「オオベニタデ」の花は見事で、「ドガランポ」」の鬱蒼とした繁茂は夏を象徴している。

「蓼(たで)食う虫も好きずき」の ことわざがある。他に草があるにも係わらず辛い蓼を食べる虫も居るように、人の好みは様々で、一般的には理解しがたい場合もあるということの説明がある。蓼(たで)の親分みたいな「オオベニタデ」が、我家のミニサンクチャアリで異彩を放って立っている。10本ほどの塊で高さを測ってみたら250㎝もあった。7月の末ごろ頃から咲きだし、今が最盛期かもしれない。畑の雑草化したイヌタデは多くの人の目につくだろうが、この「オオベニタデ」になると異次元のものに見える。


オオベニタデ 自宅 ミニサンクチャアリ  2014.9.8

オオケタデ/オオベニタデ (大毛蓼/大紅蓼 タデ科 イヌタデ属 学名Persicaria pilosa 原産地:中国南部) 和名は大型で全体に軟毛が多いことに由来。観賞用に江戸時代に渡来したが、一部野生化して空き地や河原など庭以外のところでも見られる。 茎は太く、高さ1~3mにもなる。紅色の穂がたれるように咲き、鮮やかで目立ちます。葉は大きな卵形で長い葉柄を持ち、托葉梢の縁は無毛。夏~秋にかけて茎の先の大きな花穂に紅色の小花が密生し下垂する。花被片(萼)は5片、雄蕊7個、柱頭2個を観察。マムシの毒を解毒すると言われハデコブラの別名を持つ。毒虫に刺されたとき生葉を揉んでその青汁を患部に擦り込む民間療法がある。

始めはオオイヌタデかと思っていた。イヌタデは下記の写真で畑等に良く映える。別名アカマンマともいう。


イヌタデ 湯沢市川連町黒森  2014.9.7

「草木図誌」鶴田知也著の中に氏のイヌタデのスケッチがある。こよなく山野草に接し、細かいところまでのスケッチに脱帽してしまう。このイヌタデは多くの人の記憶にあるものと思うが、「オオベニタデ」となると植物でもなにか別格に思ってしまう。


鶴田知也「草木図誌」 いぬたで (画像クリックで大)

もう一つ巨大な野草がある。イタドリだ。イタドリ(虎杖、痛取、Fallopia japonica)とは、タデ科の多年生植物。別名は、スカンポと呼ぶ地方もある(茎を折るとポコッと音が鳴り、食べると酸味があることから)。花は白い。亜高山帯にあるのサシドリの仲間でメイゲツソウがある。メイゲツソウの花は淡紅紫色で円錐状に多数つく。 

秋田の県南ではイタドリとは言わず、「ドガランポ」という名で通っている。20年程前になるだろうか、かつての吉野鉱山で亡くなった人を弔ったという墓地で、高さが4mを超るような「ドガランポ」見てあまりにもその大きさにビックリしたことがある。その後院内銀山跡の「ドガランポ」に隠れてしまった墓地に遭遇した。「ドガランポ」の旺盛な生育に圧倒された。2.5mから3mは普通、4m以上ともなれば屋根の高さまで到達、茎の太さはチクワ並み。強風にもびくとしない強靭さに脱帽してしまう。鬱蒼の「ドガランポ」は森のような雰囲気、集団の繁茂は何か異次元の世界を形成している。

現在の吉野鉱山の墓地、院内銀山の墓地も地域の人たちが草刈をし「ドガランポ」は目立たない。きれいに管理されたてはいるが墓地はかつての栄華と悲しみを伝えている。


ドガランポ 横手清陵高校グランド東 2014.9.1

秋田県の由利地方は「さしぼ」といい、早春の芽を食用にし直売所に並ぶが横手、湯沢地方では食べる習慣はない。柳田国男著「雑草雑話」にはイタドリの方言は全国に百以上もあると記されている。イタドリの名は根茎が民間薬として使われ「痛み取り」、「疼取」からと云われて全国的に活用されたのが定着したのではと思われる。

横手市のふるさと栄会ホームページには以下の記述がある。

「草・木などの名前にみられる方言(2) どがらんぽ (いたどり/虎杖)あの戦時中、代用タバコの原料の葉となったのがこれ。≪どがらんぽ≫を知らない人はいないでしょう。植物名の「いたどり」を漢字で書くと <虎杖> をあてます。≪痛取≫からきたとする説もあって、生の若葉の薬効をいうようです。横手地方ではイタドリとはあまり言わず、もっぱら、だれでも≪どがらんぽ≫です。なんとも親しげで、たのしいひびきをもつ方言といえましょう。

『秋田方言』(昭和四年刊)に“横手・平鹿″の例として次のようにとりあげられています。

・どんから (平鹿) いたどり。
・どんがら (平鹿) いたどり。
・どんがからぽ (平鹿) いたどり。
・どんがらんぽ (平鹿・雄勝) いたどり。

『同書』には、“仙北”での用例として <でんすけ>(いたどり)をあげていますし、“由利”の例として <さしどり・さすどり>(いたどり)もあげているようです。横手・平鹿・雄勝での例としていろいろな言い方で示されていますが、ふつうの言い方として≪どがらんぽ≫が一般的なようです。県南に集中しているというのもおもしろいです。
、、、、、、、、、。

古名を「たぢひ」と言ったとある説をもとにして、『秋田方言辞典』では≪さしどり≫の項で、次のように考察しています。〔考〕 サシドリはイタドリの古名「たちひ」の転訛サシと、イタドリとの混交語であろう。[サシンドリ→サセンドリ→ササンドリ]と転ずる一方、[サシンドリ→サスンドリ→サソンドリ]、[サシンドリ→サセンドリ→サヒンドリ]と転じたもの。サシドリは[ドリ]の[ド]が鼻清音化を経て、鼻音を失うに至ったものであろう。
、、、、、、、。

この「どがらんぽ」の名付けについては不明です。解明はされていません。ですが、いかにものびのびした楽しいひびきには感心してしまうのです。≪いたどり≫は古くから漢字 <虎杖> をあてるのですが、実際太い茎のよく乾燥したものは丈夫で、山歩き用のりっぱな杖になります。 丈夫さからの名付けかも知れません。生のときは、ふとい茎は空ろになっていて、折ると音を立てます。そのよくひびく大きな音からの≪ドガラン ポン≫の名付けとばかり思ってきたものです。擬音語といえましょう。なんともたのしい名付けで、散歩道にはうってつけのひびきといえましょう。

イタドリは「疼取(いたみをとる)」で、地下茎に痛みを止める薬効があるとされての名である。タデ科 タデ属の多年草、中国、朝鮮半島、日本に分布して、日本では全国各地に生えている。オオイタドリは日当たりのよい荒地や斜面に生える雌雄異株の多年草。茎は太く中空で節があり、高さは2m近くになる。葉は広卵形でながさ6~15cmで互生し、裏面は緑色。8月~10月に、茎の先に円錐花序を伸ばし白色の花をつける。花言葉は回復、見かけによらないとある。花期8月~10月。 横手市 ふるさと栄会ホームページ(引用)

秋田県南言葉の「ドガランポ」をこよなく好きな名だ。イタドリ、メイゲツソウの名より体を表している。「ドガランポ」の名の響きは秋田県南人のある種の心意気をも表しているような気がする。「秋田のことば」秋田県教育委員会編によれば山形、福島で「どんがら」、「どてんがら」。長野で「どーとんがら」。新潟で「どんごろ」などがある。「どんがらんぽ」より「ん」の音がない、湯沢地方の「ドガランポ」は豪快な名だ。

「ドガランポ」の名の由来を知ることができないが、大胆な独善的な推論してみる。「ドガランポ」の茎は空洞になっている。中身のないことを空っぽということから、「ドガランポ」は空っぽと因果関係があると考えるのは自然なことだ。ウィキペデァアで「伽藍堂」を調べてみると『もともと伽藍神を祭る「伽藍堂」が語源といわれる。「伽藍堂のように何も無い」部屋などといわれた事から、そのように言われるようになった。本来は伽藍堂のように大きな部屋に何も無いことを指して言っていたが、近年では大きくない部屋でも「がらんどう」と言う場合も多い。 また、木の洞(きのうろ)のことも表す。樹皮がはがれて木のなかが腐るなどして隙間が開き、できた洞窟状の空間で、大きなものを指して言う』とある。

