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「タンポポ」と「ムラサキサギゴケ」

2013年05月28日 | 地域の山野草
田植が最盛期から後半に入った。低温で苗の遅れ等で例年より一週間ほどの遅れの作業となった。田植の前は代かき作業、その前は耕耘作業だ。かつては田植前までの作業を地域では「春農(はるのう」と云った。田植作業になれば「さつき」と云った。「春農」は辛い仕事だった。
田圃を耕す耕耘の前は堆肥散布、肥料散布、畦畔ケズリ、田圃へ水引、水不足だと夜半まで水引、水漏れ防止のため畦畔ぬり、代かき荒代かき、植え代かき二回でやっと田植を迎える。この作業は20日から一ケ月近くもかかった。

それが現在はトラクターで耕耘、代かき作業アッと間に終わり、有機栽培以外堆肥散布はない。肥料は施肥機つき田植機、畦畔塗りもトラクターか、黒マルチを専用道具で張るから畦畔から水漏れはほとんど問題はない。

かつての「春農」になかった作業が生まれた。25年ほど前からだろうか。水漏れ防止の黒マルチを張るために雪消えから伸びた畦畔草刈り作業が入った。地域で畦畔マルチが導入されたのは昭和62年のことである。山形県庄内地方で始まったマルチ専用機のニュースを知り始められた。畦畔塗り作業は重要な作業で圃場整備後も続いていたが、畦畔マルチが入ってくると畦畔塗り作業は消えた。

畦畔にマルチを張る作業は画期的な道具だった。丸い円盤状にマルチビニールの端を引っかけ押していくと、畦畔沿いの心土までビニールが埋まるから水漏れが防止できる。
今ではほとんどがこのマルチ張りは田植後作業する。そのために田んぼに水を入れる前に畦畔の草を刈る作業が行われるようになった。
草を刈るといっても、まだ草の小さい畦畔の草刈りは土や小石を弾き飛ばしていく。この作業をしておくと田植後のマルチ張りがしっくりと畦畔になじむので、その後の草の成長が抑制され管理がやりやすくなるのだ。

畦畔の野草も種類が多様だ。ヨモギ、ヘビイチゴ、スギナ、フキ、ドクダミ、セリ等。
耕耘の後草刈りの終わった田圃に今年は面白いことに遭遇した。ガラス会社勤務のT君、土木建設勤務のI君、JA勤務のN君、勤めながら「あきたこまち」を作っている。出勤前等に畦畔の草刈りの中で「タンポポ」を残したのだ。
天に向かって咲きそろう花に共感、刈るのを惜しんだのかもしれない。まだ草丈の短いこの時期、「タンポポ」の草丈が一番高い。

刈られるのを免れた満開の「タンポポ」。その中でガラス会社勤務のT君の残した「タンポポ」は、花の数が30個もある見事のものであった。



N君の排水路側の「タンポポ」鍋釣山をバックに野を飾る



「タンポポ」にそれほどの想いのなかったが、ここまで周囲に刈られないで咲き誇っている「タンポポ」が多いとなにかしら敬意を感じ、残した人達の優しさを想う。

「タンポポ」を調べてみると

「属名のタラクサクム(Taraxacum)は、ペルシャ語のタルフ・チャコーク(talkhchakok)が中世ラテン語になった言葉で「苦い野菜」という意味からきている。
日本名 「たんぽぽ」または「タンポポ」漢字では「蒲公英」 と書く。
英語名 「ダンデライオン」(dandelion)dandelionはフランス語の「ダン・ド・リオン」(dent-de-lion)"ライオンの歯"からでて、タンポポの葉の縁の欠刻(ぎざぎざ)がそれに似ているところからこのように呼ばれることになった。

日本名の由来 「タンポポ」の名前の由来については諸説がある。有力なのは、頭花を鼓に見立て「タン・ポンポン」と音を真似たというもの。茎の両端を細く裂き水に浸けると鼓の形になるため、と言う説もある。他に、「タンポポ」の冠毛の形が昔日本にあった「たんぽ槍」に形が似ているところから名づけられたとする説もある。
さらに、日本名の「タンポポ」は、現在中国で「婆婆丁」(ポポチン)と呼ばれているが、そう呼ばれる以前香気を意味する"丁"が上に置かれて「丁婆婆」と呼ばれていた頃日本に伝わった名前ではないか、とする説もある。

