新河鹿沢通信   

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紅葉の栗駒山

2013年10月22日 | 地域
栗駒山の頂上から始まった紅葉前線は麓の温泉地、須川湖周辺が最盛期になった。
先の週末、岩手、宮城、秋田をはじめ遠く関東方面のナンバー車で駐車場は満杯で駐車ができない状態だった。大型バスの観光客は約一時間半で登れる頂上に向かったようだ。その中には途中の昭和湖までの散策という方も結構多かった。

栗駒山は標高1627.7m、登山口の須川高原温泉は1100mで頂上までの標高差は528m、3.6kの初心者でも登れる比較的優しい山でシーズンを通して登山者が絶えないが、この時期紅葉シーズンは特に多い。
須川高原温泉は岩手県一ノ関市。1100年前から開かれた湯治場だった云う。1944年の噴火で生まれたという昭和湖までは名残ケ原から約30分で行ける、コバルトブルーの水面は美しい。


登山道から秋田県側栗駒山荘を望む 2013-10-18

須川高原温泉から約100mほどの所にある栗駒山荘は、秋田県側になる。海抜1126m、「いいふろ」の語呂合わせで人気の露天風呂がある。あまりにも多い観光客で、この日の栗駒山荘前の国道342号線は渋滞気味だった。


パンフ引用

今回は須川高原温泉脇の駐車場でやっと車を止めることができ、パンフの大日岩の裏側を抜け③から⑧へ向かい⑥から名残ケ原を回り温泉まで帰ってきた。途中、山に向かう人、剣岳を回るコースでカメラ片手の多くの初対面の人とあいさつを交わした。


名残ケ原からの栗駒山 2013-10-18

この賑わいも今月いっぱい。
来月11月に入ると国道398号、342号は閉鎖され須川高原温泉、栗駒山荘も来春道路の除雪が終わるゴールデンウィーク過ぎまで休みとなる。紅葉前線は須川高原を下り、いよいよ小安峡周辺に移る。
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第21回川連塗りフェア

2013年10月21日 | 地域
湯沢市の伝統工芸・川連漆器を集めた「第21回川連塗りフェア」が、18日に始まり今日21日まで川連町の稲川体育館で行われた。


(引用)

川連漆器の歴史は、「川連漆器伝統工芸館」のホームページによれば次のように紹介されている。

「鎌倉時代(1193年)、源頼朝の家人で稲庭城主の小野寺重道の弟、道矩(みちのり)公が古四王野尻(現在の川連町大舘地区)に館を築き、家臣に命じて刀の鞘(さや)、弓、鎧などの武具に漆を塗らせたのが始まりとされています。本格的に漆器産業が始まったのは17世紀中頃、元和(1615年)から元禄にかけてであり、川連村を中心に約26戸が椀師稼業を営んだとの記録が残っています。

文化12年(1815年)、藩の許可を得て朱塗りの漆器をつくり販路を他国にひらき、江戸時代後期には藩の保護政策のもとに、椀、膳、重箱など幅広い漆器がつくられるようになり、沈金、蒔絵などの飾りが加わって、産業基盤をさらに大きく築きあげていきました。

明治には新しい技術開発がおこなわれ、昭和51年には国の伝統的工芸品に、平成8年には県の伝統的工芸品にも指定され、平成10年、平成12年の全国漆器展では内閣総理大臣賞を受賞いたしました。堅牢さを誇る実用的な生活用品として庶民生活に密着し、今日、川連漆器は地域の主要産業となっています」 (引用)


第21回のポスターはシンプル 稲川体育館 2013.10.18

約5千点が展示されている川連塗りフェア 県漆器工業協同組合(佐藤善六理事長)の主催。組合加盟の24業者が参加しているという。
初日の来場者は昨年よりすくないそうだが、食器やアクセサリ等を手に業者としきりに話す姿は多かった。地元に暮らしていてもこれほどの漆器を見ることは少ない。この地域では長年漆の器は生活の一部となって同化している。日常の生活で漆塗りの容器は欠かせない。私の場合には特に「稲庭うどん」は専用の漆塗りの「うどん椀」にかぎる。「そば椀」同様確実に最高の味が楽しめる。食べ物はその素材にあった器でなければ本物の味を知ることはできない。漆の器は毎日の食卓には欠かせないものだ。


稲川体育館の会場内 2013.10.18

川連塗りは約800年という鎌倉時代より続く伝統の技。私は現在直接漆器業とはかかわりはないが、かつて紹介したブログ「古道 夏街道を行く」2012.10.26(http://blog.goo.ne.jp/kajikazawa_1942/m/201210)の中で、祖先が「三ツ小屋」(綱取沢)で漆器の木地つくりにかかわっていたということを書いた。言い伝え(口碑)で真偽のほどは定かではないが、川連椀を手がけた「椀師」は平安時代、岩手県平泉の木地師により伝承されたといわれている。