又、日本俗語辞典には『がらんどうとは建物の中に人がおらず、物もあまりない閑散としたさまを表す。がらんどうとはもともと寺院にある伽藍堂のことである。寺院のお堂は広く、人もあまりいないことからきた言葉であり、本来は寺院のように広い建物に人や物がないさまを指したが、最近では狭い部屋であってもがらんどうと言う。(「がらんとしている」の「がらん」も伽藍堂からきたものである)またこれが転じ、財布の中に何も入っていない状態、つまり無一文のこともがらんどうという』。

以上のような背景から「サシドリ又はイタドリ」の茎の空洞を「伽藍堂」と揶揄したのではとの推論も成り立つような気がする。胴が空っぽ、胴伽藍ぽにも結び付く。


ドガランポ 湯沢市 皆瀬川久保橋下 2014.9.5

「ドガランポ」のポは空っぽのポから来るものか、または本舗や舗道に使われている舗は。小学館の「大辞泉」によれば舗は「びっしりと敷きのべる」の意味があり、「ドガランポ」は単独でなく群生する。上記の写真で見るまでもなく高さが3mから4mにもなる姿は、他の野草を圧倒する大きな伽藍堂にも見えてくる。

鶴田知也著「画文草木帖」にいたどり(虎杖)の記事があり、正岡子規のイタドリの句が紹介されている。

  山かげの虎杖森の如くなり  子規  

この句に見られるように、集団で旺盛な「ドガランポ」はまさに野草の森、野草の伽藍堂と呼んでも違和感はない。

「オニノヤガラ」の塊茎

2014年09月06日 | 地域の山野草
「オニノヤガラ」(鬼の矢柄)の記事を昨年2013年07月11日 ブログに書いた。「オニノヤガラ」は秋田県で準絶滅危惧種に指定されている。今年も我家の杉林に出てきた。今年はカラ梅雨が影響したのかいつもより少ない。それでも20本は出てきた。6月の末に出てきた「オニノヤガラ」も8月になるとすっかり花も終わり下の写真のような姿になった。地上部分は枯れるが、地下にジャガイモ状の塊茎が残り、この中に含まれるナラタケの菌糸と共生しているために、オニノヤガラ自身で炭酸同化作用を行って栄養分を作る必要がないと云う。
 

 オニノヤガラ 塊茎 2014.8.9

一本の「オニノヤガラ」を掘ってみた。長さは110cm、塊茎はじゅがいも大で長さ12cm、幅8cmはある。開花したあと消滅すると云われているが写真の塊茎の先端部分は腐りかけていた。役目を終え新しい塊茎へ移行中だろうか。元の部分はまだ固かった。6~7月の開花期に、地中の塊根を掘り取り、薄く輪切りにして、天日で乾燥させたものを生薬名で天麻(てんま)といわれている。 

花の最盛期は下記の写真だから変わりようが激しい。腐生植物であり、光合成を行わず、葉緑素を持たない「オニノヤガラ」の特長かもしれない。花は黄褐色で筒状に膨らみ,茎の上部に総状に多数つけて6月から7月に咲く。


オニノヤガラ 開花 2012.7.9 湯沢市川連町坪漆

一般的には塊茎は開花した年に消滅する。表面に小さな芽を生じ、その芽が数年間地中で生育し肥大した後に、再び花茎を伸ばして花をつける。そのため生育する個体数は、年によって増減があると云われている。葉緑素がなく、葉は鱗片状でまばらにつき栄養物はナラタケ菌と共生して得ています。地上茎は黄褐色で直立し草丈は60~120cmです。花の終わったこの時期(8月)は一本の棒状になっている。

オニノヤガラ4本 花の後 2014.8.9

薬用には塊茎を用い、通常は蒸して乾燥させる。生薬名をテンマ(天麻)は強壮薬の他、頭痛、めまい、ヒステリー症、てんかん、手足のけいれん、リウマチの痛みなどの改善等に効能があると云われている。食べられると聞いたことがあるが食したことはない。未熟なジャガイモのようなザクザクした食感があり甘味もあるという。かつてはアイヌは食用にしていたとの記録がある。

昨年のブログ オニノヤガラ(鬼の矢柄)2013年07月11日で北京周報(1973)の記事を引用した。当時栽培が難しく「仙人の足」などと呼ばれていることを知り引用した。「オニノヤガラ」はナラタケ菌から栄養提供をうけて生活する菌従属栄養植物であるため、単独で鉢植えにすると栄養の供給が断たれて衰弱枯死する。しかし、共生菌を培養接種したキノコ栽培用原木を土中に埋設し、その隣に塊茎を植えつけた場合は育成が可能の記事があった。あの記事(1973)から45年も経過して中国ではすでに栽培が確立され、現在漢方薬材料として商業的に大量栽培されているといわれている。日本国内でも実験的には人工栽培が試みられているが、価格的に中国産に対抗できないため商業化はされていないという。

日本でも調査研究が行われている。ネット検索で以下の記事があった。
「オニノヤガラは共生菌が日本で最初に明らかにされた種です。共生菌は複数ありナラタケ菌のうち病原性が低い5種が知られています。これらの菌は腐生性が強い種です。オニノヤガラは種子発芽から幼株まで共生する菌と、その後親株にまで生育させる菌とが異なることがわかっています。発芽の時はシロコナカブリと共生し、薬草として栽培している中国では2種の菌を使い分けている」
北方山草会(北海道大学植物園 谷亀高弘)

秋田県で準絶滅危惧種に指定されている「オニノヤガラ」が、近くにあるのにある種の不思議さを覚える。ランの仲間というが普通栽培は難しく誰もほかのラン類のように盗る人はいない。一般的なラン類とはあまりにも違うものだから当然とも思える。集落でこの「オニノヤガラ」に関心はなさそうだ。それが中国では貴重な漢方薬材料として商業的に栽培が確立され大量栽培されている。生薬の材料としては極めて貴重だから、長年の試行錯誤で栽培が確率されたと云われている。

鶴田知也氏は著書「草木図誌」の中で『「神の矢幹」や「盗人の足」の異称がある。昔人が、これを見て、鬼だの神だのこの世にあらぬもの、あやしきものを連想したのは当然であろう。「盗人の足」について牧野図鑑に、「、、、、この種が転々として一定の場所に生えないので、足形にも見える根茎を盗賊の足にたとえてよぶ」とある。盗人の足といえば「ぬすびとはぎ」が頭に浮かぶ。このほうがもっとリアルである。その豆果が、盗人が忍び足のとき、足の側面を使うその足形に似ているからである。おそれいった観察と芸の細かい連想ではあるまいか』とオニノヤガラを取り上げている。

花色の緑青のものをのアオテンマ(青天麻、別名:アオオニノヤガラ、f. viridis)というそうだが,まだ出合ったことはない。何しろ出現率が普通見られる黄褐色の花の約10%といわれている。もしかしたら我家の杉林で、、、などと思いを巡らせている。




ヘビイチゴとキツネノカミソリ

2014年05月21日 | 地域の山野草
例年のごとく田植、代かき前の畦畔の草刈りをする。30アール区画の田んぼの畦畔の一角に「ヘビイチゴ」がある。その名にもかかわらず黄色の花は可憐だ。ほとんどの人はヘビは嫌いで「ヘビイチゴ」等に関心を示さない。自宅の田んぼの一角に集中して生えるこの場所の草刈りに、見事な黄色の花に出会うとついに草刈り機で刈るのを避けてしまう。黄色の花と云えば「タンポポ」が代表かもしれないが、この「ヘビイチゴ」の黄色もこの時期代表する畦畔の花と云える。

ヘビイチゴの花 2014.05.18

ヘビイチゴ(蛇苺、学名:Potentilla hebiichigo)は、バラ科キジムシロ属の多年草。語源については実が食用にならずヘビが食べるイチゴ、ヘビがいそうな所に生育する、イチゴを食べに来る小動物をヘビが狙うことからなど諸説がある。誰からも嫌われる蛇の名がついてしまった野草には迷惑な名かもしれない。いささか同情してしまう。

畦道や野原などの湿った草地に自生し、アジア南東部と日本全土に広く分布する。茎は短く、葉を根出状につけるが、よく匍匐茎を出して地面を這って伸びる。葉は三出複葉、楕円形の小葉には細かい鋸歯があって深緑。初夏より葉のわきから顔を出すように黄色い花を付ける。花は直径1.5cmほどで、花弁の数は5つと決まっている。花期は4月から6月。花のあとに花床が膨らんで光沢のない薄紅色の花床となる。果実の表面には多数の痩果が付き、赤色で球形、イチゴに似ている。一度食べてみたことがあるがほとんど味はない。

