新河鹿沢通信   

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化けくらべ (5)和尚の説教

2009年12月27日 | 民話
かわづら(かわつら)の寺のおっさまぁ(和尚)、大館の法事さ  えて戻りぁ しかみじ(近道)して、平城まで来たば、なえが話し声ぁしるけど、なえだべ ど思て どで(土手)コ陰がら見たば 四人(四匹)のぬしだちのあぢばり(集まり)だけでを

「ははあ、こねぇだ(この間)がら わりごど(悪いこと)起ぎるど、心べぇ(心配) してだば やはり このやがら(輩) でぁたが、この儘(まま)えしておげば しょげん(世間)の為ぇならねぇ」

て、この日ぁ寺さぁ戻たけど して ちぎ(次)の日、四人どご呼ばりぢげだ(よびつけ)でを、四人な こねぇだ(この間) 花まぢりぁおわたばり(花祭り終わったばかり)だえ、なえが余りおの ける(あげる)なだべど、とで はね(飛んで)で来たおだけど、して、えっちも(いつも)庫裏のほさ えてらなだおで そちゃえぎがげだば(そっちほうさ行きかけたば)本堂のほがら 和尚の大声だけでを 

「こりぁ そごの四人、こごさこえ(こっちへ来い)」

て、本堂のめぇ(前)さ、ねま(座)らされだでを、

「しかごろ(近頃)、えぐねぇ(良くない)ごどぁ おぎでるな、度々耳えしてえたが、そなだ達のしわざ(仕業)でぁた。んでねぁ(そうではない)どは言わしぇね、きんにゃ(昨日)平城のごどぁ、ちゃんと調べぇちでる。
 
このぼんぢぁ(和尚)ちね日ごろ、きがしぇでえだごど(話してた約束事)破て、この悪行ぁ なぢした(何とした)ごどだ。
あちこちの人さめやぐかげで、このちぐねぇ(償い)なぢしる(何とする)(謝って)。えま迄のごどぁ(今までのこと)その しとだぢ(人達)どさこの和尚ど しとぢえ(一緒)いわげであげるして、今後こえだだごどぁあたぢぎぁ(こういうことがあれば) こちにを了見ある、返答しでぇで、今日にをマタギだぢえ 来てもらて 皆ぶて(撃ち殺す)しまうが、
 
えゝがっ 俺の言うごど えぐえぐ(よくよく)聞げよ。只止めろて言うなでねっ 村村の人だぢを、んがだどこ(お前たちを)見れば なえ (何)をしねぇだて ぼたぐて(叩く)しまうどごぁある。そえだごどぁ(そんなこと) さしぇねぇ (やらせない)し、やらしぇねぇ たまにゃアブラゲを、喰でぐなるきもぢぁ(気持)えぐわがる。
だえで(だから)、人のおの(物)騙して取て、えゝ法ぁねぇ その代わり 月えにんど(二度)  にんみゃ(二枚)のアブラゲ各々さける、それででげるが どうだっ 若し断わり言えば、んが(お前たち)だばかりでねぇ、
 
一家郎党 皆、ぶだれるごどえなる それでを、ええがっ、性根しえで、返答しろっ。

て、こどわげ(事訳)での しえっきょ(説教)だけでを、連中ぁ寺がらなば、たえした ふたまえなて(迷惑をかけて)で、わらしぁだ けば(来ると)、しとぢえ あし(遊ぶ)でけだり、ものけだり、此の親だたて、マダギえ ぼわれ(追われて)で寺さねげで(逃げて)来て、おっさ(和尚)の衣の袖で かぐして貰て、たしかた(助かった)ごどぁ何遍を あぁあた(あった)おの、法・理・情のしえっきょえ震え上がてしまて、ちぢ(土)さ頭こして・