花言葉 ヨーロッパでは、子供が「タンポポ」の白色の冠毛のついた実を吹いて占いをしたところから、花言葉として「いなかの神託」あるいは「幸福を知らせる花」となっている。
また、冠毛を一息で吹き飛ばせたら恋が成就するとも言われている。白い乳液を手につけると乳の出が悪くなるとの伝承もある」
(たんぽぽの名の由来)
:http://www.geocities.jp/tampopo7007/namae.htm 引用

「タンポポ」の葉のぎざぎざがライオンの歯に似ているとの発想は今までなかった。「タンポポ」と云えばその花が中心で、葉を意識してみることはなかった。よくよく見ると他の植物に見られない不思議な形をしている。ライオンの歯の形と似ていると言われればそうにも見える。そして「タンポポ」は「セイヨウタンポポ」主流で、在来種が駆逐されてしまったの感があったがそうでもなかった。在来種との交雑種もあるそうだ。

「セイヨウタンポポ」は在来種よりも生育可能場所が多く、かつ繁殖力が高いが、その反面で多くの在来種よりも低温に弱く、初春から初夏にかけての寒暖差が激しい条件下では生育できない場合も多い。「セイヨウタンポポ」の個体数が多いために相対的に在来種の割合が減っただけで、在来種も一定の個数で存在している」
:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D 引用

田圃で「タンポポ」よりこの時期好きな野草は「ムラサキサギゴケ」だ。



これは板金業のI君との境界の畦畔にこの時期毎年咲く。10年ほど前30aの田圃の中に境界を水田の土だけで畦畔を作った。ここに数年前からこの「ムラサキサギゴケ」が定着した。花弁が鷺の形に見える。常に湿気が強い畦畔の花色が濃く、毎年少しづつ増えてきた。
拡大の写真は下に



ウィキペディアによれば

「ムラサキサギゴケ(紫鷺苔、Mazus miquelii)は、ハエドクソウ科の多年草。別名、サギゴケ(鷺苔)。ただし、本種の白花に限って「サギゴケ」ということもある。和名は、花が紫色で、形がサギ(鷺)に似ていることから。
日本の本州、四国、九州の湿ったあぜ道などの日当たりの良い場所に生える多年草。匍匐茎で広がっていく。花期は春-初夏。花は紫(たまに白)で、中央の黄褐色の部分に毛が生えている。花の上唇は深裂するが、裂け目の角度が浅くわかりにくいことがある」

花言葉は「追憶の日々」「あなたを待っています」「忍耐強い」とある。田圃作業で踏まれてもしっかり根付き、花の輝きは他の野草を圧倒していると思う。
近くにある白花も鮮やかだ。水田野草の花が田植時期の畦畔を彩る。

田植作業も今日で終った。平年より約一週間遅れたが、田植機からこれらの花を眺めながらの作業も、野草の名の由来や花言葉を知ると楽しいものだ。


フランス「農業未来法」

2013年05月23日 | 農業
稲川盆地も田植の時期になった。遅い春と天候不順で例年より一週間ほど遅れた農作業だ。苗の管理と田んぼの代かき作業等の真っ最中なのだが、トラクター作業で頭から離れないのがフランス「農業未来法」制定を準備の報道記事だ。

この国は農業基本法制定以来掲げ続けられる「規模拡大論」、なんとかミクス論者は10年後農業所得倍増を宣言。TPP対策などと云われてるが結果は「推してするべし」の感。

さすが農業王国フランスと想わせる報道記事。以下は全文。

フランス「農業未来法」制定を準備 農業生産と生態系の対立を克服する農業・環境プロジェクト

 フランスで「農業の未来法」(Loi d'avenir pour l'agriculture)制定の準備が進んでいる。ステファン・ル・フォール農相が4月15日に農業食料経済方向付け上級会議に提出した法案の骨子によると、「この法案は今後20年のフランス農業に必要となる変化とその挑戦に備え、農業者・消費者・市民の期待を両立させることを使命とする」。法案は今年9月に提案を予定する。

 Loi d'avenir pour l'agriculture‐Stéphane Le Foll lance la concertation sur les six thèmes de son projet,Terre-net,16/04/2013