一方「キツネノカミソリ」は8月の花だが、この時期狭長の葉を球根から直接出して球根を太らせる。そして夏になると葉はなくなる。お盆の頃なると花茎を 30〜50cm ほど伸ばし端で枝分かれした先にいくつかの花を咲かせる。雌雄同花で花弁は橙色が 6枚。葉の形、花と葉を別々に出すところ、および有毒植物である点などではヒガンバナと共通するが、花の形、および葉と花を出す時季は異なる。花の時期には葉はない。


キツネノカミソリ 2014.05.18

いつの頃かわからないが自家の畑の側に生えていたのを数株、田んぼの畦畔に移植したがどうしたことかまだ花は咲かない。この時期葉が出てくるがどうやらまだ球根が小さいらしい。写真の葉の出はいつもより大きくにも見える。この秋あのダイダイ色の花が見られるかもしれない。何しろ移植後4年目も花が咲くのを待っているのだから。

自宅のキツネノカミソリの花 2013.08.23

このダイダイ色の花と黄色の稲穂とのコラボを田圃で見たいものだ。

さて、いよいよ田植となった。種まきから順調すぎるくらいの好天で育ってきた「苗」も田植直前になって極端な低温に見舞われ生育が一時停止状態。17、18日の気温は10度前後、畦畔草刈りは寒くてならなかった。昨日20日は23、4度まで回復した天気も、今日21日は朝から寒い雨模様。荒代かきは昨日で終わり、23日仕上げ代かきの予定で田植は予定通り25日からとなる。

長期予報の「エルニーニョ現象」で冷夏が予告されている。田植前の寒さは出穂時の低温を想定して、今後管理しなければならいと云う警告かも知れない。

雄勝野草の会創立40周年と大滝沢国有林

2014年01月25日 | 地域の山野草

雄勝野草の会が創立され40年になった平成26年1月7日、湯沢市グランドホテルで28名が参加し「創立40周年記念祝賀会」が開かれた。当日配布された資料「雄勝野草の会の歩み」に次のように報告されている。
昭和49年1月7日、雄勝野草の会初代会長三好功一先生の呼びかけで、湯沢雄勝理科研究会の会員を中心に18名で発足した。

昭和49年1月10日発行した雄勝野草の会会報第1号に「自然を愛し山歩きの好きな人、野草の自然のたたずまいを愛でる人、こういう人たちが気楽に集まって会をつくろう、こんな気持ちでできたのがこの会です。いつでもだれでも希望されるひとは入会できます。また、会を主催する行事に参加していただくことにして、自然を愛する人の輪を広げ、自然を保護することにひと役かいたいと思います」と記されている。40年経過しても今日的意義のある鮮やかな創立趣旨だ。

発足年の計画として4~5月に羽後町田代の刈女木湿原、6~7月には沼沢沼、7~8月には栗駒山、9月には秋の刈女木湿原を計画。刈女木湿原はザゼンソウが代表的だ。沼沢沼は国道398号線で宮城県との境付近に位置し、雄物川の支流皆瀬川の最深部に位置する。会報第一号で沼沢沼は「小安温泉湯元から枝道に入り車がきかなくなってから約4粁の地点にある沼」とあるが、もしかしたら大湯温泉から枝道ではないのだろうか。現在でも道らしい道もなく、ほとんど人が入ってないといわれている沼沢沼。本格的な植物調査を実施したら今でも珍種の山野草が期待できるのかもしれない。栗駒山麓は宮城、岩手、秋田の3県にまたがり高山植物の宝庫になっている。


創立40周年記念祝賀会の資料 エンレイソウとバッチの図案

40年間の活動をスライドで紹介、延齢草のテーブルが正面だった。昭和51年1月三好会長がエンレイソウを図案化し会の象徴としてバッチを作ったことにあるという。延齢草は「雄勝野草の会の花」になっている。野草の会の事業一泊観察会が昭和51年の早池峰山から、平成25年の第38回栗駒山一周まで振り返った。各山々の代表的な高山植物が鮮やかに紹介された。過去38回の一泊観察会で会員歴5年の自分の参加した山で想いだされるのが月山のヒナウスユキソウ、蔵王山でのトリガタハンショウヅル、岩木山のミチノクコザクラ、栗駒山麓のイチヨウランが印象的だ。

38回を数える一泊観察会は月山、栗駒山が5回、八甲田山が4回、早池峰山、蔵王山、駒ヶ岳、鳥海山、八幡平が3回、岩木山、森吉山、男鹿半島本山等が2回、吾妻連峰、安達太良山、高尾山が1回となっている。


祝賀会で野草の会の歩みの紹介

私の入会は第34回の月山への一泊観察会からで、初めての月山だった。姥沢コースからリフトで行き、7月の中旬だというのに残雪には多くのスキーヤーがいた。スキーヤーの横の急な雪渓を登ると姥ゲ岳について一息。木歩道を湯殿山コースと合流する金姥に下る途中にヒナウスユキソウと運命的な出会いとなった。アルプスのエーデルワイスと同じ仲間でドイツ語で「高貴な白」という意味を知って感激する。花びらがうっすらと雪が積もったような見える。
真夏に向かって岩かげに咲くヒナウスユキソウの和名、雛薄雪草は高山植物の女王と言われるコマクサより高貴な花のように思える。暑い夏に向かう季節の白い風情が独特。早池峰山にハヤチネウスユキソウがある。同じウスユキソウの仲間と言われるが、月山のこのヒナウスユキソウの大株は清楚で見事だ。ブログ月山登山(2009.8.11)で詳細。


ヒナウスユキソウ 月山姥ケ岳 2009.07.12

「花はヨーロッパのエーデルワイスと比べて花びら(苞葉)の幅が厚い。ウスユキソウ属の中では比較的綿毛が少なく、かぶっている雪が本当に薄い印象がある。日本植物分類学会では、ミネウスユキソウをウスユキソウの変種として扱っている」(引用)

東北地方のウスユキソウの仲間に以下がある。
ハヤチネウスユキソウ 早池峰山
ミヤマウスユキソウ(ヒナウスユキソウ)月山 鳥海山 朝日 
                   飯豊等 
ミネウスユキソウ 岩手山 焼石岳 
これらのウスユキソウの仲間に微妙な違いが見られる。湯沢から一番近い焼石岳のミネウスユキソウにまだ出会っていない。東成瀬の友人S氏によれば、焼石岳での「赤牛の放牧」が絶えてから見事だった山野草の面影が激減したという。特に焼石沼周辺は今ではササダケが密生し、最盛期の山野草の姿は想像さえできない状態になったと云う。厳しい自然環境の中で種族保存の山野草も、社会の動向に振り回されているようにも思えて痛々しい。

雄勝野草の会の活動は、旧稲川町とっても貴重な成果がある。「大滝沢国有林」のすばらしさを多くの人に知らしたことだ。秋田県の南東部、皆瀬川の支流の黒沢川上流にあり、湯沢市稲川地域に供給するすべての水道水を賄うと共に、農業用水等を下流の集落に供給しています。古くから水源かん養林として大切に守られてきたため、450種以上の植物が存在し、全国的にも極めて珍しい標高の低い場所にある天然ブナ林をもつ生態系豊かな森です。
面積:318.9ha、標高:250~600m、森林の種類:天然林100%、主な樹種:アカマツ・フ゛ナ・ミス゛ナラ・ホオノキ(針葉樹1%広葉樹99%)、 林齢:200年前後。

昭和55年9月30日の秋田魁新報「わだいのファイル」で「大滝沢を平地に珍しいブナの原生林」と大きく報道した。昭和55年「雄勝野草の会」会長の三好功一氏らの植物調査で、ブナ原生林や珍しい植物群落に驚いたことから秋田県自然環境保全審議会に報告、同会も参加して同年9月詳しい調査が行なわれ報道される事になった。この原生林が手つかずの状態で今日まで来たのは、江戸時代、佐竹南家が《水源涵養林》としてこの地帯の伐採を固く禁じ、その後もこの《禁令》の趣旨が守られてきたことにある。