「おっさまあおらだわりがた(和尚さん俺らが悪かった)、これがらぁ決してしねえがら、何とが御免してけろ」て、涙ぼろぼろ こぼして、いわげだけど…。

それがらあ、まえちぎ(毎月)の はぢめ(始め)ど、ぢゆうごんち(十五日)にやぁ、アブラゲコ にんめえ(二枚)ぢじ(づつ)・森コにやあ おどコ(お堂)のめえさ、切崖にやぁ新堰の橋さ、平城にやあ エボ橋さ、舘にぁあ上がり口のえし(石)さ 誰が置えだでをねえぐ(誰ともなく)、置えであるをだけど…:

それがらあ、えま迄えな、わりごどあ起ぎねえぐなたおだけどせえ。

おめえだ(お前たち)をそのあだり あれぐぢ(歩く時)ぎ、アブラゲコにんめえ置えでるな、ぢんぢょ(きっと)見でるべぉん、して、えぢのまえ(いつの間にか)が、ねえぐなて(無くなって)るなを なあ……。

大雪その後

2009年12月26日 | 地域
COP15(国連気候変動枠組み条約国会議)最中、この冬は暖冬傾向の報道を真に受けたわけでもなっかったが、14日からの大雪はすざましかった。この大雪は日本だけではなく、ヨーロッパ、アメリカ大陸まで及んでいる。

12.19朝約65㎝ 自宅東側

一過性とは思うことだが、難航したCOP15とクロスしての大雪に複雑な思いがした。それにしても降り出した雪が、休みなく降るのは珍しいことだ。この間富士山で遭難があり、庄内鶴岡市の中心部で83㌢積雪の報道には驚いた。秋田でも雪は多い方の当地区は65㌢前後で他の地区と比較してもそれほど驚くほどの雪ではなかった。      モミジの実をついばむすずめ                                            
この間、初雪から40日後の大雪で「スズメ」など小鳥のえさ場が雪におおわれ、庭木のモミジに数羽飛んできて残っていたモミジの実を、雪を落としながらついばむ姿が見られた。面白いことに普段は里山の沢などで見られる「ミソサザイ」が雪なると必ず庭の「オンコ」の茂みにくる。昆虫やくも等や沢ガニを食べると言う「ミソサザイ」。             

ミソサザイという名前の由来はミソはミゾ、溝の事であるらしい。サザイはササイ、些細。
つまり溝些細。谷筋の溝に現れる小さい者と言う、ミソサザイとなるのだそうだ。体長11㌢程の鳥。体が小さいから動きもすばやい。雪が積もると「オンコ」の茂みに何か昆虫がいるのだろうか。今年も二羽間違いなく飛んできたがまもなくどこかに帰って行った。      

12.23 朝

一週間ほど続いた雪降りも、この週の初め頃から落ち着いてきた。            23日やや暖気がきて庭木の雪が落ちると、他のエサ場も雪が少なくなってか、「スズメ」も「ミソサザイ」も来ることはない。この冬も何回かこれも繰り返すこととなる。

大雪で近くのスキー場ではスキー場開きと同時に滑走できたそうだ。例年だと雪のないスキー場開きで関係者は毎日のよう空を仰いでいた。今年はこの雪で大いに満足しているようだ。                                                                                                                                           

           
                                          しかし、大きなブームの過ぎてしまったスキー人口。今年も混雑するほどの集客は期待できそうもない。それでもこの年末、年始市の中心部から数分の稲川スキー場は束の間(つかぬま)の賑わいになることだろう。

化けくらべ (4)舘の太助の自慢コ

2009年12月26日 | 民話
隣村のしぇんど(仙道)へ しから(力)のちぇ(強い) わかじぇ(若勢)ぁ えだけでぉの かわぢら(川連)の みまぎ〔親戚〕の田植えさ しけええて(手伝い)、早ぐおわて、遅昼のヨデコ(田植え祝い)ごっそう(ご馳走)えなて、山田のさが(坂)まで来たぢぎぁ(時)、晩方へなたけでお 魚コなのしぁげこ(酒)なの たっさえ(たくさん)貰て来たおで しこし えしょ〔急ぐ〕えだけでお。

