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雄勝野草の会創立40周年と大滝沢国有林

2014年01月25日 | 地域の山野草

雄勝野草の会が創立され40年になった平成26年1月7日、湯沢市グランドホテルで28名が参加し「創立40周年記念祝賀会」が開かれた。当日配布された資料「雄勝野草の会の歩み」に次のように報告されている。
昭和49年1月7日、雄勝野草の会初代会長三好功一先生の呼びかけで、湯沢雄勝理科研究会の会員を中心に18名で発足した。

昭和49年1月10日発行した雄勝野草の会会報第1号に「自然を愛し山歩きの好きな人、野草の自然のたたずまいを愛でる人、こういう人たちが気楽に集まって会をつくろう、こんな気持ちでできたのがこの会です。いつでもだれでも希望されるひとは入会できます。また、会を主催する行事に参加していただくことにして、自然を愛する人の輪を広げ、自然を保護することにひと役かいたいと思います」と記されている。40年経過しても今日的意義のある鮮やかな創立趣旨だ。

発足年の計画として4~5月に羽後町田代の刈女木湿原、6~7月には沼沢沼、7~8月には栗駒山、9月には秋の刈女木湿原を計画。刈女木湿原はザゼンソウが代表的だ。沼沢沼は国道398号線で宮城県との境付近に位置し、雄物川の支流皆瀬川の最深部に位置する。会報第一号で沼沢沼は「小安温泉湯元から枝道に入り車がきかなくなってから約4粁の地点にある沼」とあるが、もしかしたら大湯温泉から枝道ではないのだろうか。現在でも道らしい道もなく、ほとんど人が入ってないといわれている沼沢沼。本格的な植物調査を実施したら今でも珍種の山野草が期待できるのかもしれない。栗駒山麓は宮城、岩手、秋田の3県にまたがり高山植物の宝庫になっている。


創立40周年記念祝賀会の資料 エンレイソウとバッチの図案

40年間の活動をスライドで紹介、延齢草のテーブルが正面だった。昭和51年1月三好会長がエンレイソウを図案化し会の象徴としてバッチを作ったことにあるという。延齢草は「雄勝野草の会の花」になっている。野草の会の事業一泊観察会が昭和51年の早池峰山から、平成25年の第38回栗駒山一周まで振り返った。各山々の代表的な高山植物が鮮やかに紹介された。過去38回の一泊観察会で会員歴5年の自分の参加した山で想いだされるのが月山のヒナウスユキソウ、蔵王山でのトリガタハンショウヅル、岩木山のミチノクコザクラ、栗駒山麓のイチヨウランが印象的だ。

38回を数える一泊観察会は月山、栗駒山が5回、八甲田山が4回、早池峰山、蔵王山、駒ヶ岳、鳥海山、八幡平が3回、岩木山、森吉山、男鹿半島本山等が2回、吾妻連峰、安達太良山、高尾山が1回となっている。


祝賀会で野草の会の歩みの紹介

私の入会は第34回の月山への一泊観察会からで、初めての月山だった。姥沢コースからリフトで行き、7月の中旬だというのに残雪には多くのスキーヤーがいた。スキーヤーの横の急な雪渓を登ると姥ゲ岳について一息。木歩道を湯殿山コースと合流する金姥に下る途中にヒナウスユキソウと運命的な出会いとなった。アルプスのエーデルワイスと同じ仲間でドイツ語で「高貴な白」という意味を知って感激する。花びらがうっすらと雪が積もったような見える。
真夏に向かって岩かげに咲くヒナウスユキソウの和名、雛薄雪草は高山植物の女王と言われるコマクサより高貴な花のように思える。暑い夏に向かう季節の白い風情が独特。早池峰山にハヤチネウスユキソウがある。同じウスユキソウの仲間と言われるが、月山のこのヒナウスユキソウの大株は清楚で見事だ。ブログ月山登山(2009.8.11)で詳細。


ヒナウスユキソウ 月山姥ケ岳 2009.07.12

「花はヨーロッパのエーデルワイスと比べて花びら(苞葉)の幅が厚い。ウスユキソウ属の中では比較的綿毛が少なく、かぶっている雪が本当に薄い印象がある。日本植物分類学会では、ミネウスユキソウをウスユキソウの変種として扱っている」(引用)