源頼朝軍勢に平泉が滅ぼされ、平泉藤原氏の残党が出羽方面に敗残の身を隠したと言い。その一部が大滝沢を隠れ里とし「ロクロ」による木地挽きが川連に伝わったのが、「川連漆器」の始まりだとつたえられている。当然、これらの木地師と一緒に塗り師も居たことになる。ただし口碑によるもので定かではない。川連漆器歴史年表にこの記述はない。

大滝沢と川連までせいぜい4キロ、昔流だと一里ほどだの距離。急峻な山道を今でも「夏街道」(ナツギャド)と地元では言っている。ナツギャドを夏街道としたのは私の造語。この地域では家の前の道路をキャドと言った。キャドは街道の呼び名がなま(訛)ったのではないかとかんがえられ、雪の深い冬ではなく夏通ったから夏街道、ナツギャドとなったに違いないと解釈している。そうは言っても地域でもキャドの意味が理解できるのはせいぜい団塊の世代までかもしれない。路(街道)の呼び名から雪の多い冬は閉ざされていたと考えるのが自然なこと。今この急峻な路を歩く人は少ない。若い世代はほとんどこの路や言い伝えを知らない。今ではまぼろしの路になろうとしている。

なぜか「川連塗りウェア」の時期になるとこの言い伝えを想いだし、川連塗りウェア会場に向かうようになった。

今回の併催展「古文書でたどる川連漆器 高橋利兵衛家と川連塗り」で、歴史の一端を知ることができた。
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赤とんぼ乾燥米「あきたこまち」と「鮨 喜八」

2013年10月10日 | 足跡

前回「コメ天日干し」をブログで紹介した。私は個人でも自然乾燥でコメの収穫作業をしている。過去のブログ
2009.10.04「赤とんぼ乾燥米とブナハリタケ」(http://blog.goo.ne.jp/kajikazawa_1942/m/200910)
2010.01.01「2010 年賀状」(http://blog.goo.ne.jp/kajikazawa_1942/e/20455f0c838be141da517c5ea199d5ab)
等でも「赤とんぼ乾燥米 あきたこまち」を紹介している。他の県に出向くと自然乾燥の稲は結構多くみられる。先日もドライブした宮城、岩手の北上山地方面でも場所によっては、コンバイン収穫よりも自然乾燥の田んぼが多いようにもみえた。

秋田、県南の平坦地は特に少ない。湯沢市の旧稲川町の水田約1000haで約15ha位が自然乾燥米。「三梨牛」とセットで続けられてはきたが、生産費を補えないコメの価格では人手のかかる自然乾燥でコメの収穫は早晩、この地域ではなくなるのかもしれない。私は自分が可能な限り、エコな稲の乾燥「赤とんぼ乾燥米」の、ほのかでまろやかな味を食卓に届けたいと作業を続けている。
今年の作柄は雨にたたられ心配されたが、9月16日の台風18号以降好天に恵まれ、秋の収穫作業が例年よりも一週間も早く終わった。

はさ架け上の赤とんぼ 2013.10.07 湯沢市川連町田屋面

川連地域で愚直にも自然乾燥を続け、麓の米(http://www.memo.jp/fumoto/)「赤とんぼ乾燥米 あきたこまち」のネーミングで東京、昭島市安藤米店さんで首都圏に販売はすでに四半世紀25年に入る。

今回は交流5年になる文京区湯島の「鮨 喜八」さんを紹介する。「鮨 喜八」さんとは「お米の石川」さん「江東区新大橋2-5-1との交流からはじまった。「お米の石川」さんともすでに25年の交流をさせてもらっている。

以下は鮨 喜八さんホームぺ-ジから抜粋(http://www.sushi-kihachi.jp/)


鮨 喜八

江戸前鮨のよさを取り入れ、あくまでも伝統に基づいた確かな味!

都会の喧騒から離れた裏路地を一本入った静かな場所にある隠れ家的な小さなお店です。伝統的日本の食文化である鮨の素材と魚の産地にこだわる本格的江戸前寿司をこの道一筋まさしく熟練の技で、いつでも変らぬ味を楽しめます。魚はもちろん がり、シャリ、塩、海苔 すべてにこだわりそしてなにより 鮪はどんな一流店にも負けない天然本鮪を使用。今では貴重な江戸前穴子は製造特許取得の当店オリジナルの食べ方でどうぞ!また赤貝は日本で一番おいしいと言われている 宮城県閖上(ゆりあげ)産の赤貝が 産地より直接入荷いたします。

〒113-0034
東京都文京区湯島3-36-8
近藤ビル1F
TEL:03-3837-7828
営業時間:

【交通アクセス】
東京メトロ千代田線「湯島」駅
A4出口を出て徒歩1分


鮨 喜八店内

店主からお客様へ

銀座に行けば一流の魚が食べられてあたりまえ。でも値段も一流であたりまえ。まあ~下町でそんなに肩肘はらずに食べるのも、たまにはいいんじゃないかなあ~。最近は、昔は当たり前のように獲れた近海物の魚(鮪など)がだんだん獲れなくなっているのが現実。若い方にも本物を今食べておいて欲しいかなあ…。そのためにも私も日々精進します。まあ、山の手で食べるか、下町で食べるか、これは賛否両。お客様が選ぶものですからね。