「この分だば、明りうぢ えさえげる(家さ着く)」

て、さが(沢川)の上まで来たけでを、そのじぎ、林の木の陰え、なえが 動くおのぁ えるけでを、

「なえだべ?このあだりぁ えぐギヂネぁ出はるて言てらきゃ 
それだべがな、よしっ、んだば(そういう事)とて(捕る)えて キヂネ汁こしゃで(作って)く(食べる)べ」。

て、腹さ決め手、こそっと(こっそり)見でだば やっぱりキヂネだけでを、して、みらっでるな(見られている)気ぁちがねどめで(気がつかないと見えて)、ホンノ木の葉コ さんみゃ(三枚) たげぇ(持って)で、頭の上さかぶて ぐるぐるどまわたり でんぐりげぇ(回転)たり きてぁ(奇態)なごと しるおだけを

「このチキショぁ、俺え見らっでるな しらねで、なえがえ 化ける ちもり(つもり)だぁ」
て、見でだば、そのぢぎ じょえっ(直立)と たたど(立つた)思たば、えぇアネコ(良い娘)え ばげ(化)だけでを

「あっ チキショあ、おなごえばけやがた、どさがえて(どこかえ行って) わりごと(悪いこと) しななべゃ(すること)?、、よしっ あどぼて(後ろ追って)だましドごみで(騙すところを見て)としかめぇる(捕まえる)べ」

て、キチネアネコのあど ち(着いて)でえたでを、したば、ながねみぢ(長根道)西さ おれでえて、八幡様(八幡神社)さえたけでを

そこそごであ、なえが祈祷ごどぁ あた(あった)どめで、村のしとだぢァ(人たち)ろくしぢにん(六、七人)えで、たげぇ(持って)で来た、ジュッコ(重箱) あげで、酒コ飲み はぢめだどこだでを して、キヂネアネコあ、おかねがり(怖がらない)を しねぇで じょえじょえ(遠慮なく)ど 上さてえて、

「晩えなたんし、そご迄来たば、こっちぁ あまりげぇえ(あまりにも)
面白せぇそだおで、上がて見たば、皆ええしとだぢ(良い人達)の あぢばり(集まり)でたをな おらどこを かでで(加えて) けねぇべが(くれないか)」

て、ばなれ(場馴れ)だ てちき(手付き)で、酒コなの ち(注ぐ)でまわるおで「こおりゃ ええどさ来てけだ、やあっぱり酒コぁおなごの しゃぐでねばでげねぇ なあっしょ」

て、ちでもらて、だんだんにぎゃがえ なてきたけでを、、そのぢぎキヂネアネコぁ、周りのしとだぢえわがらねよえ(周りの人たちがわからないように)、わぁ(自分) 持て来た、からヂュッコ(空の重箱)さ アブラゲなの、ニシンの煮メなの かぐしはねぁだ(隠し始めた)でを、しぇぢ(それ)見でわがじぇあ(若勢)、

「えま(今)だっ」でをで、
「みんなぁ そのおなごあキヂネだぞ きしけろっ(気をつけろ) だまされんなっ」

て、キヂネめがげで とびぢだ(飛びついた)けでを、したば此の声でどでん(動転)して、たたしとど(そこそこと) ぶしかて(ぶつかって)、てぁはぢれ(体外れ)で しまて、えまべぁこ(もう少し) のどごで、ねがしてしまたけ(逃がしてしまった
でを、したば(そうすると)村のしとだぢぁ(人たち)、

