映画「銀の匙」を観た。週刊少年サンデーに連載され、テレビアニメでも好評で今回映画化された。新聞で農業高校で酪農を題材にした映画「銀の匙」を知り、今回「イオンシネマ大曲」に行ってきた。秋田県の農業の柱は「米」だった。昭和35年制定の「農業基本法」はコメ作の偏った農業から、他の作物との複合経営が叫ばれた。いまでは死語かも知れないが、当時小畑知事は「水田酪農」推進策を提唱した。翻弄されながらも時期を同じくして「米+酪農」の経営を創造し、40数年継続した「酪農」からリタイヤしてから5年となる。
映画「銀の匙」ポスター 引用
湯沢市から映画館が無くなってから20数年になる。秋田の県南からすべての映画館が消えたのは、2006年10月大曲駅前の「月岡シネマ」が最後だった。映画を観る機会はほとんど無くなってしまった。2008年10月大仙市の国道13号線沿い敷地面積164,278㎡、商業面積47,020㎡、駐車台数3000台の「イオンモール大曲」がオープンした。この中に5スクーリンを持つシネコンプレックス「イオンシネマ大曲」が併設された。オープン以来2回ほど訪れたが、今年は2月の「小さなおうち」と今回の「銀の匙」となった。
読売新聞は、2014年3月21日に下記の記事を掲載した。
「未知の酪農、乗馬も特訓」
「公開中の「銀の匙(さじ)Silver Spoon」は、農業高校を舞台にした人気コミックが原作の酪農青春記だ。酪農とは無縁のサラリーマン家庭で育った主人公が淡い恋心を抱くヒロイン・御影アキ役を(広瀬アリス)が演じる。主人公を酪農の世界へ先導する役だが、自身は「牛や豚に触るのも初めて」だったと言う。舞台は北海道・帯広。受験戦争に疲れた八軒(はちけん)(中島健人)は「親元を離れられる」という理由で大蝦夷(おおえぞ)農業高校に進学する。家畜の命を巡る様々な現場や酪農家の厳しい現実を目の当たりにし、仲間と共に成長していく」。
「アキは酪農の現実を見て育っていますが、私は全部初めての経験。何も知らない世界に放り込まれ、とにかく前に進むしかない“リアル八軒君”でした」撮影前に搾乳などの実習を受けた。酪農家と同じリズムで生活し、午前3時起床は当たり前」。
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「作品では、電気ショックで気絶させた家畜の豚を解体するシーンなど、普段目にしない生産の現場も描かれる。「ただの青春映画ではない。命をいただくありがたさ、『いただきます』や『ごちそうさま』の意味を改めて考えさせられる作品になったと思います」と語る。
(2014年3月21日 読売新聞) 要点引用
アニメ 一場面 引用
作者の荒川 弘(あらかわ ひろむ、1973年5月8日)は、日本の女性 漫画家。北海道出身。女性とは思ってなかったので少々ビックリした。デビュー前は、家業の酪農と畑作農業を手伝いながら「エドモンド荒川」のペンネームで、2011年『週刊少年サンデー』19号から連載『銀の匙 Silver Spoon』を開始したという。
広大な土地と大型農機による酪農と畑作(主にジャガイモ)を手がける農家に生まれ、農業高等学校卒業後7年間家業を手伝っていた。作品の随所に酪農業の労働をしたからこそできる表現に出会い共感を覚えた。作者は、日本全体としての食糧自給率の低さを対比させた上で、都会人の食糧問題への認識の目に余る身勝手さと農家の実状を描きつつ、「飢えたくなければ、銀座でベコ(牛)飼え。ヒルズを耕せ。」と訴えるなど、漫画家となった現在も一貫した農民視点の人物。消費者のたべものへ対する警鐘を訴えている。
銀の匙 Silver Spoon は 受験失敗をきっかけに、北海道の大蝦夷農業高校へ入学した「八軒勇吾」は、同級生の「アキ」や「駒場」のように明確な将来の展望を抱けない自分に違和感を抱きつつも、酪農実習や部活に奮闘していた。北海道の大自然と動物たち、そして個性豊かな仲間に囲まれ、これまで経験したことのない生活を送る中で「八軒」は戸惑い、悩みながらも自分の進むべき道を見つけ始める。過酷な酪農業の実態は、大型負債で廃業に追い込められた「駒場」をとおして現実の酪農の実態を表していが、俗にある青春ドラマとしてみればあすこまでが限界かも知れない。映画の中で「八軒勇吾」がぶつかって戸惑いをみてクギ付けになった。映画の後観たYoutubeのアニメでは、酪農廃業の実態は映画より深く踏み込んでいた。現実と対峙する若者へ、実態を切り開いていく可能性を覚えた。(一部引用)