 農相は昨年12月18日以来、この法律の内容と哲学を語り始めているが、法案は農地保全と青年農業者の自立就農に加え、「農業・環境プロジェクト」(projet agro-écologique)をいくつかの柱の中心に据えるという。

 Stéphane Le Foll lance la trame de son « projet agro-écologique pour la France »,Terre-net,18/12/2012
 Stéphane Le Foll a présenté son projet « Agricultures : produisons autrement »,Terre-net,28/02/2013

 農業・環境プロジェクトとは、生産、食料安全保障だけではなく、環境サービスにも同等に配慮した農業を構築しようというものだ。20年後のフランス農業は、環境を最大限尊重しながら、同時にフランスと世界の食料安全保障に寄与せねばならない。生産的農業と生態系の絶対的対立というパラダイムの転換、フランスは、敢えてこの難題に挑もうというのである。

 そんなことが可能なのだろうか。フランス農学協会は、早速批判の声をあげた。「高いエコロジー的、経済的、社会的パフォーマンスを合わせ持つ生産様式は存在しない。環境を尊重する農法が高い収量を確保するなど想像するのも難しい」と言う。

 Préparation de la loi d’avenir - Pas de mode de production à la fois performant écologiquement et économiquement,Aglisalon,13.5.11

 とはいえ、農相の発案は決して唐突なものではない。2009年2月、当時のバルニエ農相は、既に、2050年には90億に達する世界人口の必要を満たす生産を確保すると同時に、希少化する自然資源と生物多様性の保全も可能にするフランス農業を2020年までに作り上げるという壮大なプランを発表している。

 それは、①希少化する水の利用方法の改善、②良好な水域生態系の再建への貢献、③豊かな生物多様性と景観への貢献、④農地土壌の保護、⑤エネルギー制御の改善と気候変動防止を挑戦すべき主要課題に据え、こうした課題に応えるための主要な行動計画として農薬使用半減計画、農業経営のエネルギーパフォーマンス計画、有機農業計画、農業経営の環境認証、持続可能な養蜂のための蜜蜂計画を掲げていた。

 2020年のフランス農業 生産性維持と自然資源・生物多様性の保全,09.3.2

 「農業の未来法」の中心的柱となる農業・環境プロジェクトは、既存のこうしたアプローチを延長、拡充するものと言えよう。そして、農学研究も、「高いエコロジー的、経済的、社会的パフォーマンスを合わせ持つ生産様式は存在しない」とは言い切れないところまで進んでいることにも注意する必要があるだろう。

 2010年、フランス国立農学研究所(INRA)は、アグロ・エコロジーを二つの重点研究分野の一つに据えた。INRAのアグロ・エコロジー班を指導するフィリップ・ラマンソゥによれば、研究は当面、農業面(収量)、環境面(化学肥料・農薬投入や温室効果ガスなどの削減)、経済面(生産費と経営マージン)、社会面(どれほどの農業者が受け入れることができるか)など、「科学的認識の開発と実現可能性の検証」にとどまっている。将来のEU共通農業政策(CAP)において、この種の農業にどれほどの補助金が当てられるかという政治的次元の問題も忘れてはならないという。

 それでも、いくつかの研究は、既に上首尾の証拠を示しているという。特に雑草に関する実験では、特殊な土壌耕耘、適切な輪作、”窒息させる”植物の利用、播種日遅延、機械的除草などで除草剤使用を減らせることが分かったという。

 L'agroécologie, un chantier prioritaire pour l'INRA,Le Monde,4.25

 将来の農業のモデルの一つを提供することになるかもしれない農家=農学者の農場がヴァンデ県にある。ここには、えんどう豆、大麦、小麦、青刈り空豆、トウモロコシ、ナタネ、えんばく、ソルゴー、牧草、小さな木立ち、ポプラなど29種もの作物がモザイク状に並び育つ。蜜蜂の巣箱もあり、雌牛や若鶏もいる。この組み合わせはでたらめではない。例えば、エンドウ豆は大麦が必要とする窒素を固定する。病気に弱い大麦は、病原体が畑に入るのを妨げる別の種に混じって育つことで病害を免れる。