「まんぢ(まず)こりゃ、おめぇえ(お前様) 来てもらわねぱ、キヂネえ
こばがえ(小馬鹿)されっどこでぇた、ほんとえ たしかた(助かった)なや」

て、てえね-え(ていねい) れえ(礼)言われで、神様さあげでだ、三宝さ山盛りの饅頭、皆けだ(くれた)おだけど、

「こりゃありがでおだ、人だしけ(人助け)したの、ひまだれ(道草)して、おそぐなた」

て、えしょ(急い)えでえさもどた(家に戻る)けど、して、えのしとだぢえ(家の人たち)、もうべえこで キヂネ汁 くえるどごでぁたごど 聞かぇで(出来事を聞かせて) もらて来たぁ饅頭 あげ(空け)て見だば、マクソ(馬糞)だけど、かわぢら(川連)がらの もれぇおの(もらいもの)、しぇだ(入れた)、テコダシのながみぁ、空えなてらけど、、、、。


舘の太助の話しコぁ 終わて、

「やあや、さしが(さすが)え 太しけしゅだ、裏の裏けぇだべたよ、あっはっはっはっはあ、、、」

て、大われえ(大笑い)して、それぞれのえ(家)さもどたでを したの、むらのしとだぢさ、おごどしたごど わし(わすれて)で、じまんかだり(自慢語り)え、むじゅう(夢中)え なてらどご、川連のおっさん(和尚)えかて、でらり(全部)きがれだでを(聞かれた)、
で、この後、なぢえなた(どうなったか)が、きぎ(聞く)でべのあした(明日)だ。
   
    つづく


化けくらべ (3)平城のヒラコの自慢コ

2009年12月24日 | 民話
三梨のあるえ(家)でぁ、正がぢ(正月)を 近けえぐなて、ししはぎ(大掃除)を でげだし(終わって)、もぢ(モチ) を ち(つき)だし、きんにぁ(昨日)迄荒れでえだ、ふぎ(吹雪)を晴れで、天気をえぐなたし どて、ドドぁ(お父)増田さ、魚コ買いにへ、えたげでを(行った)、みぢをえぐ(道もよく) ちでで、あれぐ(歩く)え はが(能率)えた.増田の町の日、今日ぁ二七日で、仲町の番で、出店を・たっさえ(沢山)出はてえで、欲しいのぁ なえでを買えで、カシべ・ボダコ.エガ.ハタハダなの、あれこれ買て戻り、野村しぎだ(過ぎた)ぢぎぁ ひらん(午後)からの、一時半んころだけでを、

「ああ、はがえた、こご迄けぱ、あどぁしとえ(ちょっと)こだ、まぢ 一服してえぐが」

て、雪道歩てきて、ほこほこど、ぬぐぐ(暖かく)んなた ごでえ、ゆぎの上さぁちげで、ワラシ(子供)ぁだどさ ける(あげる)どて、買て来た、メノ玉(飴玉)ひとっつ、口さしぇ(入れ)で、やし(休)だでを、かじぇ(風)をねぇ ええ天気だをで
其のうぢ ねふて(眠く)えぐなてしまたけどー。

「んーん?春えなたべが、さぐらを せえ(咲く)だは」

て、春え うがれで、どごがの さぐら えっぺえある(いっぱいある所)どご あれ(歩)てだけでを、しだば こだ(今度)。

「んーん?こごぁ なぢだ、ほほーっ、こごのぇでぁ田植え だでぁ」

そごでぁ、アネコだぢ すぢにん(七人)ばりで、揃いのカシリのキロノど、デダチコで、さぐらのもよコのテノゲで、アネコかぶりして、ええ声で唄コなの うだ(唄)で、まぢにぎぁがな 田植えだけでを、

♬「唄 あーああーえ-えええ おらだぢぁ
植えだ しと(一)株はそだぢそだって
しぇん万株へ ふえ増して
たんぼぁ いなほで山でげる
「ハヤシ そうーりゃ 豊年 万作だー」

