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鶴田知也氏とコナギ

2013年07月30日 | 足跡
今回「鶴田知也氏とコナギ」は1970年代始めの話だ。
ある会合が終わった後、「鶴田先生」が自分のそばに来て、田んぼの草とり話をしてきた。
「コナギ」が田んぼにないだろうかと云うことだっだ。

「新潟の稲村君の所に聞いても、除草剤が使用されるようになって見ることがなくなったというのだ。ところで秋田の君の所ではどうか」と云うのである。その頃は除草剤が入り、使用基準どおり使用でノビエ、オモダカ、ヒルムシロ、コナギ等はすべて退治できていた。それまでは除草機、手で草を採る草取りから解放されていたころで、米どころの新潟や秋田ばかりでなく、全国的に除草剤使用で日本の米つくりが革命的変化したころで、自分の所でも「コナギ」の姿を見ることはなかった。

鶴田先生が野草の絵を描いていたことは知っていたが、「コナギ」を水田雑草の横綱みたいに思っていた当時、自分にはどうして先生が「コナギ」がほしいと云ったかわからなかった。農家の最大の敵でもあった田んぼの草「コナギ」。


 コナギの花 引用

鶴田知也氏は語り始めた。「コナギの花は良い。農家にとっては邪魔の草だろうがコナギのあの可憐な花を見るとジックリと描きたい、もしコナギを見つけたら是非送ってはくれないか」と話した。しかし、その後も除草剤なしの稲作は考えることもできず、「コナギ」を田んぼで見つけることもなく、いつの間にか忘れてしまっていた。

「コナギ」(和名小水葱)は水田雑草の中でノビエの次に嫌われる草。この草はなかなか厄介な草だった。1960年代に除草剤が出回り、「コナギ」は見事に駆逐された。除草剤の登場で農家は「草取り作業」の重労働は解放された。それまでの「田の草とり作業」は田植後、まず手押の「除草機」で株間を縦、横を行い。その後素手の10本の指先に「草取り爪」をつけ、稲の株元の草を取る作業が延々と続く。草の発生が多いと同じ田んぼを3回も草取りをしなければならなかった。3回目ともなると稲の出穂が始まる頃まで続いた。この作業は稲の花粉を背にする「花かぶり」等とも云われた。6月後半から7月いっぱい草取り作業は続いた。

「コナギ」は成長が早いため、すぐに影をつくりイネを遮光し成長を阻害する。また成長に際し過分な窒素分を要求するので、水田に生えた場合イネの窒素吸収を阻害する。そのままににしておけばイネは貧弱な姿で減収間違いなしだった。そもそも発芽に際して酸素を嫌うという変わった性質から、地表を水で覆う水田は結果として本種に絶好の環境を提供している。ただし除草剤に対する耐性がないため、除草剤を撒いている田にはあまり生えない。今では有機栽培や無農薬農法によるコメ作りをしている田に執拗に生え、こうした農法にする農家の悩みのタネになっている。

日本人とのつき合いは古いといわれ、同属のミズアオイと共に万葉集に本種を読んだ歌が収録されている。また江戸時代頃までは食用にされていたと云う。東南アジア、特にベトナムでは今でも食用にされているそうだ。

「コナギ」の件で今振り返ると、鶴田先生との会話の中で「水田の雑草」と云った発言にすかさず、「雑草という言い方はよくない。草にはそれぞれ立派な名がある」と云われてしまった。

「雑草という草はない」の言葉は一般的に昭和天皇の発言となっている。侍従長の入江相政氏が「宮中侍従物語」(角川書店 1980)で終戦の頃の出来事として紹介し、多くの人たちに認知されてきた。
杉浦明平編、日本の名随筆「草」(作品社 1990)の中で、哲学者梅本克己氏の「雑草という草はない」がある。誰が先に発言したかなどとは格別問題にすることではないが、私と鶴田知也氏の会話は1970年初めの頃だった。