 この農場は1990年代にアグロ・エコロジーに転換した。これは生態系のサービスを利用するやり方で、「自然と戦うのではなく、折り合う」のだという。経営面では、トウモロコシや小麦のような穀物に関するかぎり、収量は通常の農業に比べていくぶん劣る。ただし、収量減は品質の良さで補償される。種子、飼料、肥料、農薬は一切購入しない。これで生産費が減り、19人がこの農場で働くことを可能にする収益が出る。

 木や糞尿を播くことが土壌生産性の基盤である土壌微生物の発達を促し、土壌の耕耘も減る。圃場の周りの生垣が殺虫剤の代わりとなる天敵昆虫を育てる。

 何やら、福岡正信氏の自然農法を連想させる。

 L'agroécologie est-elle l'avenir de l'agriculture française ?,Le Monde,4.25

 農地集積=大規模化=生産効率改善ばかりを追い求める日本農政の発想の貧しさが際立つ。
「農業情報研究所」2013.5.13(http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/index.html)

さらに、「欧州の農地集中と土地収奪 若者等の農業参入を阻む 小農民グループの新たな研究

「ほんの一握りの「担い手」(専業農家、法人経営など地域の農業を牽引するとされる農業者)への農地集積による規模拡大・効率化の追求を基軸とする日本の農業政策、あるいは「戸別所得補償」を万能の政策手段とするような日本の農業政策は、高齢化と農業就業人口の減少に象徴される日本農業の後退を決して止めることができなかった」
「農業情報研究所」農業問題 2013年4月19日

一方我が国与党はこのほど「農村所得倍増目標10カ年戦略」― 政策総動員と現場の力で強い農山村づくりを発表した。 (https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/pdf098_1.pdf)

フランス「農業未来法」とのスタンスの違いは明らかだ。
これまで現れている負の現象の原因を検証もせず、新しい方向が生まれることはない。農業、農村、地方の再生はこれまでの負の現象の徹底した検証し問題点を洗い出す作業から始めるべきだ。欧州でも農業生産者の立場は変わりはない。与党の「農村所得倍増目標10カ年戦略」等、この国の農業政策はやればやるほど生産現場は停滞もしくは衰退の方向に向かっていく。小さな土地でも、丁寧な管理で作物を育ててきた喜びを無残に壊してしまった政策は、ますます耕作放棄地が拡大されていくことになる。6次化、農業法人、、、、この流れは今までの多くの勤労農民を抹殺してきた方向を加速させるに違いはない。

フランスの「農業未来法」に注目している。法として制定まで曲折がありそうだが、「生産的農業と生態系の絶対的対立というパラダイムの転換」を前面に出した政策の提言に共感。

政府の産業競争力会議や規制改革会議の効率追求、経済最優先、働く人より企業経営者重視の姿勢が鮮明、解雇規制を緩めて企業が金銭解決で労働者を解雇できる方策を検討している。この政策で兼業農家の不安定な職場はさらに増幅される。
農産物の圧倒的生産は多くの兼業農家の支えられている状況からして、このような考え方が根底にある政策遂行では、いづれ食料の自給力は低下し、生活保護世帯が地方、農村の現場に確実に増えていくことにつながる。








山菜三昧

2013年05月17日 | 地域
山菜豊富な季節。一番好きな時期が到来した。今年は大雪で春先の天候が不規則。ヤマザクラの開花も大幅に遅れ、鍋釣山の頂上部のヤマザクラはやっと満開を過ぎた程度。それでもこの時期でも結構咲いている。ヤマモミジやコナラの新緑と混在している。大幅に遅れた春も田んぼに水が入り、間もなく田植の季節になった。

遅い雪消えだったが、里山の山菜は順調な出回りだ。雪が残っているころからの「コゴミ」に始まり「タラの芽」、「山ウド」、「シドケ」(モミジガサ)など食卓にことかかない。

先日、「雄勝野草の会」副会長、鈴木房之助さんが毎日新聞 2013年05月14日 秋田地方版に以下の記事を掲載した。

ふるさと花の彩り:番外編 トリカブト、食べないで 葉の見分け方 3〜5裂、やや深く裂け /秋田

県内にも春の山菜シーズンが到来。タラノメにウド、ワラビ、フキノトウ……。楽しみにしている人も多いだろうが、山菜採りは注意が必要。猛毒を持つトリカブトを誤って食べる中毒事故が少なくないからだ。本紙連載「花の彩り」でおなじみの湯沢市の「雄勝野草の会」副会長、鈴木房之助さんが写真付きで見分け方のポイントを毎日新聞に寄せた。【佐藤正伸】