なてかて にぎゃが(賑やか)で じょだ(上手)おで、三梨のドドぁ立て、見でらけど、したば アネコだぢぁ めけ(見つける)で、

「あらぁ 三梨のドドぉ ええどさ きてけだごどぉ、あどえぢめぇはん(一枚半)ばりでおわる(終わる)なだの、三人な よでコ(田植え祝い)の ざめえ(仕度)で上がらねばでげねふて、何とが たしけ(助け)るど思て しけ(手伝)でけろ」

どて、頼まれでしまたけでを、みんなえ あだま(頭)さげられで ねが(願)われだをで、

「んだば しけ(手伝う)でえごが」

て、わあ(自分)も 田植えなば 自慢の腕コ なをで、田さへぇ(入って)て 唄コえちらっで しとえこのうぢ(またたくまに)ぇ でげでしまたでを、して、

「さあ出げだ、おれぁ 上がるは」

て、あだり見だぱ、だーれを えねぇ(いない)ぐなて、わあ腰迄ぬがて はて(雪野)漕ぎ、やてらけど、して・サガナコなのぁ どごさ やたおだがわがらねえけど、、、、、。


「ヒラしゅあ 昼聞やたてがや、さし(さす)が えぇ 年の甲だ、さで、ちぎ(次)ぁ たしけ(太助)しゅだ」

て、言だば たで(舘)のたしけ(太助)ぁ、

「おら えぢばん(一番) あど(後)えなた、おれの やたな(やった)ごど みな(皆)やてらをで、かたる(語)な ねぇぐなてしまた。
んだ、去年のさぢぎぢぶん(田植え時季)だを そのぢぎ、こえたご(こんなこと)どぁ あてぁたけや」

始めたなぁ。ながまだぢ(仲間達)より、うんと、変た話コ であたど。

                            つづく

化けくらべ (2)切崖の㐂エ門の自慢コ

2009年12月23日 | 民話
根岸の.或るえのじさまぁ(ある家の爺さん)、みぢなし(三梨)の親戚のふるめえさ(祝い事)呼ばれで、えぺぇ(一杯)機嫌で きりがげ(切崖)迄戻たぢぎあ 真っ暗へなてしまたでを。

「くれえ(暗)ぐ なてしまた、えしょ(急ぐ)がねば でげねえ」

て ひとりごと言って わらじ締め直して したした したしたと。
 年取たて ぢまんの足コで あれた(歩)けど んだけど なぼあれたて(いくら歩いても)村尻のオデンノ様(八坂神社)のどさ 来ねぇ えおだけでを(着かない)。

「おがし(おかしい)おだな、、、えっぼんみち(一本道)だえで、間違うはぢぇねぇべし」て 肩で大汗けぇで 歩れたでを、したば 向こうさぽちっと 灯りコめだけど。
「あぁ 来たえたなぁ あれじんじょ(きっと) 平えんの灯りだべを おでのん様の鳥居 えぢしぎだがわあがらねぇがたな、としぁとでぇぐねえおだ(年はとりたくない(良く見れば)、 その灯りコぁ こちゃ(こちら)来るおだけど して其れぁ 提灯コ たげぇ(持った)だ、わあえ(我が家の)の上の孫だけでを。

「暗ぇふて 歩るげね ど思て、迎えぇ 来た」
「ほう 来てけだがや、こりゃ 大だしかりだ」

て、喜ごで、、しとぢえ(一緒に) え(家)さもどたけど、えの人達ぁ あしこと(心配)して、皆寝ねえで、まぢでだ(待っていた) けでを、

「ぢさ大なぎ(爺さん大難儀)したべ、 湯コさへぇて 休めばえ」
「湯コ沸いでだが、 ありがでなや んだばそうしるべ」て、着る物 脱ぇで 湯コさ だんぶり へぇて、

「あ、、あ 湯コぁ えぢばんだ」て、きもぢぁえぐ へえた(入った)けでを………。

根岸のぢさえでぁ、よなが(夜中)えなるたて戻らねおだがら、なえしたべ、ど あしこと(心配)して、アバぁ「ドドぉ(父さん) ぢさもどらねぇ おら あしことだ、むげえぇ(迎え) えがねぇ(行かなく)て えべが」

