新河鹿沢通信   

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その後のイボガエル

2008年07月15日 | 地域
気象庁は7月10日、岩手・宮城内陸地震で余震が減衰し、震度4~5弱を観測するような地震発生の可能性がほとんどなくなったとして、本震発生以降行ってきた余震発生確率の発表を終了すると発表した。

10日以降、二つの溜池でのイボガエルの鳴き声がかつてのようなにぎやかさに戻ってきた。
7月12日朝「オヤッ」と思う余震があった。当地域は震度1と発表された。
地震発生一ケ月後の7月14日夜のカエルの賑やかさは今まで抑えがちに鳴いていたのを、払いのけるかのようなにぎやかさになった。

明日以降、余震は極度にないか、気象庁の発表のように被害を及ぼすような地震発生の可能性はないのかもしれない。

今振り返ってみれば、岩手・宮城内陸地震前に、あまりにも鳴き声の賑やかさを通り越し、うるささに辟易していた。それが地震3日ほど前から「ピタッ」と止まっていたのに気付いたのが、地震発生から10日程してからだった。
地震発生の場所は自分のおきにいりで、年数回ドライブに行っていた記憶のある場所の被害。

連日テレビや新聞報道にこころを痛めていた。
毎日のように余震が続く日々の中であのにぎやかなイボガエルの鳴き声がないことに気づいたは、地震発生後10日程たってからだった。
一度や二度はパソコンからその鳴き声を検索し、イボガエルの鳴き声を窓際から小さな池に向かってボリュウムいっぱいにして彼らを誘ってみても反応はない。

ギャア、ギャァ、グゥグ、グゥ
ゴゴ、ゴゴォ
ギョァ ギョ、ゴオ、、、

の鳴き声は戻らない。

そんな中で、
5月にあの中国四川大地震の4、5日前にヒキガエルが大移動したニュースを思い出して、自宅のカエルの異変と地震との関係はあるのだろうかなどと思いが交錯していた。
当時、中国の当局はヒキガエルの大群と地震との因果関係は否定していたが、それにしても、これは凄い現象だ、などと思っていた。

写真はその報道。
<四川大地震>災害の前兆?数万匹のヒキガエル大群出現―江蘇省泰州市
http://www.recordchina.co.jp/group/g19035.html

≪2008年5月9日、江蘇省泰州市に突如、数万匹のヒキガエルの大群が出現し、市民を驚かせた。同月5日にも、四川省の綿竹市で同様の異常現象が確認されており、いずれも12日に発生した四川大地震の前兆だったのではないかと多くの市民が推測している。≫

その後、自宅に来た友人は地震の前「飼っていたナマズが水槽から飛び出した」とか、地震の後「ヘビ」を見ないとかの話など村の人たちからが聞こえてきていた。

確か巷間言われているようにこれらの生き物は自然現象に人間よりずっと敏感に反応することだろう。

これが、カエルの鳴き方と地震との現象。
因果関係などわかりはしないが、6月11日以降ほぼ一月の間、我が家の溜池のイボガエル(ツチガエル)、地元でいうクソビッキの顛末である。

アカトンボ誕生

2008年07月10日 | 農業
今年もアカトンボの羽化が始まった。
当地方今年の梅雨はほとんど雨のないカラ梅雨状態。
7月に入りやっと梅雨空にはなったが、各地で報道されるような強い雨はない。

そんな中でアカトンボの羽化誕生がいつもの年よりいくらか遅れはしたが最盛期に突入した。
最も誰もが言うアカトンボという名前がついた種のトンボはいないそうだ。
分類学的には通常はトンボ科アカネ属(アカトンボ属、Sympetrum属)に属するトンボを総称して呼ぶ。日本ではこのアカネ属に属するトンボは21種類記録されている。

通称アカトンボと呼んでいるのはナツアカネやアキアカネのことらしい。
我が家の田圃のアカトンボもこのナツアカネやノシメトンボが主流のようだ。
中には、はねの先ではなく、すこし内側によったところに赤いバンドがあるミヤマアカネらしいものも見られる。

我が家の田圃と他の家のたんぼとに大きな違いがある。
あきらかにアカトンボの誕生が抜群に多いのだ。
その差何倍だろうか。
5、6倍とも10倍とも思える。
それくらい、アカトンボが多い。

昭和50年代のはじめに当地方は大がかりな圃場整備事業がおこなわれた。
当時、農家が長年にわたってつくってきた耕土がいとも簡単に整備事業で崩壊してしまった。
整備された田んぼは一部では耕土が深く埋められたり、礫がむきだしになったり、湧水が出てとても水田とは思えない圃場がうまれてしまった。
私たちはこれを宅地開発方式の田んぼと呼び、官製欠陥田は許さないと運動を起こした。
詳しくは薄井清著「現代の農民一揆」たいまつ社(1978)に詳しい。

以来、今でいう減農薬、減化学栽培。
農薬はなるべく控える、化学肥料は慣行の半分以下での栽培。
そして、自然乾燥で稲ワラをすき込まず、堆肥散布で土づくり。
そのことがアカトンボの幼虫が生育するのに適した結果なのだろう。
他の人の田圃とせいぜい1㍍の畦畔を境にして一目瞭然なのだからおもしろい。

