わが集落(麓、川連)で明治43年から続く「火まつり」が、この2月24日川連集会所で開催された。過去にハガキ通信「河鹿沢通信」57号、2001.3.10で紹介した。火まつり行事は近くの集落でもおこなわれてはいるが、近年途絶えてきたという。
古老の話だと、火まつりが始まった明治の後半は集落で火災が多かった言う。当時新築や、近年リホームした家中心に始まり、昭和60年前後まで続いてきたが、生活習慣の変遷で各家中心の「火まつり」は開催が困難となり平成に入って集会所で開くようになって20数年となる。
江戸後期嘉永五年(1852)川連村の村方一統から出された「村方引立相談定書」に火まつりのことも書かれており、火まつりの開催日は各集落でまちまちで一定ではなかったようだ。
明治43年前の記録はハッキリしないが、麓集落の「火まつり」に翌年(明治44年)川連集落の一部が加入し、現在も続いている。開催日は2月の「みずのえたつ」の日だったが集会所で行われるようになって2月の第4日曜日に定着してきた。今回の参加戸数は69戸。
隣の岩手県では今なお盛んなようで、防火を祈願する「火防祭」(ひぶせまつり・かぼうさい)と言われているようだ。
有名なのは、「日高火防祭」(奥州市水沢区日高 4/28~29)。華やかな囃子屋台が知られています。この近くでは、「金ヶ崎火防祭」(金ヶ崎町 4月第3日曜)、「羽田火防祭」(奥州市水沢区羽田 3月下旬)などもあります。 宮古市小国では小正月前後に「火まつり」がおこなわれます。集会所でご祈祷をしたあとで末角神楽が神楽を披露するというものだそうだ。
当地方のやり方は、始まりのころから当番宅で参加者のとりまとめ、参加者は汁碗一杯の白米に消炭(けしずみ)3、4個と決まっていた。その他神事の準備や初穂料、直会等の経費は当番宅持ちで負担も結構大きかった。終わりに次年度の当番宅を決めて毎年継続してきた。
近年、生活様式の変化は個人宅での開催が困難となり、集会所での開催は集落行事として定着。集落代表を中心に隣組中心で開催するようになった。参加料は1000円で20数年は経過した。
祭壇は当日、集会所に設置。祭壇の後ろの掛け軸は、「火伏の竜」で大正7年喜寿の年、常在寺機岳和尚の作とある。
一年の火災等の災難を防ぐため、集落の辻や村境に立てる10本の「ミズナラ」(写真は8本)に消炭入れた藁つと、杉の葉に御幣を一つに結ぶ。(ミズナラはことさらナラにミズがつくくらい火災に強い木と言われている)
この地域と参加者の安全を願い、結んだ「ミズナラ」の木は直径3~4㌢長さ4、50㌢ほど。片面を削り「奉祭鎮火三柱大神 火災消徐攸」と宮司が記し、参加者全戸に配る御幣、お札(ミズナラと同じ文字)、杉の葉を祭壇に奉り八坂神社の宮司さんに祝詞とご祈祷をしてもらう。参加者を代表して集落代表が参拝、参加者一同がこれに合わせて行う。
すべてのセレモニーは約40分ほどだ。終わると宮司から一人一人がお神酒をいただいて「直会」(なおらい)に入り一年の無事を祈る。
この行事が終わると雪国秋田もいよいよ春近いと思うのだが、今年はいささか趣(おもむき)が違う。
火まつり当日は吹雪、秋田のJRは運休。高速道路閉鎖の状態。今日は珍しく晴天。JAは早くも「種もみ」の配達を始めた。また特Aをめざして「あきたこまち」のスタートが始まる。
古老の話だと、火まつりが始まった明治の後半は集落で火災が多かった言う。当時新築や、近年リホームした家中心に始まり、昭和60年前後まで続いてきたが、生活習慣の変遷で各家中心の「火まつり」は開催が困難となり平成に入って集会所で開くようになって20数年となる。
江戸後期嘉永五年(1852)川連村の村方一統から出された「村方引立相談定書」に火まつりのことも書かれており、火まつりの開催日は各集落でまちまちで一定ではなかったようだ。
明治43年前の記録はハッキリしないが、麓集落の「火まつり」に翌年(明治44年)川連集落の一部が加入し、現在も続いている。開催日は2月の「みずのえたつ」の日だったが集会所で行われるようになって2月の第4日曜日に定着してきた。今回の参加戸数は69戸。
隣の岩手県では今なお盛んなようで、防火を祈願する「火防祭」(ひぶせまつり・かぼうさい)と言われているようだ。
有名なのは、「日高火防祭」(奥州市水沢区日高 4/28~29)。華やかな囃子屋台が知られています。この近くでは、「金ヶ崎火防祭」(金ヶ崎町 4月第3日曜)、「羽田火防祭」(奥州市水沢区羽田 3月下旬)などもあります。 宮古市小国では小正月前後に「火まつり」がおこなわれます。集会所でご祈祷をしたあとで末角神楽が神楽を披露するというものだそうだ。
当地方のやり方は、始まりのころから当番宅で参加者のとりまとめ、参加者は汁碗一杯の白米に消炭(けしずみ)3、4個と決まっていた。その他神事の準備や初穂料、直会等の経費は当番宅持ちで負担も結構大きかった。終わりに次年度の当番宅を決めて毎年継続してきた。
近年、生活様式の変化は個人宅での開催が困難となり、集会所での開催は集落行事として定着。集落代表を中心に隣組中心で開催するようになった。参加料は1000円で20数年は経過した。
祭壇は当日、集会所に設置。祭壇の後ろの掛け軸は、「火伏の竜」で大正7年喜寿の年、常在寺機岳和尚の作とある。
一年の火災等の災難を防ぐため、集落の辻や村境に立てる10本の「ミズナラ」(写真は8本)に消炭入れた藁つと、杉の葉に御幣を一つに結ぶ。(ミズナラはことさらナラにミズがつくくらい火災に強い木と言われている)
この地域と参加者の安全を願い、結んだ「ミズナラ」の木は直径3~4㌢長さ4、50㌢ほど。片面を削り「奉祭鎮火三柱大神 火災消徐攸」と宮司が記し、参加者全戸に配る御幣、お札(ミズナラと同じ文字)、杉の葉を祭壇に奉り八坂神社の宮司さんに祝詞とご祈祷をしてもらう。参加者を代表して集落代表が参拝、参加者一同がこれに合わせて行う。
すべてのセレモニーは約40分ほどだ。終わると宮司から一人一人がお神酒をいただいて「直会」(なおらい)に入り一年の無事を祈る。
この行事が終わると雪国秋田もいよいよ春近いと思うのだが、今年はいささか趣(おもむき)が違う。
火まつり当日は吹雪、秋田のJRは運休。高速道路閉鎖の状態。今日は珍しく晴天。JAは早くも「種もみ」の配達を始めた。また特Aをめざして「あきたこまち」のスタートが始まる。