「んん、んだ、んだば(そういうこと)えてみる んが(お前)も 来え」

て、上のワラシど提灯たげぇで むげえぇ ではたけど、して、キリガゲの 新堰迄来たば 橋の下デ 誰が えで、

「ああ 湯コ えぢばんだ」

て、ぱしゃぱしゃ 音ぁ しるおで 提灯かざして えぐ見だば わえのぢさ(家の爺)だけでを、ドドぁごしえ(怒って)で

「こただごど(こんなこと) しるなあ キヂネのキエモンだなっ 出はてこえぇっ、キヂネ汁ぇして、くらて(食らう)やる」

て、さがだ(叫ぶ)ば、どで(土手)コの陰がら、黒えおのぁ 山のほさ、ねげ(逃げ)でえぐ(行く)けど、して(そして)、ぢさふるめえ(爺さんが振舞)でもらて来た、口取りコなの とくべちぇ(特別)もらたさがなコなの なんにをねえ(無く)ぐなてらけど。

話コぁ 終わて 切崖のキエモンぁ


「あのじぎぁ(時)危ねがたなや、もうべあっこ(もう少し) ぐぢぐぢ してればあの親父ぇ しまがれ(捕まる)どごでぁた んだのを あのじぎの口取りコのんめえがた、あの味ぁ わしらんねえ、あはははあ」

したば、平城のヒラコぁ 

「切崖を やるをだなや、んだの あぶながたぞぉ あこの親父ぁ村で、一、二のしから(力)もぢだ、めけ(見つかる)らっだら命コぁ なぼあたて(いくらあっても)足れねべ、なあっしょ(なあ、みんな)」

一同、

「んだんだ」て、言たけど、、したば、

「さあ こだ おらだ」

て、平城のヒラコぁ、語だり出したけでを。

                               つづく






はじめに 化けくらべ (1)森コの茂エ門の自慢コ

2009年12月22日 | 民話
昔から地域には「昔語り」(民話)があった。

市場原理社会を標榜し、格差の拡大が目に余る状態に達した8月、総選挙の「政権交代」は構造改革路線への拒否の現れだった。
しかし、旧勢力は依然として現実の状況を容認できず、旧政、官、民は既得権益死守のために「マスゴミ」を動員してネガテブキャンペーンに余念がない。50数年間の常識 ? を変えるのに3ケ月や半年では変わらない。

ブーメラン効果はことかかない。
当分この状況は続くに違いがない。逃避するわけではないが、こんな時代だから、ここに地域に伝わる民話を取り上げてみたい。

民話はその時代に生きる大衆の哀しみや喜びを伝えるメッセージとも言える。

以下は当集落出身で今は亡き高橋○○翁の記録に一部に加筆にした。無形文化財的秋田弁での昔語りは読むこと、理解することは難しいかも知れない。

化けくらべ   

昔あったけでをな、じっとむがしの川連にやぁ、森コ、平城、切崖、舘ど、このよっち(四)にやぁ、ぬしぁ(主)えで、森コの茂エ門、平城のヒラコ、切崖の季エ門、舘の太助て言て、各々の持ち場コ かだめでぇ、村の人だぢ、昔からおかね(怖い)場所だと、言ってえだどころだった。
  
あるぢぎ(時期)、この、よっちのぬしだぢぁ、平城さあじばて(集まって)、自慢ばなしコ 始めだけど。して(そして)、
四人皆しとじぇ(一緒に) さべり(喋)だしたおで、
なぇ(何)がなんだかわがらなぐなて、しとりぢち(一人)
さべる(話す)ごとぇ決めて、まじ(まず)、森コの茂エ門がら、はじめるごどぇしたけど。