鶴田知也氏は「農業は草との戦いだ」ということは充分知りつつも「十把一絡げ」に雑草と言う呼び方をたしなめたように思う。「雑草という草はない」の言葉が私の体内に焼き付いて離れないでいた。それが今日、「雄勝野草の会」入会の動機となっている。入会5年目だが、なかなか野草の名前がわからないでいる。「雄勝野草の会」の歴史は古い。会長の三好功一さんが教職にあった1960年代から、同好の士が集まっていた。鶴田知也氏は「雄勝野草の会」会長の三好功一氏とも交流があったことを入会して知った。当時鶴田知也氏とは農業問題等での交流が主で、若かった自分たちには鶴田知也氏の広い交際範囲までは知る由もなかった。

そして「雄勝野草の会」は今年、2013年は設立40周年を迎えた。

減農薬栽培のコメつくりの我が家で、数年前1枚の田んぼが「コナギ」の猛威にさらされた苦い経験がある。田植後の植えた稲が見事に害虫に襲われた。有機栽培や減農薬栽培をしているから農薬散布はしなかった。そしたらそこに「コナギ」が大繁殖。手取りや草取り下駄などで対抗したがどうにもならずに惨敗。米つくり50年の中で忘れられない出来事だった。

「コナギ」は近年は除草剤に対して耐性を有する個体も出現しているという。そのためだろうか。このごろ田んぼに「コナギ」がみられるようになった。7月のこの時期「コナギ」をみつけると、かつて「鶴田知也」氏の要望に応えられなかったことと、「コナギ」の大繁殖で大惨敗の「あきたこまち」が思い出されてならない。


コナギ 花は8月末 湯沢市川連町上平城 07.29

鶴田知也氏は「コシャマイン記」で第3回芥川賞受賞。晩年、山野草の「草木図誌」、「画文草木帖」、「百草百木誌」など優れた多くの著作を出版され、多く人に親しまれている。それらの著作本で「コナギ」を描いたのを拝見していない。

参考
※ 02.11ブログ「鶴田知也氏の話」
※ 鶴田知也生誕100年(http://www12.ocn.ne.jp/~sayaka/turuta_hayama_sakai/turudatomoya-seitan100nen.htm)








草一掃作戦

2013年07月26日 | 集落
7月は草との闘い月間だ。田んぼや畑では梅雨空の毎日、草にとっては絶好の成長期となる。

7月7日は集落の後背地の林道を「麓集落環境整備事業」で内沢最深部(通称オヤシキ)、カジカ沢石落平、岩清水観音様道の3班に分かれての草刈り作業。内沢の伏流水は集落の潤している。麓集落ではこの林道の草刈りと八坂神社の清掃を同時に行う。15年ほど前から集落総出の作業だ。義務的な作業で対価はない。
内沢は麓集落だけではなく川連集落からも参加して草刈り作業が行われる。山菜採りに入る位の静かな内沢も、この日だけは背負い式や肩掛け式の草刈り機のエンジン音が沢々に鳴り響く。


内沢林道 湯沢市川連町内沢(通称オヤシキ)(07.07)

7月21日の草刈り日は参議院選挙投票日。
田んぼの草刈り作業、出穂前の畦畔、道路、水路側のすべてが刈り取りの対象。前回ブログで紹介した「カメムシ」対策のためだ。草刈作業でほとんど参議院選挙の話は出ない。

この草刈り作業は「麓集落協定」(中山間地域等直接支払制度)による草刈りで対価が支払われる作業だ。

いかにも官僚発想の「集落協定」。
農林水産省は平成12年度からこの制度を発足させた。その要旨によれば「傾斜等により農業生産条件の不利な1ha以上の一団の農用地おいて農業生産活動等(耕作、農地管理等)を行う農業者等が締結するもので、将来にわたり当該農用地において農業生産活動等が維持されるよう
[1]構成員の役割分担
[2]生産性の向上や担い手の定着の目標等、
集落として今後5年間に取り組むべき事項や目標を定める」