その後、昭和五十七年(1982)秋田県自然保護課が「自然環境保全地域」指定の対象地として科学的な調査を行い、「自然環境保全地域等の調査報告(稲川町大滝沢地域の植物と地質)を」発刊し、「秋田県民の財産であり、自然保護、自然環境保全、学術的に」きわめて重要な地域としての立地とともに厳重な保護が望まれる」と報告されている。

さらに、「いなかわ地域・農業振興推進会議」稲川町農業振興推進指導員で農学博士成田弘氏が中心になって調査、多くの人に貴重な地域に関心がもたれようになり平成7年、林野庁が筒井迪夫・東大名誉教授(森林文化協会・森林環境研究会顧問)を座長とする「水源の森百選」検討委員会で、「大滝沢国有林」を選定した。

大滝沢国有林を地元は「東福寺山」と云っていた。雄勝野草の会が昭和55年の植物調査以来、学術的にも貴重な地域であることを多くの人に認知されるようになった。しかし、その後の気象変動、大雨などで荒廃、歩道も整備されていないので立ち入りが難しくなっている。「水源の森百選」に選定されている地が荒廃しつつある現状を憂慮、早急に対策が必要ではないのだろうか。雄勝野草の会調査から35年近くなって再調査の必要性を感じる。貴重な植物群落もある程度人の手を加えないと絶滅してしまう危険があるからだ。(一部2012.8.21古道・夏街道を行くと重複)

野草の会では昭和52年から、湯沢市中央公民館で山野草写真展を開催し今年で37回となった。会員が撮影した山野草は多くの人に感動を与えている。ひたすらにひっそりと咲いていた山野草、これだけの作品を一堂にすると日常の些細な出来事から解放された気分になる。


第37回雄勝野草の会山野草写真展 湯沢生涯学習センター 2013.11.16

歩みには40年間で三好功一、土田冶兵衛、藤原正麿、鈴木房之助、松田義徳、佐々木進、柳沢昭三、福島信治、藤原重栄、大日向貞英の各会員はそれぞれの分野で書籍、植物目録、新種発見、未確認種の発見、新聞、市町村広報誌に山野草の連載などで活躍したと結んでいる。会では昭和57年発行の「秋田県雄勝地方植物誌」(139科1223種)の改訂版の発行を発表した。湯沢雄勝の唯一の植物目録で40周年を記念して発行が待たれる。会員は現在51名。10年後の創立50周年を目指して、一人でも山野草に関心持つ人が多くなり会員が増えることを期待したい。







旧盆の山野草

2013年08月15日 | 地域の山野草
7月はじめからの梅雨空が40日近く続いてやっと晴天になった。自宅の杉林へ散策に出かけた。例年だとツナギやアブに悩まされ散策をあきらめていたが、今年はツナギやアブはいつもより少ない。以下はすべて我家の山林の山野草の紹介だ。前のブログにも書いたが杉林の間伐、天然林の下柴等の手入れが行き届いたのか、今まで気づかなかった山野草が見られるようになった。

真っ先にミヤマウズラの場所へ行く。ミズナラの木の下に数ケ所に2、30本は見える。今年はいつもより花が出揃った。


ミヤマウズラ 湯沢市川連町 08.13 

ミヤマウズラ(深山鶉、学名:Goodyera schlechtendaliana)はラン科シュスラン属の常緑の多年草。日本の地生のラン。
茎は地を這い,節ごとに根を張る。葉は,長さ5cmほどの先のとがった卵形で,地面近くに互生する。濃緑色の地に白い網目状の斑が入り,この様子がウズラの羽の模様に似ていることが名前の由来となっている。20cmほどの花柄を出し、10個ほどの鳥が翼を広げたような形の薄いピンク色の小花が並んで咲く。花柄や花には細かい毛が密生する。

名前に深山がつくが集落近くの里山にも生えるという。この写真は自宅から直線距離でせいぜい500mしかない所に毎年生える。


ホトトギス 湯沢市川連町黒森 08.13 

ホトトギス(杜鵑草:ユリ科ホトトギス属)山野の林下や林縁、崖や傾斜地などの、日当たりの弱いところに自生する。葉は互生し、楕円形で長く、葉脈は縦方向で、表面には毛が生える。花期は初夏から秋にかけてで、雌雄同花で上向きに咲き花被片の斑点を、カッコウ科の鳥のホトトギスの胸斑になぞられた名とされる。

ホトトギスは2、3日早ければ花が盛りだった。杉の下で少し薄暗く小さめだが花が咲いていた。


ヌスビトハギ  湯沢市川連町外坪漆 08.13 

ミズナラとブナとの間には少し空間があって、時々太陽の光が差し込む場所に固まって生えている。まとまっての花はどこかに風情がある。この野草の正しい呼び名がヌスビトハギと云うのか、いささか自信はない。あまり名誉ある名には思えないがここではそう呼ばせてもらう。

ヌスビトハギ(盗人萩、学名: Desmodium podocarpum subsp. oxyphyllum)は、マメ科ヌスビトハギ属の多年草。ひっつき虫のひとつである。近似種が多い。
和名は、果実が泥棒の足跡に似ると言う。奇妙に聞こえるが、あの牧野富太郎氏によると、古来の泥棒は足音を立てないように、足裏の外側だけを地面に着けて歩いたとのことで、その時の足跡に似ているからという。余談だが今日のドロボウはもっと緻密かも知れない。振り込め詐欺やネットでパスワードをも失敬して我物のすると云うのだから、ヌスビトの範疇に変わりがないのだが、話ならないくらい高度だ。反面、ヌスビトハギと命名した時代はもしかしたら文化的で、パワーは今よりズット高度だったかもしれない。

それにしても名がヌスビトハギ、花期は7-9月、茎の先端の方から数個の細長い総状花序をつける。下方のものでは、それらの基部には茎につくよりやや小さい葉がつく。花は長さ3~4mmほどの小さな淡紅色の花を細長い総状花序につける。


ミズヒキ 湯沢市川連町黒森 08.13 

ミズヒキ(水引、Antenoron filiforme、シノニム:Polygonum filiforme、P. virginianum var. filiforme)とは、タデ科ミズヒキ属の草本。
日本には北海道から本州、四国、九州、南西諸島まで全国各地に、日本国外には中国、ヒマラヤに分布する。低地の日当たりのよい林床や林縁、路傍等に生育する。日本では普通に見られる種である。多年草で、高さ30~80cm。茎の節部は膨らむ。葉は互生、広楕円形で、長さ6~15cm、先端は尖る。花期は8~11月頃。花は総状花序で、茎頂や葉腋から長さ20~40cmになる花穂を出し、それに小花がまばらに咲く。小花の色は上半分は赤色、下半分は白色である。和名はこの紅白に見える花序が「水引」に似ていることに由来する。

写真の水引は今の所上半分の赤色が主で長さは50cmは超えている。少し早いのか花弁に白色はまだよく見えない。このミズヒキが盛りになると秋を意識する。花穂が長さがこれほど長くなると、一日中だまって観察してみたくなる。自分にとっては秋を代表する野草の入る。


ヤブカンゾウ 湯沢市川連町黒森 08.13 

ヤブカンゾウは、平地や丘陵地の斜面、田畑の土手、道端、川縁、林縁などいたる場所に自生しています。 このように村落や都市など人間の生活圏に限って出現する植物を、専門家は「人里植物」と呼びオオイヌノフグリ、ホトケノザ、セイヨウタンポポ、セイタカアワダチソウ等も「人里植物」と云うそうだ。

ヤブカンゾウは中国原産の多年生草本であり、栽培されていたものが野生化している。花は八重咲きで、3倍体なので結実しない。種子で増えることはないので、過去に栽培されたものが生き残った。匍匐茎を出して広がり、群落を形成する。若葉と花は食用になり、乾燥させて保存食にした。また、利尿剤として民間薬として利用されるそうだ。よく似た種にノカンゾウがある。ノカンゾウの花は一重であり、結実する。

写真のヤブカンゾウは、去る7月7日実施された麓集落事業で草刈りされた場所で、その後再生したものだ。だからまだ約一ケ月ほどで小ぶり、それでも花が咲いた。真夏を代表する野草だ。


キンミズヒキ 湯沢市川連町外坪漆 08.13 

キンミズヒキが咲きだした。いつもだとツナギの大群に合うので遠慮していた場所。その数は近くにあるミズヒキよりも多い。金色の花が何か優雅に見える。黄ではなく金ミズヒキの命名が抜群だ。その花をジット眺めると金色のビロードのように見える。名をつけた人に脱帽してしまう。