トリカブトは山菜として人気の高いニリンソウやモミジガサと見誤って採集されるケースが多いという。トリカブト、羽後町で10日採取=の葉は3〜5裂にやや深く裂けているが、中心部の葉柄に届くまでは切れ込んでいない。

一方、ニリンソウ=同<中>、同=は葉柄に届くほど切れ込みが深く、モミジガサ、湯沢市で11日採取=は葉が5〜7裂で切れ目が葉の途中までしかない。

さらにトリカブトの葉は厚ぼったくて艶があるが、ニリンソウやモミジガサは葉が薄手で照りもない。また、ニリンソウは葉に斑点が付いているという。

 ◇混生、判断難しい
 鈴木さんは「混生していると、私どもでも即座に判断できないほど。分からない場合は詳しい人に聞くこと」とアドバイスする。
(毎日新聞JP ウェブ 写真無)

昨年、トリカブト中毒で2人死亡 北海道函館市(2012.4.8北海道新聞)でトリカブトとをニリンソウと間違えて食べ悲しい死亡事故がおきた。またトリカブトとシドケ(モミジガサ)と間違えて中毒などと云うニュースも聞くことがある。自分にはニリンソウは食べられるというが、なぜか食欲がわかない。トリカブトとの連想がセットなっているからだろうか。


中心の少し大きめの葉がトリカブト。周りの少し小さいのがニリンソウ (5.8湯沢市女滝沢国有林)

女滝沢にはニリンソウの群生が見られる。ところどころにトリカブトが混成して生えている。
上記の写真で、比較して説明を聞くと違いがわかるが、同じ大きさの葉の場合には間違うの当然かも知れない。あまりにも似ている。

シドケ(モミジガサ)は下の写真

(5.14 湯沢市川連町の山林) 

ニリンソウ、トリカブト、シドケこの三つの現物の若葉を比較して解説してもらうとわかりそうな気がするが、実際に山中で出会うと迷うことがある。ニリンソウは間もなく白い花が咲き、シドケも9~10月頃80cm程に伸び白い花が咲く。トリカブトの名の由来は、花が古来の衣装である鳥兜・烏帽子に似ているからとも、鶏の鶏冠(とさか)に似ているからとも言われる。トリカブトは8~9月に丈も90㎝近くまで伸び紫色の花が咲くので秋になるとわかりやすい。

下記の写真はニリンソウ

(5.11 湯沢市川連町の山林)

この3種の花言葉は

ニリンソウ 「予断」「協力」 
       仲よく並んで咲く白い可憐な花の「友情」
トリカブト 「美しい輝き」「厭世家」「人嫌い」「復讐」
      「騎士道」「栄光」
シドケ(モミジガサ)「幸福な日々」

並べてみると面白い。シドケの「幸福な日々」山菜の王にふさわしいし、哲学的な匂い。トリカブトの「厭世家」「人嫌い」「復讐」至ってはさもありなんと納得しまうところがどこかにある。ニリンソウの「友情」「協力」は植生からして想像されるが、「予断」となるとすぐには納得できそうもない。それにしても花言葉を始めに命名した人に脱帽してしまう。

今秋田の山里は山菜の季節。タラの芽、コシアブラ、シドケ、山ウド等が豊富。
「おひたし」「てんぷら」「煮物」等シンプルな食べ方だが、飽きることもない。食卓を潤すほどの量はわずかでよい。直売所で販売等と云うことは考えないから、旬を味わう量で満足する。近年農産物の直売所ブームで、販売目的のために里山の山菜が絶滅するくらい乱獲に辟易している。私有地だろうが採ったら自分のものと云う感覚もこまったものだ。山菜泥棒という意識は少なく公然と行われている。自分が食べるためなら大きな被害はないのだが、他人の私有地から失敬することは犯罪行為で森林法違反と云うことになるらしい。

乱獲は食卓の歓びをたちまちにして破壊してしまう。

さて、そろそろワラビも出始めた。さらにフキ、ミズ、タケノコ等もこれからレパートリーに加わる。至福の季節到来だ。資源を保護しながら喜びを長く持続していきたいものだ。
5月16日、国道398号線栗駒周辺の道路沿いは残雪があった。この場所は「タケノコ」の宝庫。最盛期になれば山形、宮城、秋田ナンバーの車が並ぶ壮観な季節にはまだ少し間がある。