山間部、平野とかは聞きなれているだろうが、農業関係者以外「中山間地域」という呼び名に初めて接する人も多いと思う。農水省は「中山間地域とは、平野の外縁部から山間地を指します。山地の多い日本では、このような中山間地域が国土面積の65%を占め、耕地面積の43%、総農家数の43%、農業産出額の39%、農業集落数の52%を占めるなど、我が国農業の中で重要な位置を占めています」と解説している。


深い排水路 湯沢市川連町天王 (07.21) 

さらに、「中山間地域等は農業生産、自然環境保全、保健休養、景観等、様々な面において重要な地域ですが、耕作不利な条件から農業生産性が低く、農業所得・農外所得ともに低い状態となっています。また、農村地域は全国平均よりも高齢化が進んでいますが、特に中山間地域等は高齢化が進行しています。高齢化の進行に加えて、担い手の不足、恵まれない就業機会、生活環境整備の遅れなどにより、中山間地域等の農地では耕作放棄が深刻化しており、このまま放置すれば、国民全体にとって大きな損失が生じる事が懸念されています」。

耕作放棄地(耕作地または農地に荒らしておる状態)がますます増えるから、集落で共同で管理すれば助成しますということになる。

麓集落はこの制度に平成18年度から加わった。
参加条件も詳細に決められており 対象農用地の基準が
①急傾斜地 水田:傾斜1/20以上、畑:傾斜15度以上
②緩傾斜地 水田:傾斜1/100以上、畑:傾斜8度以上

麓集落は②の緩傾斜地に入っている。緩傾斜地 水田:傾斜1/100以上とは、10mの長さに傾斜が0.1m以上と云うことになる。実際の田んぼは30m×100m区画、30mの長さの高低差が0.3m以上の区画。私の田んぼの高低差は約0.6m以上で、下の田んぼの面から畦畔の高さがプラスされるから1m前後の高さが上と下の田んぼの境で全部の畦畔となる。長さが100mの畦畔にビッシリと草が生える。稲の生育に障害がでないように草は刈り取るが、草の根がこの畦畔のくずれなどを防いでいるのだから、畦畔の草は田んぼにとっては重要なのだ。

麓の「集落協定」参加戸数は36戸、対象面積28.4haとなっている。そして10当たり8000円の交付単価、総額227.2万円が交付され年間の作業がとり行われている。交付金の使途も10a単価8000円の半分は共同作業等など使用等。時給換算で今年の単価は(平成25年 秋田県)665円、全国的に見てもすこぶる低い。その賃金数倍の拝領の官僚の発想の計画は慎ましい。大上段に云う「中山間地域」が重要さから見ればなんと交付金の少なさ。それでも全国的にこの事業に参加する地域は増加傾向にあると云われている。地域の崩壊は現代の賃金価格差、経済情勢から見ても必然な姿に他ならない。

多くの農家は田んぼの草刈りは今年3回目となる。この次は「カメムシ」の落ち着いた9月初めに、個人の分と共同の作業で4回目の草刈り作業となる。そして、稲の収穫を迎える。


7.21 湯沢市川連町黒森 白い草はヒメジョオン

これほどの「草刈り機」が出揃うとエンジン音はものすごい。近くの小動物はビックリしていることだろう。03.06のブログ「スノーシューと動物の足跡」のすぐ近くなのだ。