キンミズヒキは北海道から九州、樺太・朝鮮・中国・インドシナなどに分布する多年草。山道の側など、やや自然性の高い草地に生育する。葉は5~9個の小葉に分かれ葉の付け根には明瞭な托葉がある。夏に茎を立ち上げ、8月頃に黄色い花を咲かせる。花の直径は6~11mm。果実はの上縁には長さ3mm程度の棘がたくさんでき、これで動物等にひっついて散布される。あまりしつこい付着力はないが、これもひっつき虫の一つである。


キンミズヒキ、ヌスビトハギ、ミズヒキ 自宅居間 08.13

キンミズヒキ、ヌスビトハギ、ミズヒキの3種が我家の居間にさりげなく飾られたのがお盆の13日。墓参りの後一杯しながら眺めるこれら野の花はこの盛夏の主役達だ。ただ、名前からしてヌスビトハギが少々気になるが、まずはなかなかの花に免じて堂々と主役に加えたらうまく調和したようだ。

ヒメジョオンとTPP

2013年08月13日 | 地域の山野草

「おいらはヒメジョオン。嫌われものだ、路にも、野にも、お山にも、田舎都会の区別なく、どこにも生えるヒメジョオンさ。ザマーミヤガレ、イッヒィヒィヒ、、、、、。」
この文章「ヒメジョオンの独り言その一」を「続・草木によせて」天声社(2006)で見つけたとき、ヒメジョオンのこれまでの日本の国土に浸透した経過を振り返ると、将来TPPに突き進む日本の姿とダブッて見えたので「ヒメジョオンとTPP」を今回のテーマとした。これはいつもの独り言に過ぎない。

ヒメジョオン(姫女苑、学名: Erigeron annuus)は、キク科ムカシヨモギ属の植物。背の高さが50-100cmにもなる、白い花を咲かせる一年草である。同属のハルジオンと共に、道端でよく見かける。
若い時期は、根本から長い柄のついた丸みを帯びた葉(根出葉)を付ける。やがて、茎が高く伸びると、根本の葉は無くなり、茎から出る細長い葉だけになる。茎と葉は黄緑色で、まばらに毛が生える。、、、、1個体あたり47,000以上の種子を生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっている。したがって、駆除がとても難しい。
北アメリカ原産で、ヨーロッパ、アジア(日本を含む)に移入分布する。

日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草化していた。現在では全国に広がり、山間部にも入り込んでいる。在来種の植物の生育を邪魔する可能性があり、とくに自然豊かで希少な植物が多く生育する国立公園や亜高山帯では問題となっている。そのためヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。


鶴田知也「わが植物画帖 第一集」市民新聞社 (1972)引用

鶴田知也氏は「わが植物画帖 第一集」でヒメジョオンを紹介している。直筆のめずらしい本だ。

ひめじょおん 
東京の空地という空地は、ひめじょおんの天下である。濁った空気も何のその、適者生存の理を地でいく勢いが、せん細な花冠は、ほのかに紫色をおびていじらしい。「あたしみたいなものしか育たないひどい環境なのね」といってるようだ。


ヒメジョオン 湯沢市駒形町 08.10

8月、農道のヒメジョオン一度刈り払われて再度成長し花が咲いている。このまま経過し花が終わると種子には冠毛があるため、たんぽぽと同じように風による伝播が起こり、遠くまで種子が拡散される。1個体あたり47,000以上の種子を生産し、さらにその種子の寿命が35年というのだから、繁殖拡散は他の植物を圧倒する。どこにでも現れるヒメジョオン、鉄道草、貧乏草ともいわれるこの外来植物。貧乏草の仲間にヒメムカシヨモギ、ハルジオン、オオアレチノギク等の草もある。これらの草は一旦侵入されと絶えることがないくらい繁殖し、荒れ狂う。

「ザマーミヤガレ、イッヒィヒィヒ」を読んで、ヒメジョオンが日本の国土の隅々まで制覇したように、TPPに突き進むこの国が「ザマーミヤガレ、イッヒィヒィヒ」の世界へとのめりこんでいく様を連想してしまった。

突如表面化したTPP。前の政権が言い出し、作為的なスローガンで参院選を制止した政権は、多くの国民が懸念した方向につき進んでいる。
TPP交渉は、日本が米国の要求を丸呑みする形となり、完敗することは目に見えていると言われている。「完敗」と見るのは国民の立場からで、市場原理主義の安倍政権としては予想通りの展開かもしれない。政権維持には米国の支持が欠かせず、米国と一体化し日本市場を米国企業の草刈り場として差しだそうとしている。すでに日本郵政と米保険大手アメリカンファミリー生命保険(アフラック)は7月26日、がん保険事業の提携を強化すると発表した。これも一例で、あの国は郵政事業等への進出の前哨戦にしか過ぎないだろう。

ヒメジョオンが1865年ごろ鑑賞植物として日本に入り約140年、山も川も里もまたたく間に、この国の空き地をという空き地を制覇したように、TPPへの今日の動向はこの国の行く末を象徴しているような気がしてならない。消費税増税、憲法改正論議その先の姿は推して知るべし。

この政権は前の政権以上にとんでもない政権の名にふさわしい。政治不信は先の参院選のように低投票率で推移するのか、それとも糾弾行動への幕開けが近づいてきたと見るべきか、、、、、。


7月の田んぼの花と「アカトンボ」

2013年07月19日 | 地域の山野草
田んぼの見回り途中、畦畔の「ノコギリソウ」に「ベニシジミ」が止まった。危なく足をかけそうになって慌ててよけ、狙い定めてシャッター。蝶に特別な感情はないのだが、「ノコギリソウ」の白にチョウの紅が調和、一瞬見惚れた。この「ノコギリソウ」は平成に入る前、「減反強化」の対策で地域に「転作組合」を結成。事業として増え続ける転作で田んぼの風景が激変する中、通学路でもある集落の本道の両側に、「子供たちと農家の職場に花」をのキャッチフレーズで昭和62年、25種類の草花の種を蒔いた。25種類の種は当時減反強化の中で「景観作物」として種苗会社が売り出したものを求めた。25年以上経過して残ったのは「セイヨウノコギリソウ」「マツヨイグサ」「キヌガサギク」の三種だけになった。その中で「セイヨウノコギリソウ」は道路から100mも離れた排水路側にも定着した。


 ノコギリソウにベニシジミ 07.16 湯沢市川連町田屋面

「ベニシジミ」は前翅は表裏とも赤地に黒褐色点があり、後翅は表面が黒褐色で、裏面は灰色の「シジミチョウ」。春に現れる個体は赤っぽく、夏の個体は黒っぽい。秋には両方のタイプが見られる。原っぱや畑の周辺など、開けた明るい環境に多い。地面近くを飛び、いろいろな花でよく吸蜜する。幼虫の食草は、スイバ、ギシギシなどと言われ、これらの草は私の水田の排水路側に多い。

そして、今年も「アカトンボ」の誕生の時期がやってきた。「アカトンボ」は一般的には「アキアカネ」のことで胸の部分に黒く太い模様がある。「ウスバキトンボ」にはこの太い模様はない。「アキアカネ」のように赤くならず、ややくすんだ橙色をしている。「アキアカネ」が「トンボ科アカネ属」で、「ウスバキトンボ」は「トンボ科ウスバキトンボ属」で区別されている。一般的にいう「アカトンボ」を「ウスバキトンボ」を含めてよんでいるが、「アカトンボ」というトンボはいない。このブログでは通称の「アカトンボ」で記録している。

今年も7月5日ころから盛んに誕生。今年の発生は昨年以上だ。「アカトンボ」はコンバインでの稲刈りの田んぼより自然乾燥の田んぼに確実に多い。その数推定だが2~3倍にも見える。コンバインの稲刈りでイナワラに隠れる田んぼよりも、自然乾燥の田んぼでは産卵場所が多く、産卵場所が多くなることは過去のブログにも書いた。H君の田んぼコンバイン刈りから稲の自然乾燥に切り替えて3年目だ。青田の明渠ほり作業で稲の株間から飛び立つ、「アカトンボ」の多さに驚いていた。


 赤トンボ 誕生 07.16 湯沢市川連町田屋面

これら田圃で生まれた「アカトンボ」は集落や里山に移動、間もなく高い山々に移動する。そして9月に入る頃からまた田んぼに戻ってきて、ペアを見つけて産卵しその一生が終わる。