 (1)森コの茂エ門の自慢コ

あるじき(ある時)、野村のあるえの(家)の、わけぇおんコぁ(若者)、明日わあえで(自分の家)、人寄しぇあて、トフコ(豆腐)どアブラゲコ(油揚げ)買いに出はたなぁ、ひらんから(午後)遅ぐえなてがらだけど。

野村のトフ屋でぁ、皆売れぎれでえで しかだねぇぐ、根岸のトフ屋さ えて見だば、「あした早ぇぐ 届げんねば でげねぇ(できない)どごぁあて、えま(今)、でげだどこだ。んだらまじ、さぎえ(先) これ持ってぇえげばええ、明日なぁ 夜なべしてこしゃるえて」て、

しんせぇぢえ(親切に)欲しだげ売ってけだけど、わげぇ(若い)おんコぁ喜ごで、アグビコダシさぁ 買たおのしぇ(入れて)で、出はたぢぎぁ、ちぎ(月)をなぇ 真っ暗な晩えなてしまたでおん。
仕方ねぇぐ、トフ屋がら、提灯コ 借りで えしょぎ(急ぎ)足で、あれぎ(歩ぎ)だしたけでおん。

して(そして)、武エ門のあだりまで来たば、たげ(竹)にしぢめ(雀)の紋ちだ提灯コ たげぇ(持つ)だ 立派なえ(家)の メラシコ みでぇな、おなごぁ 立てえだでを、して、そのおなごぁ、

「あらぁ おめぁどご さぎだ(さっきから)がら 待ぢでえだどごだんし、おらえの ひめさまぁ おめぇどこ おじれしるよえ(連れ)てといぢげ(言いつけられ)だから、どうかしとぢぇ(一緒)きてたんしぇ しぐ(すぐ)そごだんし」て、言うげでを。

わげぇおんコぁ、えぐ(行く)どもえがねぇども 言わねうぢ、手ぇ引ぱて ちで(連れて)えがれたけど、して、そごぁ 立派な門あて、どこがの御殿さ来たけでを。
 
門へぇて(入って)暫く(しばらく)えたば玄関あて、中さへぇたば、廊下の両側さ、着飾た女中だぢぁ ぢらっと ならで むげぇるおだけど。
そご(そこを)しぎで(過ぎて)奥の座敷さ ちでえがれだけど(連れて) その座敷にぁまぢ(とっても) ええ 姫様 ねまて(座って)---- だけど。

「はて? 根岸え こえたどごぁ あてぁたべが、、、、」て 不思議えおもえて、 言われだとうりぇ 姫さまのめぇさ(前) ねまたでを、(すわる) したば姫さまぁ 金のシジコ(鈴)転がしたえな声で 言たけど。

「まぢ えぐ おざたん(良く来てくれました)し あんコ どごぁ じっとめぇ(前)がらよばてける(呼んでくれるように)よえ いぢげ(言いつけて)で えだなだんし。 しぇっかぐ(せっかく)の お運びだんしがら、ゆっくり おぐぢろぎいえ(くちろぎ)なて たんしぇ」

て言われで わげぇおんコぁ、極楽でをな こえだどこ(このような) だべがど思たけど、 して姫さまぁ、「みんなぁ 用意したおの こちゃもてきてけれぇ」
て、言て、やれ酒だ肴だ なのて、山のよえ持てこらしぇで、 大ふるめぇ(振舞)えなたけど。

えっぽう(一方)、野村のわげぇおんコぁえでぁ(家)、トフコ 買いい えたきり(行ったきり) 夜中えなるたて、 戻らねおだから、むげ(迎) え ではたけど。して、根岸の武エ門のどごまで来たば、森コのほがら唄コなの歌て、おっかね(たいへん)ぇ にぎぁやが(賑やか) な 音ぁしる おだけど。

