2010年5月2日に「人形送り」を次のように書いた。「岩手県西和賀町左草地区の「左草人形送り」。 ネットで調べたら下記の記事であった。 「ショウキサマ」と呼んで、昭和28年頃まで続けられていたようですが、何らかの事情で中断されました。そして昭和62年から再開し、今年で24回目となりました。男女2体のわら人形には、病がソバに寄らないようにとして、ソバ粉で作った団子を持たせます。その他に穴の開いたお金を持たせ村はずれまで、送って道端の木に結わえて無病息災をお祈りします」。
通りすがり初めての対面。ミズナラの木高さ4㍍程にワラ人形二体。地域の伝統行事に何かしら新鮮な感動を覚えた。
岩手県西和賀町左草 2010.5.2
その後も西和賀町の左草地区を通る度にミズナラの木の人形を思い浮かべていた。今回鮮やかな晴天に久しぶりのドライブ。コースは西和賀、沢内から雫石、田沢湖を設定。西和賀の左草の近くを走っていて、再び「ワラ人形」に会いたくなった。国道106号線のバイパスで横手、盛岡線で沢内へ向かう。106号線からバイパスを通ると間もなく左側に左草地区の入り口が目につく。バイパスからせいぜい3キロほどで「ワラ人形」がある場所にたどり着く。
岩手県西和賀町左草 2019.3.20
今回3月26日のFBに次のように書いた。
「岩手県西和賀町左草地区では今年も2月11日に「人形送り」の行事が行われたという。 当日公民館で2体のワラ人形を作り、病が「ソバ」に寄らないようにとソバ粉の団子と、しっかり身に付けて守ってもらうようにと穴の開いたお金を持たせ、地区のはずれまで送って道端の木に結わえて無病息災を祈る行事。
約10年ぶり再び「ワラ人形」に会いに行ってきた。西和賀町では他の地区でも伝統の「人形送り」の行事が継続されているという。地区によって「ワラ人形」の形は違うようだ」。
今年の「人形送り」は2月11日に行われて約40日経過でイナワラが新しい。2010年の「ワラ人形」は5月の写真だったのでワラ人形がやや風化し色合いが出ていた。さらに約10年の月日で制作者も変わったのだろうか。2010年の時の「ワラ人形」になにかしら厳かさを覚えるのはなぜだろうか。
秋田県にある巨大ワラ人形。湯沢市岩崎地区のものは約4ⅿはある。2018年9月30日のブログ「追想 米を作る若者 と皆川嘉左エ門」を書いた。岩崎の緑町の「鹿島様」は骨組みと面以外は稲ワラで作られている。面の製作は彫刻家の皆川嘉左エ門だ。村々の疾病・災厄退散と五穀の実りを祈願した。さらに周辺地域独特の守護神像がある。
旧稲川町の飯田地区に4体の「鹿島様」(ニンギョ様)がある。他に御岳堂、岩城にもある。この地区の鹿島様は他とは違っている。1m程度の石碑にワラで作った兜のようなものを被り、腰にまわしのようにワラで作ったものを巻いている。小さいながらも脇差をして力強い。このような形は全国的にも珍しいといわれている。このタイプは飯田地区の他、御岳堂、岩城、皆瀬の若畑にもある。
飯田地区の一部では男神と女神が一緒に鎮座する双体道祖神のような形をとっています。又、道切りと呼ばれる注連縄を集落境に張り込み、その下で小さな人形道祖神が睨みを効かせて子孫繁栄、安産などの性神としても捉えている。春、秋にニンギョ様のワラの着せ替えをしている。今年は4月10日に着替しお祀りが行われる。
湯沢市三梨町飯田の鹿島様(ニンギョ様) 2019.3.28
文化十一年(1814)江戸時代後期の旅行家、「菅江真澄」がこの地を訪れた。菅江真澄全集 第五巻に「雪の出羽路」雄勝郡二 稲庭ノ郷 新町に鹿島様の記述がある。
「郷堺に藁をつかねて五尺に余る芻霊人(くさひとがた)を作りて、横刀を帯せ剣を持たせておしたてり、こは春秋これを造りたて、又をりとしてすりを加ふ事あり、こや疫神を避け逐ふの祭りと云えり、秋田路にもいと多かるもの也。又家々の門の柱にささやかのわら人形を作り左右の方にゆひ添へ、あるは串にさしても立り茅もて制り金銀鉄泥なんども以て人像を作りてはらうにひとしかるべし。此大なる境人形を草二玉といひ、また牛頭天王なんどいえり。此稲庭は草二王を造るよしといえり。」とある。
現在稲庭地区でかつて人形を作ったことが語り継がれ、明治の廃仏毀釈当時にその歴史は絶えたともいわれれる。
左 菅江真澄全集 第六巻 雪の出羽路 平鹿郡11 右 湯沢市三ツ村の鹿島様
菅江真澄全集第六巻 「雪の出羽路」に横手市下樋口村に「芻霊」の図がある。稲庭新町の記述とほぼ同じように記されているが、秋田県内最大といわれる岩崎や雄勝地区の「鹿島様」について記述は見られない。