7月の田んぼの花と「アカトンボ」

2013年07月19日 | 地域の山野草
田んぼの見回り途中、畦畔の「ノコギリソウ」に「ベニシジミ」が止まった。危なく足をかけそうになって慌ててよけ、狙い定めてシャッター。蝶に特別な感情はないのだが、「ノコギリソウ」の白にチョウの紅が調和、一瞬見惚れた。この「ノコギリソウ」は平成に入る前、「減反強化」の対策で地域に「転作組合」を結成。事業として増え続ける転作で田んぼの風景が激変する中、通学路でもある集落の本道の両側に、「子供たちと農家の職場に花」をのキャッチフレーズで昭和62年、25種類の草花の種を蒔いた。25種類の種は当時減反強化の中で「景観作物」として種苗会社が売り出したものを求めた。25年以上経過して残ったのは「セイヨウノコギリソウ」「マツヨイグサ」「キヌガサギク」の三種だけになった。その中で「セイヨウノコギリソウ」は道路から100mも離れた排水路側にも定着した。


 ノコギリソウにベニシジミ 07.16 湯沢市川連町田屋面

「ベニシジミ」は前翅は表裏とも赤地に黒褐色点があり、後翅は表面が黒褐色で、裏面は灰色の「シジミチョウ」。春に現れる個体は赤っぽく、夏の個体は黒っぽい。秋には両方のタイプが見られる。原っぱや畑の周辺など、開けた明るい環境に多い。地面近くを飛び、いろいろな花でよく吸蜜する。幼虫の食草は、スイバ、ギシギシなどと言われ、これらの草は私の水田の排水路側に多い。

そして、今年も「アカトンボ」の誕生の時期がやってきた。「アカトンボ」は一般的には「アキアカネ」のことで胸の部分に黒く太い模様がある。「ウスバキトンボ」にはこの太い模様はない。「アキアカネ」のように赤くならず、ややくすんだ橙色をしている。「アキアカネ」が「トンボ科アカネ属」で、「ウスバキトンボ」は「トンボ科ウスバキトンボ属」で区別されている。一般的にいう「アカトンボ」を「ウスバキトンボ」を含めてよんでいるが、「アカトンボ」というトンボはいない。このブログでは通称の「アカトンボ」で記録している。

今年も7月5日ころから盛んに誕生。今年の発生は昨年以上だ。「アカトンボ」はコンバインでの稲刈りの田んぼより自然乾燥の田んぼに確実に多い。その数推定だが2~3倍にも見える。コンバインの稲刈りでイナワラに隠れる田んぼよりも、自然乾燥の田んぼでは産卵場所が多く、産卵場所が多くなることは過去のブログにも書いた。H君の田んぼコンバイン刈りから稲の自然乾燥に切り替えて3年目だ。青田の明渠ほり作業で稲の株間から飛び立つ、「アカトンボ」の多さに驚いていた。


 赤トンボ 誕生 07.16 湯沢市川連町田屋面

これら田圃で生まれた「アカトンボ」は集落や里山に移動、間もなく高い山々に移動する。そして9月に入る頃からまた田んぼに戻ってきて、ペアを見つけて産卵しその一生が終わる。

いつもこの時期見られる「ネジバナ」は30a5枚の田んぼ15000㎡、畦畔は計算上約700㎡中この2本しか見渡らない。今年はなぜ少ないのかはわからない。この「ネジバナ」の周りの草は間もなく刈られてしまう。


草の中のネジバナ 07.16 湯沢市川連町田屋面

「ネジバナ」ラン科の可憐な花だ。ネジバナの花言葉は「思慕」。意味深な世界。
ネジバナ」かつては、麓の田んぼの至る所にあったと云うことを村の古老から聞いていた。田んぼの圃場整備以降見ることが少なくなったと言うが、そうではなく現在田んぼ作業する人達に、田んぼの草花に関心を示す人が少なくなったことにある。
あの「タンポポ」の花は多くの人たちは残したが、この「ネジバナ」は15㎝程で小さく他の野草に隠れるように咲く。注意しないと見過ごしてしまう。探し出して教えると「きれいな花」だというが、その多くは他の草と一緒に刈られてしまう。