いつもこの時期見られる「ネジバナ」は30a5枚の田んぼ15000㎡、畦畔は計算上約700㎡中この2本しか見渡らない。今年はなぜ少ないのかはわからない。この「ネジバナ」の周りの草は間もなく刈られてしまう。


草の中のネジバナ 07.16 湯沢市川連町田屋面

「ネジバナ」ラン科の可憐な花だ。ネジバナの花言葉は「思慕」。意味深な世界。
ネジバナ」かつては、麓の田んぼの至る所にあったと云うことを村の古老から聞いていた。田んぼの圃場整備以降見ることが少なくなったと言うが、そうではなく現在田んぼ作業する人達に、田んぼの草花に関心を示す人が少なくなったことにある。
あの「タンポポ」の花は多くの人たちは残したが、この「ネジバナ」は15㎝程で小さく他の野草に隠れるように咲く。注意しないと見過ごしてしまう。探し出して教えると「きれいな花」だというが、その多くは他の草と一緒に刈られてしまう。

「ネジバナ」は一般的に次のように紹介されている。
『湿っていて日当たりの良い、背の低い草地に良く生育する。花色は通常桃色で、小さな花を多数細長い花茎に密着させるようにつけるが、その花が花茎の周りに螺旋状に並んで咲く「ねじれた花序」が和名の由来である。「ネジレバナ」、「ネジリバナ」、「ねじり草(そう)」とも呼ばれる事もある。学名の Spiranthes(スピランセス)は、ギリシャ語の 「speira(螺旋(らせん))+ anthos(花)」に由来する。右巻きと左巻きの両方があり、中には花序がねじれない個体や、途中でねじれ方が変わる個体もある』

右巻きと左巻きの比率は大体1対1であると云う。白花もあるそうだが、販売されているもの以外まだ見たことがない。増えてほしい花だがなかなか増えない。昨年は数か所で10本程咲いたのだが、今年の2本は近年では最低。田植後の高温、旱魃気味が「ネジバナ」の生育に影響したのか。「ネジバナ」は万葉集にもでてくる。詳しくは (http://www.hanajiten.com/nejirebana.html)等へ


 キヌガサギク 07.16 湯沢市川連町田屋面

「キヌガサギク」長い期間、正確な名はわからないでいた。今回「雄勝野草の会」の鈴木房之助氏に調査を依頼したら、北アメリカ原産の帰化植物「キヌガサギク」(別名アラゲハンゴンソウ 和名 粗毛反魂草)という名であることがわかった。少なからず「反魂」と云う言葉に釘づけぎみだ。古語辞典によれば、反魂とは「死んだ人の霊魂をよび返すこと」という。この「キヌガサギク」との関連はどこから?などと興味がつきない。
そして、花言葉の「公平・正義・正しい選択」は、通学路にふさわしい野草かもしれない。この花の咲く期間が長く、コメの収穫期まで続く。25年ほど前の播種後約600mの町道両側にビッシリ6月後半から9、10月まで咲き誇ったこの黄色の花は壮観だった。

25年前後経過して現在残っているのは私の田んぼの道路側約100mに数十株のみだ。どこにもありそうなこの花、当時特に考えることなしに、ヨーロッパ原産という25種類の花の種まきを提案した自分が、もしかしたら生態系に影響を与えたかもしれないという反省がどこかにあった。他の人同様に絶やすことは比較的簡単なことだが、25年以上前から通学路に定着したこの花をどことはなく愛おしくなり、毎年数回の草刈りに注意して残すようになってしまった。
鈴木さんによれば1930年代に北海道に導入され、今では九州まで分布が広がっていると云う。

さて、田んぼの稲はいよいよ出穂期をむかえる、7月下旬は「カメムシ」防除の時期になる。「カメムシ」は稲穂から養分を吸汁し屑米や斑点米を形成する。被害のコメは一般の消費者のわたる前に選別されるので見ることはすくない。農家にとっては被害米が多いと売渡価格にひびくのでもっとも嫌われている害虫だ。今年は稲の生育期が高温で経過し「カメムシ」の繁殖が旺盛になり、発生量も多くなるといわれている。

指導機関は「稲が出穂する10~15日前までに農道や畦畔、休耕田等の雑草を刈り取る」ことを呼びかけている。農家はこれらの対策のため一斉に草刈り作業に突入した。稲川周辺では田植後2回目の草刈りとなる。この20日、21日の土、日が最盛期となりそうだ。自分の場合、花の咲いている野草はなるべく選択して残すようにしているが、他の人はこの時期田んぼの野草のほとんど刈り払ってしまう。

そして「あきたこまち」の出穂を迎える。


オニノヤガラ(鬼の矢柄)

2013年07月11日 | 地域の山野草
今年も「オニノヤガラ」(鬼の矢柄)が顔を出した。
「オニノヤガラ」腐生植物であり、光合成を行わず葉緑素を持たない。地下の塊茎は長さ10cm前後の楕円形で、表面には多くの節がある。茎は直立し、帯黄褐色で、高さは40-100cmになり、円柱状の茎に膜質の鱗片葉をまばらにつける。きのこのナラタケと共生しているといわれている。花期は6-7月で、黄褐色の花を茎の先端に20-50個総状につけ、下方から開花していく。花は3萼片(外花被片)が合着して壷状になり、中に2個の側花弁と卵状長楕円形の唇弁がある。

生きているものから養分をとって生きる植物は寄生植物といい、死んだもの、腐ったものから栄養をとつて生きる植物を腐生植物という。「きのこ」のナラタケと共生し、この菌糸を通して養分を取り入れていると云う。

2012.07.04 開花 湯沢市川連町外坪漆

「オニノヤガラ」が我家の山林に生えるのを知ったのは、ここ10年ほど前からだ。一般的に雑木林に生えるというが、自宅のは杉の林だ。それまでは田圃や山林の山野草にそれほどの関心はなかった。この場所は平成4年と17年に、雄勝地方森林組合に委託して間伐作業をしてもらった。それまでの杉林は密生し薄暗いほどだったが、間伐作業を通して杉の林に陽があたるようになり、様々な山野草が見られるようになった。ヤマユリ、クルマユリ、ホウチャクソウ、イカリソウ等。その中に「オニノヤガラ」があった。初めて見たときは少なからずビックリした。異様な姿だったからだ。自宅の山林も特定の場所でしか確認されない。集落の一番近い林道の側に生える。

鬼の矢柄、学名:Gastrodia elata )は、ラン科オニノヤガラ属の多年草。ラン科とされるが、一般的な蘭とは全く違う。茎を矢に見立て鬼の名を冠につけたこの植物は珍しい部類に入る。

先日、集落で林道の草刈りが集落総出で行われたが、多くの人はこの「オニノヤガラ」に関心を示さない。もちろん名前もしらない。自分の知る限り集落を象徴する鍋釣山や、内沢方面では見たことがない。カシカ沢周辺の限られた範囲でせいぜい500㎡位の場所だ。今年の発生はいつもより遅めだった。旱魃も影響したのだろうか。昨日の観察で「オニノヤガラ」の花は終っていた。

2013.06.24 開花前 湯沢市川連町外坪漆

光合成をせず、葉緑素を持たないのは前回ブログの「ギンリョウソウ」と似た所もあるが、その姿はまるで違う。「オニノヤガラ」はきのこのナラタケと共生するといわれるが、ナラタケは「きのこ」ではどこにでも生え、特に珍しいきのこではない。このきのこ、ナラタケを地元では「サワモダシ」と云う。「サワモダシ」の範囲は意外と広い。かといって「サワモダシ」が多いと言っても「オニノヤガラ」が多いわけではないようだ。「ナラタケ」菌と何か別の要素が加わってこの「オニノヤガラ」は発生することになる。

「オニノヤガラ」について下記の記事があったので引用する。

『用途の広い植物で、高価な漢方薬にもなり、目まいや、中風による半身不随などに効き目がある。これまでは、野生のものを採集して薬用に供してきた。以前、これを栽培しようとした人もいるにはいたが、みなうまくいかなかった。この植物が「いつのまにか消えてなくなる」といわれていたのは、その栽培がたいへんむずかしかったからだ。そこで、「仙人の足」などという摩訶(か)不思議な名前で呼ばれるようになったわけである。プロレタリア文化大革命のなかで、われわれは「中国の医学と薬学は偉大な宝庫であり、その発掘と向上につとめるベきである」という毛主席の教え』
(http://www.sinoperi.com/beijingreview/Articles-Details.aspx?id=10709&lang=JN)北京周報 