かつて、私はコメ中心の農業から「酪農」を取り入れようと考え、当時北海道野幌の酪農学園大学内にある、酪農学園機農高(現在とわの森三愛高等学校)の「酪農通信講座」を受講、7月にスクーリングに参加。自分探しの6日間の学習を通じて戸惑うのは、「八軒勇吾」同様、他の受講生が明確な展望を持っていたことに圧倒されていたことにあった。だからスクーリングを終わって迷走の末、酪農への夢を一時捨てた。もう一度出発点の戻ってから見つめなおしてから酪農と考え回り道をした。回り道は退却できない条件整備だったかもしれない。さまざまな曲折の後、一頭の乳牛を手にしたのは、機農高通信科中退後5年にもなっていた。酪農体験記はいずれ振り返って見たい。
秋田県農協乳業株式会社 看板 2012.3.30
秋田県内では酪農家が激減している。かつて1000戸もあった酪農戸数はここ20年で500戸ほどになりさらに減少し、間もなく全県で100戸割るのは時間の問題になっている。乳牛頭数10,000頭が、6,000頭に激減。横ばいの乳価に比べて飼料等の経費が上昇、なんと牛乳1キロ(1㍑)当たりの生産者価格が120円の「缶コーヒー」一本の値段よりはるかに安く、ペットボトルの水より安い牛乳の生産者価格では多くの酪農家は採算が合わない。多額の負債を抱えた酪農家の救済策はあるのだろうか。状況は数年前の「口蹄疫」騒ぎと、円安政策で飼料の高騰が続き経営維持がさらに深刻になっている。
県は、要点経営再建策で40~60頭へ規模拡大というが、昭和50年代で北海道酪農でささやかれた「ゴールなき規模拡大」だけでは、再建は不可能に近い。ゴールが見つからない競争に入ってしまえば走り続けなければならない。個人経営ではいずれ限界が近づく。府県で放牧地をもたない「舎飼」には過酷な現実がある。酪農や畜産は一定の規模は重要な要素だが、行政は頭数拡大すると負債がかさむ実態を把握していない。酪農も農業も足し算政策だけでは展望が生まれない。条件が限られてはくることだが、専業でなく複合経営に展望があったのだが、今後はどう推移するのか。イケイケどんどんの市場原理の中では、「不足払い制度」を早急に導入していかなければ、酪農、畜産生産者は衰退してしまう。
さらに秋田の酪農家にとって衝撃的な出来事があった。2012年3月主要な牛乳メーカーのひとつで、秋田県農協乳業(横手市)、全国農業協同組合連合会(全農)の子会社が解散した。県北で生産した生乳は東北森永乳業秋田工場(大館市)、秋田以南は秋田県農協乳業(横手市)に運ばれ一部「農協牛乳」やその他の名前で県内のスーパーなどで販売されていた。秋田県産牛乳は県内消費量とはぼ同じ生産規模だと言われていたが、近年北海道をはじめ他県産牛乳の販売攻勢にさらされ、県農協乳業も集荷した生乳の6割は県外へ出していた。
1995年(平成7年)秋、秋田県農協乳業株式会社は酪農家の大きな夢を乗せて発足した。秋田の専門酪農協の「雄平酪農協」を中心に「雄勝酪農協」、「羽後酪農協」に各総合農協、地域の製酪業者、秋田県経済連、全酪連で発足した。解散まで実質約15年ほど創業したにすぎない。解散に担当者は「県南の市場は価格競争が特に激しく、経営が維持できなかった」と話したというが、発足から解散まで一部かかわった一員としては極めて残念なことだった。官僚化してしまった会社組織に、生産者農民の改善策等には聞く耳をもたなかった。個人的なことではあるが、この出来事は酪農業から早期撤退した一要因になっている。
映画「銀の匙」を鑑賞してある種の感動を覚えた。経済動物を飼う困難さと現実、そんな中で若い世代が、動物の出産や肉としてされていく現実に向き合って掴み取る共感さにある種の未来を感じた。テレビアニメ等を観ることはないが今回映画「銀の匙」鑑賞後、パソコンでYoutubeアニメも観た。映画と同じ感動を浸った。多くの農家も消費者も、映画「銀の匙」から未来を切り開いていく若者のパワーを掴み取って欲しい。