「ネジバナ」は一般的に次のように紹介されている。
『湿っていて日当たりの良い、背の低い草地に良く生育する。花色は通常桃色で、小さな花を多数細長い花茎に密着させるようにつけるが、その花が花茎の周りに螺旋状に並んで咲く「ねじれた花序」が和名の由来である。「ネジレバナ」、「ネジリバナ」、「ねじり草(そう)」とも呼ばれる事もある。学名の Spiranthes(スピランセス)は、ギリシャ語の 「speira(螺旋(らせん))+ anthos(花)」に由来する。右巻きと左巻きの両方があり、中には花序がねじれない個体や、途中でねじれ方が変わる個体もある』

右巻きと左巻きの比率は大体1対1であると云う。白花もあるそうだが、販売されているもの以外まだ見たことがない。増えてほしい花だがなかなか増えない。昨年は数か所で10本程咲いたのだが、今年の2本は近年では最低。田植後の高温、旱魃気味が「ネジバナ」の生育に影響したのか。「ネジバナ」は万葉集にもでてくる。詳しくは (http://www.hanajiten.com/nejirebana.html)等へ


 キヌガサギク 07.16 湯沢市川連町田屋面

「キヌガサギク」長い期間、正確な名はわからないでいた。今回「雄勝野草の会」の鈴木房之助氏に調査を依頼したら、北アメリカ原産の帰化植物「キヌガサギク」(別名アラゲハンゴンソウ 和名 粗毛反魂草)という名であることがわかった。少なからず「反魂」と云う言葉に釘づけぎみだ。古語辞典によれば、反魂とは「死んだ人の霊魂をよび返すこと」という。この「キヌガサギク」との関連はどこから?などと興味がつきない。
そして、花言葉の「公平・正義・正しい選択」は、通学路にふさわしい野草かもしれない。この花の咲く期間が長く、コメの収穫期まで続く。25年ほど前の播種後約600mの町道両側にビッシリ6月後半から9、10月まで咲き誇ったこの黄色の花は壮観だった。

25年前後経過して現在残っているのは私の田んぼの道路側約100mに数十株のみだ。どこにもありそうなこの花、当時特に考えることなしに、ヨーロッパ原産という25種類の花の種まきを提案した自分が、もしかしたら生態系に影響を与えたかもしれないという反省がどこかにあった。他の人同様に絶やすことは比較的簡単なことだが、25年以上前から通学路に定着したこの花をどことはなく愛おしくなり、毎年数回の草刈りに注意して残すようになってしまった。
鈴木さんによれば1930年代に北海道に導入され、今では九州まで分布が広がっていると云う。

さて、田んぼの稲はいよいよ出穂期をむかえる、7月下旬は「カメムシ」防除の時期になる。「カメムシ」は稲穂から養分を吸汁し屑米や斑点米を形成する。被害のコメは一般の消費者のわたる前に選別されるので見ることはすくない。農家にとっては被害米が多いと売渡価格にひびくのでもっとも嫌われている害虫だ。今年は稲の生育期が高温で経過し「カメムシ」の繁殖が旺盛になり、発生量も多くなるといわれている。

指導機関は「稲が出穂する10~15日前までに農道や畦畔、休耕田等の雑草を刈り取る」ことを呼びかけている。農家はこれらの対策のため一斉に草刈り作業に突入した。稲川周辺では田植後2回目の草刈りとなる。この20日、21日の土、日が最盛期となりそうだ。自分の場合、花の咲いている野草はなるべく選択して残すようにしているが、他の人はこの時期田んぼの野草のほとんど刈り払ってしまう。

そして「あきたこまち」の出穂を迎える。


豪雨の八幡平と快晴の種差海岸

2013年07月14日 | 地域
稲川自然観察会恒例の一泊研修は、7月12~13日豪雨の八幡平と快晴の八戸の種差海岸。
7月12日は朝から雨模様。八幡平樹海ラインはガスがかかり、ほとんどは視界がきかない。八幡平頂上駐車場から、強い雨の中を1613mの頂上を目指す。駐車場も1540mだから73mの差で30分程と云う。風と雨で荒れる天気を現地のガイドさんは、「この程度の荒模様は良い方に入る」から山頂までは大丈夫だと云う。アオモリトドマツから見える鏡沼、眼鏡沼はまだ残雪があり湖面が隠れて見えない。