「仙人の足」という名。奥が深い。「ギンリョウソウ」も一部の蘭も、他の菌と共生するといわれる。共生する植物は栽培が難しとされる。「オニノヤガラ」は秋田では準絶滅危惧種に指定されている。
 



イチヨウランとユウレイソウ

2013年06月30日 | 地域の山野草
秋田県の貴重な絶滅危惧種に指定されている「イチヨウラン」、「オノエラン」、「ギンラン」と「ギンリョウソウ」(銀竜草)別名「ユウレイソウ」の群生にであった。
2013.雄勝野草の会の研修は06.21~22に湯沢市皆瀬~東成瀬村須川湖~宮城県栗駒市のイワカガミ平、世界谷地、文字集落、国道398号線沿いの田代沼を回る一泊2日の日程で開かれた。

今回の主役は「イチヨウラン」だった。

写真は「イチヨウラン」雄勝野草の会副会長鈴木房之助氏撮影

鈴木氏は数年前の毎日新聞秋田版「ふるさと花の彩り」133に、「イチヨウラン」を次のように紹介している。
「これは、深山の林下に生えている野生ランの一種です。葉の根元に葉が一枚だけなので、その特徴をとらえて一葉蘭の名前となりました。当地では生育個所が少なくて、確認されている場所は2カ所だけです」

新聞の写真は過去のものを使用だったが上記の写真は今回のものだ。鈴木先生から頂いて、素晴らしい「イチヨウラン」の写真だったのでブログで紹介。

さらに記事では「花の大きさは4センチぐらいで、上の方開いているがく片と、斜め下の方に下がっている側花弁の5枚が大の字を表すように開いてシュンランの花とよく似ています。花の中央には白色の唇弁と呼ばれる部分が下方に垂れています。唇弁の上部には大きな丸い黒紫色の斑点があるので、唇弁全体は大きな愛くるしい目玉を付けた牛の顔ににていませんか。このイチヨウランは秋田県の絶滅危惧種に指定されている貴重種です」

葉が一枚の山野草はそれほど多くはない
「イチヨウラン」は「シュンラン」に似た花と、葉柄をもつ葉は1枚が地表近くに展開し,やや多肉で長さ3~5cm,幅3~4cmの卵形が特徴。他に一枚葉の蘭に「サイハイラン」があるが「イチヨウラン」の葉とはまるで趣は別だ。「サイハイラン」の葉は長さ15-35cm、幅3-5cmで先端は尖っている。
その他、良く目にするカタクリは発芽1年目の個体は細い糸状の葉を、2年目から7-8年程度までは卵状楕円形の1枚の葉だけで過ごし、鱗茎が大きくなり、2枚目の葉が出てから花をつける。発芽から開花までには7-8年を要する。

今回「雄勝野草の会」の研修後、翌日さらにもう一度「イチヨウラン」観察に出かけた。愛用のニコンで撮影の臨んだがとても鈴木氏の写真には及ばなかった。その足で散策した田代沼、栗駒山賽の河原でギンランとオノエランにも遭遇した。道路端の「ギンラン」も少し弱々しく見えたが、倒木の陰で必死に立ち上がろうとしていた。「オノエラン」は下記の写真の2株と少し離れてもう1株、「イチヨウラン」とは違う複数の白い花は気品があった。

「ギンラン」〈銀蘭〉 ラン科 ギンラン属
生育地 : 山 地 花 期 : 5~6月 準絶滅危惧種  
山地の林下に生える多年草。 草丈:20~40cm
茎は円柱形で直立する。葉にははっきりとした葉脈があり、細長い楕円形。苞白い花が5~10個付く。唇弁の基部は短い距となり、上部で3裂する。花序の基部にある苞は花序より低いのが特徴。 苞や葉は無毛。似たのではササバギンランより小型。苞は花序より高くなる。

「オノエラン」〈尾上蘭〉 ラン科 ハクサンチドリ属
生育地 : 山 地 花 期 : 7~9月 (絶滅危惧種 I B類)
高山帯の岩場や草地に生える日本特産の多年草。草丈:10~15cm
茎の基部には、光沢のある長楕円形の葉が2枚を対生状付く。葉の基部は鞘となって茎を抱く。茎の先端に3~6個の白い花を総状に付ける。 唇弁の基部に「W」の形の黄色い斑紋がある。
山の上に咲くの蘭の意。

 栗駒山 賽の河原 06.23

今回、「イチヨウラン」、「ギンラン」、「オノエラン」と同じ日にであったことは貴重な体験だった。

「ギンリョウソウ」〈銀竜草〉別名「ユウレイソウ」は蘭とは違う。一般的な植物とは異なる。姿から別名の「ユウレイソウ」の方がふさわしい名にも思える。

ギンリョウソウ〈銀竜草〉イチヤクソウ科 ギンリョウソウ属
生育地 : 山 地 花 期 : 5~8月
山地の林内の湿った薄暗いところに生える腐生植。草丈:20cm
全体が白色で葉緑体をもたない。茎は直立した円柱状で、葉はすべて鱗片になり、10~20個互生する。茎の頂部に筒状鐘形の花を1個だけ下向きにつける。萼片は1~3枚で鱗片状。花弁は3~5枚で肉質。果実は卵球形の液果。
和名は釣り鐘型の花と鱗片葉に包まれた姿を竜に見立てたもの。


宮城県栗駒市 世界谷地への散策路(06.22) 写真(携帯)

世界谷地へ向う散策路で「ギンリョウソウ」の群生に遭遇する。「ギンリョウソウ」にはこの時期毎年のように出会う。しかし、世界谷地に向う散策路の「ギンリョウソウ」はすごいとしか表現できない。長さが約1mにすじ条におびただしい数の群生。少し離れた所のものは3~40本の塊。そして、翌日の国道398号線沿いの田代沼から、樹齢800年と言われるている3本杉までの旧小安街道にも無数の「ギンリョウソウ」があった。葉も無く白い鱗片はキノコのようにも見える。これほど多くの群生に出会うと、不思議な感覚にもなる。どこかに「グリム童話」の世界に迷い込んだような錯覚にもなる。集団の「ギンリョウソウ」が、一斉に何かを語りかけるようにも見えた。

「ギンリョウソウ」は周囲の樹木と外菌根を形成して共生するベニタケ属の菌類とモノトロポイド菌根を形成し、そこから栄養を得て生活すると言われる。この大量発生は今年の天候の影響だろうか。

田代沼周辺は先日「ネマガリタケ」のセシウムが110ベクレル/㎏検出された場所だが、まさかそれとは関係はないとは思う、、、が。




「タンポポ」と「ムラサキサギゴケ」

2013年05月28日 | 地域の山野草
田植が最盛期から後半に入った。低温で苗の遅れ等で例年より一週間ほどの遅れの作業となった。田植の前は代かき作業、その前は耕耘作業だ。かつては田植前までの作業を地域では「春農(はるのう」と云った。田植作業になれば「さつき」と云った。「春農」は辛い仕事だった。
田圃を耕す耕耘の前は堆肥散布、肥料散布、畦畔ケズリ、田圃へ水引、水不足だと夜半まで水引、水漏れ防止のため畦畔ぬり、代かき荒代かき、植え代かき二回でやっと田植を迎える。この作業は20日から一ケ月近くもかかった。

それが現在はトラクターで耕耘、代かき作業アッと間に終わり、有機栽培以外堆肥散布はない。肥料は施肥機つき田植機、畦畔塗りもトラクターか、黒マルチを専用道具で張るから畦畔から水漏れはほとんど問題はない。

かつての「春農」になかった作業が生まれた。25年ほど前からだろうか。水漏れ防止の黒マルチを張るために雪消えから伸びた畦畔草刈り作業が入った。地域で畦畔マルチが導入されたのは昭和62年のことである。山形県庄内地方で始まったマルチ専用機のニュースを知り始められた。畦畔塗り作業は重要な作業で圃場整備後も続いていたが、畦畔マルチが入ってくると畦畔塗り作業は消えた。