これからは地球環境も海の環境も変わり、 だんだん本物が食べられない時代がきます。私は決して奇をねらった物ではなく、日本が誇る魚貝の真の味を、一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。また、確かな魚貝を提供してくださる漁師さん・市場の仲買さん、最高のお米を作る農家の力、精米技術の素晴らしいお米屋さん、そして何よりも私を信頼してくださるお客様の笑顔……。全てに感謝です。
 店主  大谷 正行

首都圏の方、地方から出張の折は是非「鮨 喜八」へ寄ってご賞味いかがでしょう。麓の米「赤とんぼ乾燥米 あきたこまち」は昭島市 安藤米店厳選通販でも販売しています。「鮨 喜八」さんのシャリと同じ「赤とんぼ乾燥米 あきたこまち」が5000円以上買い求めで、全国どこでも送料無料で家庭まで届きます。平成25年産新米のほのかな香と食べて満足感をどうぞ。



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コメ天日干し

2013年10月02日 | 足跡

2011年度から「定住自立圏構想事業」で始まった、「コメ天日干し」作業は今年で3年目になった。初年度3haが2013年7haへとその面積が拡大している。

稲の自然乾燥は在来から続いてきた稲作の姿だ。化石燃料を使わないエコ農業と云える。30年ほど前から稲の収穫がコンバイン作業になり、刈取で稲ワラは切断、モミは乾燥機で数時間で水分15%ほどに調整される形態になった。「稲川有機米研究会」は昭和62年にJA稲川の中に約146名で発足した。いまでは有機という言葉が定着した感があるが当時は新鮮な響きがあった。

稲川町の「三梨牛」は秋田県内では有名なブランド牛だ。稲の収穫作業がコンバインに変わり、「三梨牛」の生産にもっとも重要なイナワラが不足気味なってきた。一方各地でコメの消費が減少傾向にあり、昭和58年「あきたこまち」の出現によりそれまでの増収から「うまい米」へと移行の傾向にあった。そのような背景で「コメと牛」をより強く結び付け「有機米」として栽培や販売の方法など新な方向を模索した。イネわらと堆肥の交換、循環農業の体系を「稲川有機米研究会」の発足で明確にしてきた。


稲刈り・はさ架け作業 2013.09.20 湯沢市川連町田屋面

「稲川有機米研究会」は発足後25年経過した。コメ栽培の生産費に比較して販売価格は低迷、減反面積の拡大は当時掲げた循環農業は崩れつつある。コメの値段が約40年前の価格なのだ。
米価は玄米60k当たりオイルショックの年昭和48年産10,390円、49年が13,709円。平成25産は11,500円の仮渡価格。ちなみに大卒初任給が平均71,000円から75,000円。
現在大卒初任給は200,000円から220,000円となって、当時の3倍になっている。(平成25年湯沢市役所大卒初任給172,000円)一方のコメの値段は据え置き状態、生産資材も数倍に跳ね上がっている現在単に規模拡大で対応できる限界を超えている。約40年前の価格で新規就農者が生まれないのは当然な結果に他ならない。

そのような背景の中、平成2011年度から「定住自立圏構想事業」で「コメ天日干し」が始まった。地域経済が低迷し雇用削減の中でこの事業による雇用は湯沢市「人材センター」と提携し、平成2014年度はのべ人員270名が作業にあたった。今年は300名ほどになる。

下は平成2011年7月30日の秋田魁新報の記事。湯沢市の「定住自立圏構想事業」を詳しく報道した。稲川有機米研究会、三梨牛肥育組合、JAこまち、湯沢市の密接な連携で確率された。

新聞報道 秋田魁新報 2011.07.30

パイプのはさ架けは整然として秋の風物としても見事だ。好天続きでもうすぐ脱穀作業に入るとこの風景は見られなくなる。


見事なはさ架け 2013.10.01 湯沢市川連町田屋面

このはさ架けの資材が10当たり約13万程と高価なことで、自然乾燥の拡大に難点であったが昨年から改良パイプ杭を考案し、10a当たり約半分の経費で資材が調達できた。稲の乾燥という面から見れば「はさ架け」の方が良いのは当然だが、経費がかかり過ぎるのが難点。アルミパイプ杭は一度調達で十数年は使用可能になる。パイプはさ資材も耐用年数は結構長く使用可能。


改良パイプ杭架け 2013.10.02 湯沢市川連町清水屋敷

このパイプ杭の特徴は田んぼに突き刺す部分と稲をかける部分を分離し、誰でも使用できるように改良したことにある。それまでの稲杭は約240㎝の長さの杉材で、田んぼに付きさす作業が重労働で、この作業を嫌って自然乾燥が激減してしまった。改良パイプ杭は初めに金テコで穴をあけ、その部分に改良パイプ杭を差し込み、建設用パイプ等で差し込み固定する。そしてその部分に竿部分のパイプを差し込めば良いのだから簡単な作業になった。後の稲架けははさ架け作業同様、誰でもできる。この改良パイプ杭は10aあたり約35~40本使用される。



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