歩く途中偶然に「キヌガサソウ」にであった。強い雨の中、デジカメでやっと撮れた。沼周辺の雪消えが進むとこの「キヌガサソウ」がいっぱい出てくるという。この残雪をみてもいまさらながら豪雪が半端でなかったことを知る。八幡沼周辺はこの雨で雪が消えたのだという。だから山野草は春、夏が盛りのものが同時に見られる。愛好者とっては好都合かも知れない。ガイドさんは雪がなくなるのは来月上旬になるだろうと云う。このシーズンは秋の花も同時に見られるかもしれない。雨の中で「ゴゼンタチバナ」、「イワツツジ」、「イワザクラ」などが見られた。


 雨のキヌガサソウ 07.12八幡平爆裂火山群周辺にて

土砂降りに近い雨の中約2時間山頂エリヤを周遊し、ビショヌレでホテルへ向かう。雨は夕方まで止むことはなかった。

次の日八戸市三陸復興国立公園種差海岸は好天。それでも朝方までは雨だったと云う。種差海岸の名は知っていたが初めての地。ウミネコ繁殖地の蕪島、葦毛崎展望台から種差天然芝生地まで約3時間のハイキング。多くの山野草にであった。岩の割れ目の「スカシユリ」が目立つ。


種差海岸 スカシユリ 07.13

「ニッコウキスゲ」「ハマギク」「センニンソウ」「キリンソウ」等の他、「エゾノレンリソウ」等に会えた。山野草の他、リアス式海岸の風景は感動ものだった。

ガイドさんに2011.3.11の津波被害を聞いた。
「全国有数のサクラソウの群生地もある一帯は東日本大震災で8メートルの津波に襲われたが、震災直後にサクラソウ保護を県立名久井(なくい)農業高校(同県南部町)の生徒が行い、何とか立ち直った」と云う。約800種もの植物が生息する青森県八戸市の名勝地・種差海岸、この5月24日「三陸復興国立公園」に編入された。 同海岸は初夏の低温や降雪の少ない気候もあり、南限と北限の植物が「共存」しているから山野草の種類が多いのだそうだ。


 中須賀の景観 07.13


大須賀浜を望む 07.13

白浜海水浴場で昼食後、白浜漁港からの遊歩道はそれまでとは違う風景。「淀の松原」はすばらしかった。これほどの景観の海岸は知らない。約3時間の散策は、種差海岸の約半分の距離だと云う。機会を作って全部の行程をいつか走破したいものだ。散策の中で2011.3.11の津波被害の痕跡は見ることはなかった。ここにも8~10mの津波が押し寄せたのだと云う。後片付けは急ピッチに進んだのだろう。景観は見事に復活していた。

「どこかの天体から人が来て、地球の美しさを教えてやらねばならない羽目になった時、一番にこの種差海岸に案内してやろうと思ったりした。」とスケール大きく描く、作家司馬遼太郎氏の「街道をゆく3」に共感する。そして、「地域の宝から日本の宝」へと云う、地域の人たちの取り組みに大いに賛同。 
        

この東北の地に、三陸復興国立公園種差海岸があることを誇りにも思った一日であった。

オニノヤガラ(鬼の矢柄)

