ニリンソウ(二輪草、学名:Anemone flaccida)は、キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。春山を代表する花のひとつといわれていて特に珍しいものでもない。
属名の学名「Anemone」(アネモネ)は、ギリシャ語の「anemos」(風)を語源とし、春のはじめの穏やか風が吹き始める頃に花を咲かせるからともいわれている。花言葉の「友情」「協力」は一つの茎に仲良く2輪の花を咲かせることにちなんでいる。
深く裂けた根生葉を持つている。4月から6月にかけて白い萼片を持つ直径約2 cmの花をつける。多くは1本の茎から2輪ずつ花茎が伸び、和名の由来となっている。中には1輪や3輪のものもある。根茎で増えるため、群落を作ることが多い。わが家の山林で鍋釣山の杉林と雑木林の境界付近に群落を形成している。ブログ「ニリンソウの群生」2010.5.7に詳しい。
「ニリンソウ」に、萼片がミドリの「ミドリニリンソウ」があることはかなり前から知っていたが遭遇できないでいた。今回山野草の大家、仙北市の「渓風小舎」にお願いして「ミドリニリンソウ」に初めて出会った。案内された渓流沿いはかつては薪木を得るための林道が荒れていた。両側が急峻で岩場が多く、杉の植林には適さない場所らしく朝には熊が出る事があるという。途中上流から私たち一行をカモシカがジッと見つめていた。しばらくするとゆっくりと対岸の急峻な林に消えた。仙北市の山や渓流は湯沢、雄勝の山とは少し違う風情がある。渓流に足を踏み入れたら花の終わった「コチャメルソウ」が群生していた。湯沢の大滝沢で数か所見られるがこの沢の「コチャメルソウ」は呆れるくらい多い。沢沿いの両脇に咲き乱れるニリンソウはこの時期どこにでも見られる風景。しばらく歩いて、ここから「ミドリニリンソウ」が見られるとの合図で探し出したらすぐに見つかった。一輪見つけると白い花のニリンソウの中に、次々と緑の花弁(萼片)の「ミドリニリンソウ」があった。
さすが株立ちのものはなかったが、一つ一つ違う紋様。「ミドリニリンソウ」は限られた場所にしか生育できないのか、約1500m歩いて100m程の所でしか見ることはできなかった。それでも20数点の「ミドリニリンソウ」を数えた。デジカメの一部を紹介したい。すべて2017年5月8日のもので花は終わりに近づいていた。同じ沢でも「ミドリニリンソウ」が混じっている場所は他と何が違うのだろうか。仮にこの「ミドリニリンソウ」を他の場所に移しも、固定されていないために同じ物が出るとは限らないそうだ。
「ミドリニリンソウ」の中で、ミドリの萼片の回りが白く最もきれいだったのは下の写真。
下記は二輪とも同じ文様のミドリニリンソウ。
ニリンソウは初めの一輪と二輪目はやや遅れて開花するという。下記は一輪がミドリで二輪目がシロ。
二輪ともミドリ一色。
中には複雑は形のものも散見された。突然変異多くのニリンソウの中で二本あった。
中には3輪もあり、ミドリ色は一輪だけだった。
ミドリ一色とシロの縁取りのミドリニリンソウ。
少々ピンボケ気味だが捨てがたい。
ニリンソウの白い花弁のように見える咢片が、緑色に変わった「ミドリニリンソウ」を見たことがある人は少ないようだ。「ミドリニリンソウ」の名前は付いていても固有の種ではない。咢片の先祖帰り説や突然変異説。最近ではマイコプラズマによるウイルス感染症との説もある。一般的にそれほど珍しい花ではないと言われているが湯沢、雄勝での発見は今のところ聞いていない。
ニリンソウは食べられるというが私は食したことがない。お浸しすると特有の香味で個性ある味と聞いているが、あまりにも多くあって薄い葉っぱに食する気になれない。
猛毒の「トリカブト」と間違えることがあると言われが吟味すると違いがわかる。皆瀬の女滝沢の遊歩道近くには「ニリンソウ」と「トリカブト」が混生しているところがある。同じ場所にあると「トリカブト」はややおおがらにみえる。この時期になれば花が咲くので間違えることはない。「ニリンソウ」にはプロトアネモニンという毒が含まれている。熱湯で5分ほど茹でたあと水に10~15分ほどさらすとプロトアネモンが抜けるという。若いものより、ある程度成長して花の咲いているものの方が良いとの説がある。ニリンソウは古くから山菜として食され、飢饉の時は貴重なものだったといわている。中国では「ニリンソウ」を「林蔭銀蓮花」と呼び、黒褐色の根茎を乾燥したものを、生薬名で地鳥(じう)と呼びリウマチの薬として用いている。
今回念願の「ミドリニリンソウ」に出会い。「ニリンソウ」学名がギリシャ語の「anemos」(風)を語源とし、春のはじめの穏やか風が吹き始める頃に咲くことから名がついたという。ありそうでなかなか出会うことのない「ミドリニリンソウ」の中に先端がピンクがかかった「ベニサシニリンソウ」もあると言われている。出会えることの楽しみが増えた。