東北地方のウスユキソウの仲間に以下がある。
ハヤチネウスユキソウ 早池峰山
ミヤマウスユキソウ(ヒナウスユキソウ)月山 鳥海山 朝日 
                   飯豊等 
ミネウスユキソウ 岩手山 焼石岳 
これらのウスユキソウの仲間に微妙な違いが見られる。湯沢から一番近い焼石岳のミネウスユキソウにまだ出会っていない。東成瀬の友人S氏によれば、焼石岳での「赤牛の放牧」が絶えてから見事だった山野草の面影が激減したという。特に焼石沼周辺は今ではササダケが密生し、最盛期の山野草の姿は想像さえできない状態になったと云う。厳しい自然環境の中で種族保存の山野草も、社会の動向に振り回されているようにも思えて痛々しい。

雄勝野草の会の活動は、旧稲川町とっても貴重な成果がある。「大滝沢国有林」のすばらしさを多くの人に知らしたことだ。秋田県の南東部、皆瀬川の支流の黒沢川上流にあり、湯沢市稲川地域に供給するすべての水道水を賄うと共に、農業用水等を下流の集落に供給しています。古くから水源かん養林として大切に守られてきたため、450種以上の植物が存在し、全国的にも極めて珍しい標高の低い場所にある天然ブナ林をもつ生態系豊かな森です。
面積:318.9ha、標高:250~600m、森林の種類:天然林100%、主な樹種:アカマツ・フ゛ナ・ミス゛ナラ・ホオノキ(針葉樹1%広葉樹99%)、 林齢:200年前後。

昭和55年9月30日の秋田魁新報「わだいのファイル」で「大滝沢を平地に珍しいブナの原生林」と大きく報道した。昭和55年「雄勝野草の会」会長の三好功一氏らの植物調査で、ブナ原生林や珍しい植物群落に驚いたことから秋田県自然環境保全審議会に報告、同会も参加して同年9月詳しい調査が行なわれ報道される事になった。この原生林が手つかずの状態で今日まで来たのは、江戸時代、佐竹南家が《水源涵養林》としてこの地帯の伐採を固く禁じ、その後もこの《禁令》の趣旨が守られてきたことにある。

その後、昭和五十七年(1982)秋田県自然保護課が「自然環境保全地域」指定の対象地として科学的な調査を行い、「自然環境保全地域等の調査報告(稲川町大滝沢地域の植物と地質)を」発刊し、「秋田県民の財産であり、自然保護、自然環境保全、学術的に」きわめて重要な地域としての立地とともに厳重な保護が望まれる」と報告されている。

さらに、「いなかわ地域・農業振興推進会議」稲川町農業振興推進指導員で農学博士成田弘氏が中心になって調査、多くの人に貴重な地域に関心がもたれようになり平成7年、林野庁が筒井迪夫・東大名誉教授(森林文化協会・森林環境研究会顧問)を座長とする「水源の森百選」検討委員会で、「大滝沢国有林」を選定した。

大滝沢国有林を地元は「東福寺山」と云っていた。雄勝野草の会が昭和55年の植物調査以来、学術的にも貴重な地域であることを多くの人に認知されるようになった。しかし、その後の気象変動、大雨などで荒廃、歩道も整備されていないので立ち入りが難しくなっている。「水源の森百選」に選定されている地が荒廃しつつある現状を憂慮、早急に対策が必要ではないのだろうか。雄勝野草の会調査から35年近くなって再調査の必要性を感じる。貴重な植物群落もある程度人の手を加えないと絶滅してしまう危険があるからだ。(一部2012.8.21古道・夏街道を行くと重複)

野草の会では昭和52年から、湯沢市中央公民館で山野草写真展を開催し今年で37回となった。会員が撮影した山野草は多くの人に感動を与えている。ひたすらにひっそりと咲いていた山野草、これだけの作品を一堂にすると日常の些細な出来事から解放された気分になる。


第37回雄勝野草の会山野草写真展 湯沢生涯学習センター 2013.11.16

歩みには40年間で三好功一、土田冶兵衛、藤原正麿、鈴木房之助、松田義徳、佐々木進、柳沢昭三、福島信治、藤原重栄、大日向貞英の各会員はそれぞれの分野で書籍、植物目録、新種発見、未確認種の発見、新聞、市町村広報誌に山野草の連載などで活躍したと結んでいる。会では昭和57年発行の「秋田県雄勝地方植物誌」(139科1223種)の改訂版の発行を発表した。湯沢雄勝の唯一の植物目録で40周年を記念して発行が待たれる。会員は現在51名。10年後の創立50周年を目指して、一人でも山野草に関心持つ人が多くなり会員が増えることを期待したい。






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豪雪4年連続

2014年01月19日 | 地域
昨年12月中旬からの大雪続きは、一月も下旬になってもまだ当分続きそうな勢いだ。湯沢市は平年の3.5倍、昨年比1.2倍の積雪量との報道がある。4年続きの大雪で各地から大きな被害が報告されている。秋田県では県北と県南では大きな差がある。