畦畔にマルチを張る作業は画期的な道具だった。丸い円盤状にマルチビニールの端を引っかけ押していくと、畦畔沿いの心土までビニールが埋まるから水漏れが防止できる。
今ではほとんどがこのマルチ張りは田植後作業する。そのために田んぼに水を入れる前に畦畔の草を刈る作業が行われるようになった。
草を刈るといっても、まだ草の小さい畦畔の草刈りは土や小石を弾き飛ばしていく。この作業をしておくと田植後のマルチ張りがしっくりと畦畔になじむので、その後の草の成長が抑制され管理がやりやすくなるのだ。

畦畔の野草も種類が多様だ。ヨモギ、ヘビイチゴ、スギナ、フキ、ドクダミ、セリ等。
耕耘の後草刈りの終わった田圃に今年は面白いことに遭遇した。ガラス会社勤務のT君、土木建設勤務のI君、JA勤務のN君、勤めながら「あきたこまち」を作っている。出勤前等に畦畔の草刈りの中で「タンポポ」を残したのだ。
天に向かって咲きそろう花に共感、刈るのを惜しんだのかもしれない。まだ草丈の短いこの時期、「タンポポ」の草丈が一番高い。

刈られるのを免れた満開の「タンポポ」。その中でガラス会社勤務のT君の残した「タンポポ」は、花の数が30個もある見事のものであった。



N君の排水路側の「タンポポ」鍋釣山をバックに野を飾る



「タンポポ」にそれほどの想いのなかったが、ここまで周囲に刈られないで咲き誇っている「タンポポ」が多いとなにかしら敬意を感じ、残した人達の優しさを想う。

「タンポポ」を調べてみると

「属名のタラクサクム(Taraxacum)は、ペルシャ語のタルフ・チャコーク(talkhchakok)が中世ラテン語になった言葉で「苦い野菜」という意味からきている。
日本名 「たんぽぽ」または「タンポポ」漢字では「蒲公英」 と書く。
英語名 「ダンデライオン」(dandelion)dandelionはフランス語の「ダン・ド・リオン」(dent-de-lion)"ライオンの歯"からでて、タンポポの葉の縁の欠刻(ぎざぎざ)がそれに似ているところからこのように呼ばれることになった。

日本名の由来 「タンポポ」の名前の由来については諸説がある。有力なのは、頭花を鼓に見立て「タン・ポンポン」と音を真似たというもの。茎の両端を細く裂き水に浸けると鼓の形になるため、と言う説もある。他に、「タンポポ」の冠毛の形が昔日本にあった「たんぽ槍」に形が似ているところから名づけられたとする説もある。
さらに、日本名の「タンポポ」は、現在中国で「婆婆丁」(ポポチン)と呼ばれているが、そう呼ばれる以前香気を意味する"丁"が上に置かれて「丁婆婆」と呼ばれていた頃日本に伝わった名前ではないか、とする説もある。

花言葉 ヨーロッパでは、子供が「タンポポ」の白色の冠毛のついた実を吹いて占いをしたところから、花言葉として「いなかの神託」あるいは「幸福を知らせる花」となっている。
また、冠毛を一息で吹き飛ばせたら恋が成就するとも言われている。白い乳液を手につけると乳の出が悪くなるとの伝承もある」
(たんぽぽの名の由来)
:http://www.geocities.jp/tampopo7007/namae.htm 引用

「タンポポ」の葉のぎざぎざがライオンの歯に似ているとの発想は今までなかった。「タンポポ」と云えばその花が中心で、葉を意識してみることはなかった。よくよく見ると他の植物に見られない不思議な形をしている。ライオンの歯の形と似ていると言われればそうにも見える。そして「タンポポ」は「セイヨウタンポポ」主流で、在来種が駆逐されてしまったの感があったがそうでもなかった。在来種との交雑種もあるそうだ。

「セイヨウタンポポ」は在来種よりも生育可能場所が多く、かつ繁殖力が高いが、その反面で多くの在来種よりも低温に弱く、初春から初夏にかけての寒暖差が激しい条件下では生育できない場合も多い。「セイヨウタンポポ」の個体数が多いために相対的に在来種の割合が減っただけで、在来種も一定の個数で存在している」
:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D 引用

田圃で「タンポポ」よりこの時期好きな野草は「ムラサキサギゴケ」だ。



これは板金業のI君との境界の畦畔にこの時期毎年咲く。10年ほど前30aの田圃の中に境界を水田の土だけで畦畔を作った。ここに数年前からこの「ムラサキサギゴケ」が定着した。花弁が鷺の形に見える。常に湿気が強い畦畔の花色が濃く、毎年少しづつ増えてきた。
拡大の写真は下に



ウィキペディアによれば

「ムラサキサギゴケ(紫鷺苔、Mazus miquelii)は、ハエドクソウ科の多年草。別名、サギゴケ(鷺苔)。ただし、本種の白花に限って「サギゴケ」ということもある。和名は、花が紫色で、形がサギ(鷺)に似ていることから。
日本の本州、四国、九州の湿ったあぜ道などの日当たりの良い場所に生える多年草。匍匐茎で広がっていく。花期は春-初夏。花は紫(たまに白)で、中央の黄褐色の部分に毛が生えている。花の上唇は深裂するが、裂け目の角度が浅くわかりにくいことがある」

花言葉は「追憶の日々」「あなたを待っています」「忍耐強い」とある。田圃作業で踏まれてもしっかり根付き、花の輝きは他の野草を圧倒していると思う。
近くにある白花も鮮やかだ。水田野草の花が田植時期の畦畔を彩る。

田植作業も今日で終った。平年より約一週間遅れたが、田植機からこれらの花を眺めながらの作業も、野草の名の由来や花言葉を知ると楽しいものだ。


シロハンショウヅル?トリガタハンショウヅル?

2010年06月29日 | 地域の山野草
恒例の雄勝野草の会の一泊観察会は、6月27日(日)~28日(月)山形県蔵王山「ドッコ沼、不動滝、熊野岳」で行われた。
蔵王中央ロープウエーで鳥兜岳山頂駅へ行き、今にも雨の降りそうな木立を散策した。

散策路で珍しい花を発見。この道40数年のベテラン会員も初めての遭遇といい、観察会で初めてのものだという。帰宅後検索したらどうやら「シロハンショウヅル」か。それとも「トリガタハンショウヅル」と言う名の野草か。素人には区別はつかない。

薄暗いブナの木立での一枚。

ニリンソウの群生

2010年05月07日 | 地域の山野草
4月の後半から5月にかけ里山に野草の花盛りとなる。ショウジョウバカマ、キクザキイチゲ等は春一番に出てくる。
今年の春は天候不順で例年と比べて10日ほど遅れている。「雄勝野草の会」の春の観察会と総会は4月24日開催。湯沢城址と内町中心に開かれた。エンレイソウの群落も見事なものだった。

その後、農作業の合間に自宅の山を散策する。コゴミ、アイコ、タラノメ等食卓を賑わす食材に事欠かない。この時期の里山歩きは自分にとって至福の時期となる。40年生の杉の木立をすぎて、急峻な雑木林でたら写真のような見事なニリンソウの群生。


ニリンソウの若芽は食べられるというが、食したことはない。各地であの猛毒のトリカブトと違って食中毒になったニュースを聞くことがある。花言葉は友情、協力と言うそうだ。 その面積20㎡はあるのだろうか、我が家の所有地でみられるのに少し自慢したくなる。

オオナルコユリ

2009年06月05日 | 地域の山野草
オオナルコユリ


オオナルコユリの大株見つけた。 20数本の株だと見事なものだ。下の写真は自宅の庭のもの、下部から撮ってみた。普通は下から見ることなどほとんどないことだが、写真で見ると何か不思議な感覚にある種の感動さえ覚える。


オオナルコユリは、ユリ科アマドコロ属の多年草で、 北海道から九州までの山林等に自生する。                            難繁殖性のため群落はまばらと言われ、若芽は山菜としても貴重で、 根茎は生薬ともなるために株立ちのものはあまり見たことがない。
当地方では山菜として食する習慣はあまりない。                                                 この大株はこの春の集落総出の「堰普請」で、田んぼと畑の境界で見つけたものだ。集落にいても気がつかないでいた。                 オオナルコユリの春先の芽はアスパラと少し似ていて、それが固まって無数に出ていたのには驚かされた。                       普通だと一本か、せいぜい二本ぐらいしか今まで見たことがなかった。

わが集落の貴重なものになった。大事にしたいものだ