属名の学名「Anemone」(アネモネ)は、ギリシャ語の「anemos」(風)を語源とし、春のはじめの穏やか風が吹き始める頃に花を咲かせるからともいわれている。花言葉の「友情」「協力」は一つの茎に仲良く2輪の花を咲かせることにちなんでいる。
深く裂けた根生葉を持つている。4月から6月にかけて白い萼片を持つ直径約2 cmの花をつける。多くは1本の茎から2輪ずつ花茎が伸び、和名の由来となっている。中には1輪や3輪のものもある。根茎で増えるため、群落を作ることが多い。わが家の山林で鍋釣山の杉林と雑木林の境界付近に群落を形成している。ブログ「ニリンソウの群生」2010.5.7に詳しい。
「ニリンソウ」に、萼片がミドリの「ミドリニリンソウ」があることはかなり前から知っていたが遭遇できないでいた。今回山野草の大家、仙北市の「渓風小舎」にお願いして「ミドリニリンソウ」に初めて出会った。案内された渓流沿いはかつては薪木を得るための林道が荒れていた。両側が急峻で岩場が多く、杉の植林には適さない場所らしく朝には熊が出る事があるという。途中上流から私たち一行をカモシカがジッと見つめていた。しばらくするとゆっくりと対岸の急峻な林に消えた。仙北市の山や渓流は湯沢、雄勝の山とは少し違う風情がある。渓流に足を踏み入れたら花の終わった「コチャメルソウ」が群生していた。湯沢の大滝沢で数か所見られるがこの沢の「コチャメルソウ」は呆れるくらい多い。沢沿いの両脇に咲き乱れるニリンソウはこの時期どこにでも見られる風景。しばらく歩いて、ここから「ミドリニリンソウ」が見られるとの合図で探し出したらすぐに見つかった。一輪見つけると白い花のニリンソウの中に、次々と緑の花弁(萼片)の「ミドリニリンソウ」があった。
さすが株立ちのものはなかったが、一つ一つ違う紋様。「ミドリニリンソウ」は限られた場所にしか生育できないのか、約1500m歩いて100m程の所でしか見ることはできなかった。それでも20数点の「ミドリニリンソウ」を数えた。デジカメの一部を紹介したい。すべて2017年5月8日のもので花は終わりに近づいていた。同じ沢でも「ミドリニリンソウ」が混じっている場所は他と何が違うのだろうか。仮にこの「ミドリニリンソウ」を他の場所に移しも、固定されていないために同じ物が出るとは限らないそうだ。
「ミドリニリンソウ」の中で、ミドリの萼片の回りが白く最もきれいだったのは下の写真。
下記は二輪とも同じ文様のミドリニリンソウ。
ニリンソウは初めの一輪と二輪目はやや遅れて開花するという。下記は一輪がミドリで二輪目がシロ。
二輪ともミドリ一色。
中には複雑は形のものも散見された。突然変異多くのニリンソウの中で二本あった。
中には3輪もあり、ミドリ色は一輪だけだった。
ミドリ一色とシロの縁取りのミドリニリンソウ。
少々ピンボケ気味だが捨てがたい。
ニリンソウの白い花弁のように見える咢片が、緑色に変わった「ミドリニリンソウ」を見たことがある人は少ないようだ。「ミドリニリンソウ」の名前は付いていても固有の種ではない。咢片の先祖帰り説や突然変異説。最近ではマイコプラズマによるウイルス感染症との説もある。一般的にそれほど珍しい花ではないと言われているが湯沢、雄勝での発見は今のところ聞いていない。
ニリンソウは食べられるというが私は食したことがない。お浸しすると特有の香味で個性ある味と聞いているが、あまりにも多くあって薄い葉っぱに食する気になれない。
猛毒の「トリカブト」と間違えることがあると言われが吟味すると違いがわかる。皆瀬の女滝沢の遊歩道近くには「ニリンソウ」と「トリカブト」が混生しているところがある。同じ場所にあると「トリカブト」はややおおがらにみえる。この時期になれば花が咲くので間違えることはない。「ニリンソウ」にはプロトアネモニンという毒が含まれている。熱湯で5分ほど茹でたあと水に10~15分ほどさらすとプロトアネモンが抜けるという。若いものより、ある程度成長して花の咲いているものの方が良いとの説がある。ニリンソウは古くから山菜として食され、飢饉の時は貴重なものだったといわている。中国では「ニリンソウ」を「林蔭銀蓮花」と呼び、黒褐色の根茎を乾燥したものを、生薬名で地鳥(じう)と呼びリウマチの薬として用いている。
今回念願の「ミドリニリンソウ」に出会い。「ニリンソウ」学名がギリシャ語の「anemos」(風)を語源とし、春のはじめの穏やか風が吹き始める頃に咲くことから名がついたという。ありそうでなかなか出会うことのない「ミドリニリンソウ」の中に先端がピンクがかかった「ベニサシニリンソウ」もあると言われている。出会えることの楽しみが増えた。