気になるサイトがある。以下に

「このたび、海外のサイトで日本の放射能汚染地図が公開されていた。この放射能汚染地図はアユの汚染状況を地図化したものです。アユという魚は日本中に生息しているため、この地図はある程度の目安になります」

「地震・原発・災害情報のまとめブログ」2013.05.12 引用
(http://saigaijyouhou.com/blog-entry-190.html)

上記の報道を見れば、福島原発の放射能汚染も気にかかる。高い汚染地域では山菜の楽しみを奪ってしまった。秋田の半分近くの市町村は低めだが汚染地域に入っている。原発事故後の「直ちに健康に被害はない」のごまかしフレーズが頭をよぎる。原発再開が先行していて詳しい調査は公開されないのだろうか。





堰普請(せきぶしん)

2013年05月03日 | 農業
今日5月3日は「堰普請」だった。文字通りだと(せきふしん)と云うことだろうが地域では(せきぶしん)と濁点が付く呼び名になっている。
連休の3日実施は圃場整備後からだから40年ほどにもなる。農家にとって、ゴールデンウイークなどと云うものはない。

「堰普請」等と云っても今時代何のことかわからないではないだろうか。「堰普請」と云う呼び名も消える寸前かも知れない。まず「堰」とはこの場合は田圃に水を入れるための用水路のことだ。自然の流れと云うより人工的に造られた用水路とでもいえる。普請だから用水路の掃除と云った方がわかりやすい。田んぼでコメを作る場合は当たり前の行事だ。昨年の水田から落水した後の用水路、排水路の清掃。用水路は田圃に水を入れろ水路。排水路は田圃から雨や稲刈り前の作業をしやすくするため水を捨てる水路のことだ。田んぼの整理でこのことを「用排分離」と云った。この作業が終わると田植作業の準備に入る。田んぼの耕し、水を入れ代掻きが終われば田植状態になる。

かつて100人も出て作業した「堰普請」も近年出てくる人は少なくなってきた。田んぼを耕作している人は田んぼの多い、少ないは関係なくはほぼ全員参加する。生産費を償えないコメの価格、何でもかんでも規模拡大政策の中で田圃の耕作から離れた人が多くなってきたからだ。それでも今年の「堰普請」には多くの人が参加した。種まき後は低温続きで異常気象だ。ともかく寒い「堰普請」だった。今年の田植までまだまだ異変が続きそうだ。


排水路のゴミ撤去 

20年前、1993年の「堰普請」も寒かった。今日の寒さで20年前が想いだされた。あの年の気象も春から異常。とうとう稲の出穂時も回復せず、大冷害で食卓に日本のコメがなくなった年だ。

今年のこの時期の低温に何かしら暗示があるように思うのは自分だけだろうか。年々ごみは少なくなったきた。今日は空き缶等はかつての10%ほどか。空き缶以外はあまりない。堂々と水路に物を捨てる人は少なってきている。好ましい傾向だ。

下記の写真は1993年の「堰普請」のハガキ通信だ。ここに再掲載することにした。


写真は③だが①と②を下記に

堰普請とゴミ「水に流す」とは ①

「五月三日は堰普請(せきぶしん) だ」と連絡があり毎年春の農繁期を前にして水路のゴミ掃除が通称「義務人足」ということで実施された。
「義務人足」とは、もはや死語に近いのだろうが、集落の行事にはまだそう言われてる。読んで字のごとくで、この出役には、当然無報酬である。
コカコーラ、キリンにアサヒ等のビールの空き缶、マヨネーズに洗剤のポリ容器など「堰普請」のゴミもずいぶん変わってきたものだ。圃場整備後、土地改良区が中心になって各水系、集落単位に「ブロック会」か生まれ、農繁期前にそれぞれの水路を掃除する。

麓は、川連(通称中) と上野と合同で総勢約100 名でこれを行う。この地区の田圃の用水は7 キロほど上流、皆瀬川からかつて小野寺氏の居城、稲庭城の内堀ともいわれた「五ケ村堰」を通り隣で「和堰」と「新堰」の二つの用水路に分かれて灌漑されていた。圃場整備前の「堰普請」は、上流2キロほどの通称「横道」、「サンゴローからカクエン」、「切崖」の三箇所の難所があった。