横手平鹿と湯沢雄勝の累積降雪量(一定期間内に降った雪の量)は12月1日から1月12日までに約400㎝、19日には600㎝超えたと報道されている。実感としては2011年のこの時期の積雪量は今回より多かったように思う。過去3年前と比べて今年の雪はどちらかと言うと水分が多いのではないか。雪下ろしで汗をかいて濡れるのはいつものことだが、今年の雪は水分が多いので防寒着がたちまち濡れ、体まで達してしまうくらいだ。だから積雪量は見た目より重い。各地で建物の倒壊が報告されている。ハウスの倒壊、リンゴ等の雪折れより早く建物の倒壊の報道は今までなかった現象だ。先日稲庭うどん工場の作業場の倒壊もあった。


朝日新聞秋田版 2014.01.14

以下は、新年を迎える頃から雪との格闘記だ。
新年も早々から雪、雪正月気分もそこそこに菩提寺 神應寺の雪下ろしが1月4日にあった。
檀家約180戸、川連地区の他、川連町大館、野村、駒形町仙道、佐野、八面、稲庭町、皆瀬地区の他横手市2戸等があるが屋根の雪下ろしは川連地区麓、川連、上野の三集落が交代で行われている。

神應寺庫裏 2014.01.04

第一回の雪下しに麓地区が担当で25人が参加した。正月早々の雪下しは今まで記憶にはない。それほど年末からの雪降りがすごかった。ほとんどの家では正月前に屋根の雪下しは終わっている。出だしの遅い我が家では暮れの29日、作業舎兼車庫の雪下しをした。

作業舎兼車庫の雪下ろし 左側に電話線が見える 2013.12.29

建物の周りが道路、隣家で雪を投げることができず、ほとんどスノウダンプで建物の南側に運ばなければならない。建坪12坪と18坪の屋根の雪は高さ1.2mほどを一方向に運ぶのに2人で午後3時頃までかかり、除雪機でその後歩く範囲の排雪に夕方までかかった。

築約100年の住宅の雪下しは1月10日。この日は天気が一向に良くならず吹雪に低温、300㎡ほどの屋根、長さ18mほどをスノーダンプで回りながら雪を下に落とす作業は、単純といえば単純な作業だ。寒さで水分の多い今年の雪は回りながら落としてくると雪の境が凍って固くなってきていた。長年作業しているが珍しいくらいだ。


自宅の屋根 後方は土蔵、上部が新雪 下部が年末からの固い雪 合わせて積雪高は約1.3m 2014.01.10

下部の雪は降雪後しばらく時間が経過した分固くなっているが、今年は例年になく降雪、暖気が繰り返され下部の雪はザラメ状態でスノーダンプでの排雪は比較的楽だった。

1月12日は自宅から100m離れた農機具舎。この建物も片方が道路。雪下ろし時は交通ストップの状態でなるべく早めに終え、除雪機で交通に支障ないように急がなければならずなかなか気を使う。吹雪と水分過多気味の雪降りで全身濡れてしまった。こんな作業もめずらしい。

15日は自宅前の車庫の二回目の雪下ろし。久しぶりの好天。下記の写真は10日に雪下ろしをした住宅。住宅続きの土蔵の雪はそのままだ。好天でも滑り落ちないでいる。もう少し暖気が続かないとどうにもならない
5日間の積雪量は130㎝程。2回目の雪下ろしが迫っている。我家は住宅、土蔵、作業場兼車庫、農機具舎合わせると屋根面積は約800㎡。かつては牛舎、堆肥舎があって屋根面積は約300坪、1000㎡をはるかに超えていた。土蔵の屋根は急こう配で雪下ろしの必要はないが後の建物はすべて人の手による雪下ろしをしなければならない。このほどの広さの雪下ろし、下した雪の排雪作業は空から降り続く限り毎日のように続く。


作業舎兼車庫から見た 住宅の屋根 2014.01.15 バックは国見嶽と川連城跡の古舘山

4年連続の大雪、当地方の積雪量は約170㎝。市による道路の排雪はすでに5回。ウンザリする大雪にまだ数回雪下ろしが続く。雪国の宿命と云えばそれまでだが、、、。

今日1月19日は日曜日、沖縄名護市長選投票日。某幹事長は名護入りして500億円の金をばら撒くと口約束した。権力と税金を使って公然の買収、公職選挙法違反まがい。全国民注視のこの選挙、名護市民はどう判断するのだろうか。降り続く空を見上げながら遠く想う。戦争できる国を平然と云うこの国と、辺野古の海の行く末を案じながら、、、、。

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