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川連 三大絵師・画人 3 知海

2021年02月15日 | 村の歴史

「知海」は本名「井上松治」。明治3年~昭和19年(1870~1944)川連生まれ、屋号は「宇吉」。「松治」は井上家十代当主、初代当主は「及左衛門」。

「松治」は明治17年(1884)14歳で秋田市の「神沢素堂」の私塾にはいり、3年間にわたって関学を学んだ。「素堂」の塾は当時秋田第一と言われ、多くの逸材を出したと「秋田の画人」昭和39年4月 秋田魁新報社刊にある。

さらに「秋田の画人」によれば「松治」は絵の才能を見せ、師に期待された。「素堂」も「平福穂庵」と交わり日本画(秋田蘭画)を描いていた。明治21年(1888)18歳で上京、勤王画家として名のあった「松本楓湖」について本格的に絵を学び歴史画を得意とした。明治23年(1890)20歳でに洋画に転じ、「小山正太郎」の不同社や白馬会研究所に通った。明治31年(1898)28歳で図画科の中学教員免状を得て福井中学、岩手遠野中等の教論となって赴任明治35年(1902)32歳、私立東京宏文学院教授となった。

明治38年(1905)35歳から6年間「黒田清輝」に師事した。東京文化財研究所によれば「黒田清輝」(1866~1924)は近代日本の美術に足跡を残した画家で、教育者で美術行政家「近代洋画の父」といわれた。「松治」が帝展に出品するのは明治44年(1911)41歳で京都師範に移ってからという。

下の画は帝国美術院第三回美術展覧会出品の「夏の夕日」アンテーク絵葉書。

                         夏の夕日

帝国美術院第三回美術展覧会は大正10年「松治」52歳。「夏の夕日」は湯沢市三梨町羽龍からの雄長子内岳、東鳥海山。羽龍集落には「松治」の長女が嫁いでいる。あきた県民文化芸術祭2015・参加事業、平成27年度 第3期コレクション展「横手・ゆざわの洋画家たち」に県立近代美術館の所蔵の「雨上がり」が展示された。「井上松治」は帝展洋画 大正十二年帝国絵画番付_807086と東京文化財研究所のデータベースにある。

                                雨 上がり

現在生家の地元で「井上松治」の洋画を知る人は少ない。数戸に所蔵されているのは「掛軸」雅号は「知海」。明治23年(1890)20歳で洋画に転じた後も日本画を描いていた。

下の軸は生家の床の間に飾られている「松治」の代表作品「雪の金閣寺」。

                             雪の金閣寺 

京都の学校では図書教育者として優れた功績をあげ、多くの表彰を受け昭和2年(1927)57歳に京都府視学となり、高等官六等に任じられたと「秋田の画人」にある。

次の軸は昭和12年(1937)67歳の時、本家十代当主「井上松治」が別家六代当主「井上周蔵」へ贈ったもの。享和3年(1803)本家及左衛門(現 宇吉)が別家助太郎(現 安兵衛)に「別家譲物覚」として残したことが記されている。本家と別家の関係書として珍しい。

                              別家譲物覚

 軸には本家十代「井上松治」が、別家六代「井上周蔵」の依頼で描いたとある。この軸には正七位とある。                                                                                    

下の軸は昭和18年(1943)「松治」73歳、激しさを増してきた太平洋戦争へ供出した安兵衛屋敷の「夫婦杉」。掛け軸「夫婦杉讃」。

                           夫婦杉の讃

昭和18年戦局は激しさを増し、アッツ島の日本軍玉砕学徒動員が発令。3月に金属回収にとどまらず国家的見地から、より価値の高い用途へと「特別回収」が食料や山林木、屋敷木等の供出令が発布された。「安兵衛家」では7代目の長男が出征中。親の六代目「井上周蔵」は屋敷の樹齢約140年、「夫婦杉」の供出に応じた。

伐採前に本家十代「井上松治」に依頼しできたのが「夫婦杉讃」の掛け軸。軸に文化10年(1813)双樹、百尺周8尺、供養」(柿葉庵)撰󠄀とある。「知海」の絵は「夫婦杉」伐採の一抹の哀しさと、明日への希望を与える豪快なタッチで描かれて、観る人に大きな感動を呼び起こす。そして軸を描いた翌年、昭和19年(1944)「知海」(井上松治)逝去。享年74歳。 「秋田の画人」引用

※ 

「川連 江戸の絵師」で以下の三絵師、画人を追跡した。掲載順序が調査時判明順なので正しくはなかった。三絵師、画人は以下。 

 滕亮昌   (日野亮昌)   貞享2年(1685)~安永3年(1774)?

 源光、源尚元(後藤彦四郎)? 天保11年(1840)~明治後期 ?

 知海    (井上松治)   明治3年(1870)~昭和19年(1944)

このシリーズはかねてから川連集落出身の「源光」さんの情報が少なく、神応寺や八坂神社の絵、自宅の掛け軸等からの調査から判明分の記録から始まった。

タイトル「川連 江戸の画人」として続けたが、調査で「源光」よりはるか以前に画人「滕亮昌」が狩野派との関わりが判明。その後明治生まれの「知海」を取り上げた。「知海」を「川連 江戸の絵師」とした違和感はあったがシリーズのタイトルだったのでそのままとした。

湯沢市川連町は川連、野村、久保、大舘の4つの集落から成り立っている。川連集落には麓、川連、上野の三行政区、一部には根岸川連ともいわれている。この「川連 江戸の絵師」は川連集落に限ったものだ。戸数三行政区合計140戸。比較的小さな集落で「滕亮昌」以降の「源尚元」、「知海」が活躍する。「滕亮昌」以降の画人、絵師にはその作風に影響があったことは想像できる。

「源尚元」から始まったのでシリーズ、「江戸から明治、大正、昭和」に活躍した絵師、画人も「川連 江戸の絵師」ではなく「江戸からの絵師」か「川連 三大画人」が適切かもしれないことを付記する。

※ 2021.2.19、タイトルを「川連 三大絵師・画人」に変えることにした。(2020.1.31 源尚元1、2020.2.11 続 源尚元 2020.3.7 3 滕亮昌も含む)


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