「五ケ村堰」は、近世佐竹氏の藩政下で新田開発のため大改修されたという。
藩政時代の「新田開発」で、特に「切崖」の山すその水路工事は難事業だったとあったと思われる。少しでも多くの「田圃に水」をと、水路を集落近くまで延ばしたために「切崖」周辺の水路は、落差が少なくほぼ平らな流れだ。そのため上流からの水の押し出しで、やっと下流に水が流れる状態だった。だから堰普請の時は、この箇所は「特長靴」でも超えそうな探さまでヘドロやゴミが溜まっていた。

それが昭和49年に圃場整備事業によって、「三面舗装」水路に変わってこの三箇所も改良され難所は解消されることになった。だが、三面舗装の水路はかつて棲んでいた鮒や鯉、ドジョウ、イモリ等の「小川の生き物」をことごとく追いやってしまったし、棲みかを作ることも出来なくしてしまった。
さらに流れの良くなった水路はゴミ、空き缶等もなにもかにも押し流す生活排水路の役目にも果たすことになってしまった。何回となく各機関を通じて「水路にゴミを捨てるな」と、呼びかけても一向に意識は変わらず一向に改善されそうもない。これは一体どう考えたらいいものだろうか。日常生活の中で、ことが起こると「水に流して」と言う考えが日本人にはある。このことがゴミや空き缶を簡単に水路に捨てることに結びつくのだろうか。

堰普請とゴミ「水に流す」とは ②

麓は稲川町川連地区に属し、役場の東に位置し国見嶽、鍋釣山に挟まれた「内沢」から数百年、数千年におよぶ土砂の押し出しによる小さな扇状地状に住宅地と畑(約百町歩)と田圃(約百町歩)が開けている。内沢はあまり大きくない沢で、沢水を利用した田圃はせいぜい10町歩(10ha)あまりだ。そのために、この地の田圃の耕作の最大の問題は「水不足]と闘うことだったし、「堰普請」は欠かすことの出来ない村を上げての行事でもあった。

今では圃場整備によって「和堰」はない。旧「新堰」が三面舗装の水路に変わり、南から北に向かって流れている。集落の田んぼの用水路はこの三面舗装の水路から直角にU字溝で西側に向かい各田んぼに流れている。扇状地ゆえ西に流れるU字溝はやや急で、数カ所に落差溝を設け急流を調整している。ゴミや空き缶はまずこの落差溝に溜まり、さらに水の勢いでカラカラ音をたてU 字溝を転げ落ちて流れ、田圃へと入ってくる。ゴミの種類は多様だ。ときには発泡スチロールの箱、布団、酒箱、少動物の死骸、ビニール、多量の草等が流れてくることもある。もともと、文明発祥地は河川が中心であり「川は巨大なゴミ捨場」だつたとか。日本の川は明治時代に来日した、オランダ人の治水技術者デ.レーケは「川ではない。滝だ」と言わしめたほど急流が多い。

樋口清之国学院大学名誉教授によれば「水に流す」とは、「今まであったこを、 さらりと忘れ去ってしまうことである。過ぎてしまったことを改めて話しをもち出したり、とがめたりせず、なかったことにしようとする行為である」と言う。

日本の流れが比較的勾配があるので、ゴミを捨ててもあっという間に流れ、目の前はきれいになった。きれいに流れず、ゴミ(汚物)が溜まり汚く濁った状態は誰も好まない。つまり「澄んでいない」状態は好ましいことではなかった。「日本人は、人間関係において対立を好まない。心でどう思うと、表面上はスムースにことが運ぶよう努力する。「済みません」は自分が流れを汚して「澄まない」、つまり「済まない」からきている」と樋口教授は言う。

何か思い当たる事もある。だからといって川、堰(水路)に何もかも捨てて流してしまう考えは認められないが。生活の都市化というべきか、この数年の間に日常生活から出てくるゴミが数倍にも増えた。たしか「消費は美徳」、「消費者は王様」などとおだてられたころから急に増えたような気がする。
今年の「堰普請」は、天気も悪くそして寒かった。だから「ブロック会」のできあがり慰労のビ-ルはきめて冷たかった。