2013年07月11日 | 地域の山野草
今年も「オニノヤガラ」(鬼の矢柄)が顔を出した。
「オニノヤガラ」腐生植物であり、光合成を行わず葉緑素を持たない。地下の塊茎は長さ10cm前後の楕円形で、表面には多くの節がある。茎は直立し、帯黄褐色で、高さは40-100cmになり、円柱状の茎に膜質の鱗片葉をまばらにつける。きのこのナラタケと共生しているといわれている。花期は6-7月で、黄褐色の花を茎の先端に20-50個総状につけ、下方から開花していく。花は3萼片(外花被片)が合着して壷状になり、中に2個の側花弁と卵状長楕円形の唇弁がある。

生きているものから養分をとって生きる植物は寄生植物といい、死んだもの、腐ったものから栄養をとつて生きる植物を腐生植物という。「きのこ」のナラタケと共生し、この菌糸を通して養分を取り入れていると云う。

2012.07.04 開花 湯沢市川連町外坪漆

「オニノヤガラ」が我家の山林に生えるのを知ったのは、ここ10年ほど前からだ。一般的に雑木林に生えるというが、自宅のは杉の林だ。それまでは田圃や山林の山野草にそれほどの関心はなかった。この場所は平成4年と17年に、雄勝地方森林組合に委託して間伐作業をしてもらった。それまでの杉林は密生し薄暗いほどだったが、間伐作業を通して杉の林に陽があたるようになり、様々な山野草が見られるようになった。ヤマユリ、クルマユリ、ホウチャクソウ、イカリソウ等。その中に「オニノヤガラ」があった。初めて見たときは少なからずビックリした。異様な姿だったからだ。自宅の山林も特定の場所でしか確認されない。集落の一番近い林道の側に生える。

鬼の矢柄、学名:Gastrodia elata )は、ラン科オニノヤガラ属の多年草。ラン科とされるが、一般的な蘭とは全く違う。茎を矢に見立て鬼の名を冠につけたこの植物は珍しい部類に入る。

先日、集落で林道の草刈りが集落総出で行われたが、多くの人はこの「オニノヤガラ」に関心を示さない。もちろん名前もしらない。自分の知る限り集落を象徴する鍋釣山や、内沢方面では見たことがない。カシカ沢周辺の限られた範囲でせいぜい500㎡位の場所だ。今年の発生はいつもより遅めだった。旱魃も影響したのだろうか。昨日の観察で「オニノヤガラ」の花は終っていた。

2013.06.24 開花前 湯沢市川連町外坪漆

光合成をせず、葉緑素を持たないのは前回ブログの「ギンリョウソウ」と似た所もあるが、その姿はまるで違う。「オニノヤガラ」はきのこのナラタケと共生するといわれるが、ナラタケは「きのこ」ではどこにでも生え、特に珍しいきのこではない。このきのこ、ナラタケを地元では「サワモダシ」と云う。「サワモダシ」の範囲は意外と広い。かといって「サワモダシ」が多いと言っても「オニノヤガラ」が多いわけではないようだ。「ナラタケ」菌と何か別の要素が加わってこの「オニノヤガラ」は発生することになる。

「オニノヤガラ」について下記の記事があったので引用する。

『用途の広い植物で、高価な漢方薬にもなり、目まいや、中風による半身不随などに効き目がある。これまでは、野生のものを採集して薬用に供してきた。以前、これを栽培しようとした人もいるにはいたが、みなうまくいかなかった。この植物が「いつのまにか消えてなくなる」といわれていたのは、その栽培がたいへんむずかしかったからだ。そこで、「仙人の足」などという摩訶(か)不思議な名前で呼ばれるようになったわけである。プロレタリア文化大革命のなかで、われわれは「中国の医学と薬学は偉大な宝庫であり、その発掘と向上につとめるベきである」という毛主席の教え』
(http://www.sinoperi.com/beijingreview/Articles-Details.aspx?id=10709&lang=JN)北京周報 

「仙人の足」という名。奥が深い。「ギンリョウソウ」も一部の蘭も、他の菌と共生するといわれる。共生する植物は栽培が難しとされる。「オニノヤガラ」は秋田では準絶滅危惧種に指定されている。