この時期の誕生で田んぼから山へと移動し、お盆も過ぎて稲刈りの季節にはまた田んぼに帰って産卵が始まる。

一茶の句
「とんぼうの尻でなぶるや隅田川」
を拝借すれば
 「とんぼうの尻でなぶるや稲田かな」
の光景が広がることになる。

温暖化、バイオ燃料等で穀物高騰が報道される今年の作柄はどうなることか。


続イボガエルと地震

2008年07月07日 | 地域
時たま鳴きだしたと思えばピタッととまる ツチガエル。
体長3cm-5cmほどで、メスの方がオスより大きい。
背中には大小のいぼ状突起がたくさん並び、各地で「イボガエル」という方言で呼ばれているらしい。
このカエルには独特のいやな臭がある。
当地ではカエルのことを「ビッキ」と言う。いやな臭いから「クソビッキ」といわれている。

このビッキは面白い習性がある。
オタマジャクシの一部が越冬するのだ。降雪の前、池のごみ上げなどをすると数匹ごみと一緒にあらわれる。
そして、越冬した幼生(オタマジャクシ)は翌年大型のカエルになり、尾まで含めた全長が7~8cmに達するものもいる。

小生宅の溜池は二か所あって、何年前からか世代を交代し「クソビッキ」の棲みかとなっている。
水辺の石などで地上生活をし、おもに小さな昆虫類を捕食する。繁殖期は5月-9月で、オスが鳴いてメスを誘うのだそうだ。
「グエェー グエェー」「グエェー グエェー」
「グウゥ グウゥ」「グエェー」
と鳴き声が多才。

人が近づくとあわてて池に飛び込む。
あの松尾芭蕉の有名な俳句の
古池や かわずとびこむ 水の音
のかわずとはこのツチガエルではないかと言われているのも頷ける。

一つの池どうしでの掛け合いの合唱なのか、せいぜい20メートル位しか離れていない溜池でうるさいくらいの競演は地震の後、ずっとすくなくなってしまった。6月14日の岩手・宮城内陸地震前までの鳴き声には戻っていないが、今晩の溜池の合唱は快調だ。

そろそろ、余震も終わりなのだろうか。
昨日は体に感じる余震が2回ほどあったが今日は気付かなかった。


イボガエルと地震

2008年07月04日 | 地域
我が家の居間から3メートルばかり離れた所に小さな池がある。
7㎡位の溜池だ。その池に金魚や鯉など放していたが、この冬の雪でほとんどいなくなってしまった。

池の主が自分たちだけになったのか、今年のツチガエル、別の名イボガエルの鳴き声は凄かった。
3メートル側の窓際のテレビの音声が聞こえないくらい邪魔な鳴き声に辟易していた。
それが岩手・宮城内陸地震の2日ほど前からピタッと鳴き声がきこえなくなった。
テレビの音が聞こえないくらいの賑やかな鳴き声が消えて、2日ほどしたらあの地震。

今月6月14日の地震。震源地から直線距離で3、40キロしか離れていない当地の震度は5強と発表され、さすが揺れはかなりのものであった。
家のきしむ不気味な音と揺れの中で、この小さな池もたちまち濁ってしまった。

鳴きやんでしまったツチガエル。
まだまだ余震が続くからなのだろうか。

やっと鳴き声が聞え出したのが、地震発生から10日もたってからだったが、鳴き声が地震前より弱い。
ときたま思い出したように鳴き声聞こえるが、続く気配がない。

そして7月。
ツチガエルの鳴かない日は決まって余震がある。
今日は7月4日。
昼頃、余震があった。
今晩もあのにぎやかな鳴き声はないのだろうか。


お寺が消える

2008年07月01日 | 村の歴史

今、全国に和尚さんのいない無住寺が増えていると言う。
檀家制度発足以来、地域の限界集落進行、過疎化があの何とか総理の「カイカク、カイカク、市場原理、民営化」、「自民党をぶっ壊す」はこの国の今まであった秩序もぶっ壊し、売国政権のなれのはて、地方の商店街はシャッター通り、過疎化の現実の下で「お寺」の崩壊も確実に進行している。

檀家制度は、江戸時代にキリスト教弾圧のため、どこかの寺に必ず所属することを義務づける寺請制度の導入が始まりとされる。
お寺は明治以降、墓地以外への埋葬が禁じられことでお布施収入を確保し、地域の行政組織に組み込まれて、名実共に地域共同体の核となった。檀家の葬儀、法要をつかさどる住職は肉親と別れた遺族にとってなによりのより所であり、何より心のささえでもあった。
そのあたり前の姿であったお寺に、住職がいないという姿は、檀家にとって言葉で言いあらわせないくらい失望は大きいことだ。

寺ビジネすスは1兆1千億円市場ともいわれ、葬儀サービス業の繁栄することによって、お寺に対する壇信徒の見方も段々とシビアになってきた。
今まで寺は檀家の葬儀や法要での御布施で収入を確保してきた。一般的には檀家300軒がお寺の採算ラインといわれている。
超高齢化社会になってどこの寺に属さない人達も増えていると言われる。お寺には一種独特な閉鎖社会的な面がみられ、和尚さんの考えが絶対的だった、かつての姿と随分と違った現実がある。そんな意味で言えば、お寺社会と壇信徒との意識の乖離も大きくなる傾向にある。

無住になってしまったお寺。
新しく住職を迎えることの困難になったお寺は今後どうなっていくのだろうか。
一方でどこのお寺や宗教のも属しない葬儀は増えていると云う。
時代が変わって住民の意識が変わってきたからと言えばそれまでかもしれないが、経費のかかりすぎに対応できない家庭が多くなってきたのも事実だ。

葬儀がこれまでと違って質素になってきたとの話も聞く。
各地に無住寺が進行する今の時世、かつてお寺と一緒に地域を守り育ててきたと言う壇信徒の意識とは、ずいぶんかけ離れた姿に見受けられるようになってきた。