「なぇだべ? は あの声ぁ おれえの兄みでぇだ。なえしてるべ 兄いっ なえしてるけな(何をしている)、、、」て、 よばて(呼ぶ)を返事しねぇおで 森コ さえてみたけど。
したば、稲荷堂のめぇで、裸え なて歌たり踊たり してるな わえの兄だけど。して、トフコ なのアブラゲなのぁ なんにを のごて(残って)ねけど。

語り終わた、森コの茂エ門なぁ、しとえぎ(一息)ちで(ついて)、

「あはっはっはっはあ、、あのぢぎぁ(あの時) 出げだで(作りだて)のアブラゲたらふぐ(腹いっぱい)くた(食う)なや、十日ばり 寝でで くて だけなぁ」

「森しゅ(衆)あ んめぇぐ(上手く) やたなや、こだ俺だ」
て 二番手の切崖の季エ門なぁ 語りだしたど。 

つづく
(カットは拝借 以降同じ)

坪漆と杉の枝うち

2009年12月05日 | 集落
小春日の一日、久しぶりに杉の枝うち作業をする。枝うちなどと言うと大そう大げさな作業を連想するが、「枝うちクラブ」という道具で杉枝に引っ掛け引っ張るだけ。地上6~7mの高さまで作業が可能なのだ。あまりの好天で10数年ぶりに始めたのだ。集落からすぐの里山、通称「かしかざわ」がすぐ下側を流れる。字名を「外坪漆」と言う。この珍しい地名は自分が調べる範囲では全国どこにもない。


写真中央部から左側上部白い部分

総面積せいぜい4ha。地引絵図に空白で地番がない場所がある。
明治新政府が地租改正のため地引絵図を作成した。各字毎、地租改正取調係戸長、地租改正総代人、区長、隣地接続人の他持ち主総員の捺印で地番、持ち主名が記されている。地引絵図で地租は評価額の3%。この改定で各地に混乱が勃発。山形県庄内の「ワッパ一揆」は有名。しかし山林の地引絵図は複雑でおおざっぱだったらしい。他の地引絵図での空白の場所は畦畔、水路等と同様は新政府預かり(官地)となっているようだ。

坪漆のこの場所は私の杉林の隣地にあって、杉林になっている。区画が他の地番と違って直線で括られていて、何か特別な場所のようにも思える。傾斜5度にも満たないこの区画がいつも気になる場所だ。120年程前のこの地引絵図の作成を知る人は地域にいない。

それにしても不思議な地名「坪漆」。

ネット検索で「坪漆」と検索すると中国語では「床塗料」となり、「公司」の宣伝記事が並ぶ。
坪は「たいら」、漆は「ペイント」いかにも優れた凹凸がなく平らに仕上がる塗料と言う意味になるのだろうか。坪漆の地名に床塗料というイメージはわかない。中国語との関連はないことぐらいはわかりつつもどこから来た地名なのか興味は尽きない。
当地区には800年の伝統という川連漆器の産地だが、うるしを連想して「坪漆」と「漆器」との関連はなさそうだ。

この地を我が家の所有になったのは明治以前には違いはないが、詳しい記録は残っていない。今の時代もこの地引絵図による地番、地積は生きている。地租改正時の地引絵図について「公図 読図の基礎」佐藤甚次郎著に詳しいと言うがいずれ調べてみたいものだ。

「坪漆」での我が家の山林は約1.2haほど、雑木林は10aほどであとは杉林。約45年生、一部35年生の杉の木が今回枝うちの対象だ。

     枝うち作業後の状態 

戦後、林野庁による拡大造林の方針の元で強く進められた杉の植林。今では各地で木材価格の暴落で山林の手入れをする人はほとんどいない。特に国有林で放置された杉林はひどい状況だ。間伐はおろかツルのカラマリ、下草も育たず薄暗くなったしまった植林地は見る影もない。我が里山は可能な限り間伐作業は森林組合へ委託、自分のできる範囲は少しでもと枝うち作業などしてきたら株下に陽があたり、ヤマユリ、ホウチャクソウ等の山野草が見られるようになった。