田植が最盛期から後半に入った。低温で苗の遅れ等で例年より一週間ほどの遅れの作業となった。田植の前は代かき作業、その前は耕耘作業だ。かつては田植前までの作業を地域では「春農(はるのう」と云った。田植作業になれば「さつき」と云った。「春農」は辛い仕事だった。
田圃を耕す耕耘の前は堆肥散布、肥料散布、畦畔ケズリ、田圃へ水引、水不足だと夜半まで水引、水漏れ防止のため畦畔ぬり、代かき荒代かき、植え代かき二回でやっと田植を迎える。この作業は20日から一ケ月近くもかかった。
それが現在はトラクターで耕耘、代かき作業アッと間に終わり、有機栽培以外堆肥散布はない。肥料は施肥機つき田植機、畦畔塗りもトラクターか、黒マルチを専用道具で張るから畦畔から水漏れはほとんど問題はない。
かつての「春農」になかった作業が生まれた。25年ほど前からだろうか。水漏れ防止の黒マルチを張るために雪消えから伸びた畦畔草刈り作業が入った。地域で畦畔マルチが導入されたのは昭和62年のことである。山形県庄内地方で始まったマルチ専用機のニュースを知り始められた。畦畔塗り作業は重要な作業で圃場整備後も続いていたが、畦畔マルチが入ってくると畦畔塗り作業は消えた。
畦畔にマルチを張る作業は画期的な道具だった。丸い円盤状にマルチビニールの端を引っかけ押していくと、畦畔沿いの心土までビニールが埋まるから水漏れが防止できる。
今ではほとんどがこのマルチ張りは田植後作業する。そのために田んぼに水を入れる前に畦畔の草を刈る作業が行われるようになった。
草を刈るといっても、まだ草の小さい畦畔の草刈りは土や小石を弾き飛ばしていく。この作業をしておくと田植後のマルチ張りがしっくりと畦畔になじむので、その後の草の成長が抑制され管理がやりやすくなるのだ。
畦畔の野草も種類が多様だ。ヨモギ、ヘビイチゴ、スギナ、フキ、ドクダミ、セリ等。
耕耘の後草刈りの終わった田圃に今年は面白いことに遭遇した。ガラス会社勤務のT君、土木建設勤務のI君、JA勤務のN君、勤めながら「あきたこまち」を作っている。出勤前等に畦畔の草刈りの中で「タンポポ」を残したのだ。
天に向かって咲きそろう花に共感、刈るのを惜しんだのかもしれない。まだ草丈の短いこの時期、「タンポポ」の草丈が一番高い。
刈られるのを免れた満開の「タンポポ」。その中でガラス会社勤務のT君の残した「タンポポ」は、花の数が30個もある見事のものであった。
N君の排水路側の「タンポポ」鍋釣山をバックに野を飾る
「タンポポ」にそれほどの想いのなかったが、ここまで周囲に刈られないで咲き誇っている「タンポポ」が多いとなにかしら敬意を感じ、残した人達の優しさを想う。
「タンポポ」を調べてみると
「属名のタラクサクム(Taraxacum)は、ペルシャ語のタルフ・チャコーク(talkhchakok)が中世ラテン語になった言葉で「苦い野菜」という意味からきている。
日本名 「たんぽぽ」または「タンポポ」漢字では「蒲公英」 と書く。
英語名 「ダンデライオン」(dandelion)dandelionはフランス語の「ダン・ド・リオン」(dent-de-lion)"ライオンの歯"からでて、タンポポの葉の縁の欠刻(ぎざぎざ)がそれに似ているところからこのように呼ばれることになった。
日本名の由来 「タンポポ」の名前の由来については諸説がある。有力なのは、頭花を鼓に見立て「タン・ポンポン」と音を真似たというもの。茎の両端を細く裂き水に浸けると鼓の形になるため、と言う説もある。他に、「タンポポ」の冠毛の形が昔日本にあった「たんぽ槍」に形が似ているところから名づけられたとする説もある。
さらに、日本名の「タンポポ」は、現在中国で「婆婆丁」(ポポチン)と呼ばれているが、そう呼ばれる以前香気を意味する"丁"が上に置かれて「丁婆婆」と呼ばれていた頃日本に伝わった名前ではないか、とする説もある。
花言葉 ヨーロッパでは、子供が「タンポポ」の白色の冠毛のついた実を吹いて占いをしたところから、花言葉として「いなかの神託」あるいは「幸福を知らせる花」となっている。
また、冠毛を一息で吹き飛ばせたら恋が成就するとも言われている。白い乳液を手につけると乳の出が悪くなるとの伝承もある」
(たんぽぽの名の由来)
:http://www.geocities.jp/tampopo7007/namae.htm 引用
「タンポポ」の葉のぎざぎざがライオンの歯に似ているとの発想は今までなかった。「タンポポ」と云えばその花が中心で、葉を意識してみることはなかった。よくよく見ると他の植物に見られない不思議な形をしている。ライオンの歯の形と似ていると言われればそうにも見える。そして「タンポポ」は「セイヨウタンポポ」主流で、在来種が駆逐されてしまったの感があったがそうでもなかった。在来種との交雑種もあるそうだ。
「セイヨウタンポポ」は在来種よりも生育可能場所が多く、かつ繁殖力が高いが、その反面で多くの在来種よりも低温に弱く、初春から初夏にかけての寒暖差が激しい条件下では生育できない場合も多い。「セイヨウタンポポ」の個体数が多いために相対的に在来種の割合が減っただけで、在来種も一定の個数で存在している」
:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D 引用
田圃で「タンポポ」よりこの時期好きな野草は「ムラサキサギゴケ」だ。
これは板金業のI君との境界の畦畔にこの時期毎年咲く。10年ほど前30aの田圃の中に境界を水田の土だけで畦畔を作った。ここに数年前からこの「ムラサキサギゴケ」が定着した。花弁が鷺の形に見える。常に湿気が強い畦畔の花色が濃く、毎年少しづつ増えてきた。
拡大の写真は下に
ウィキペディアによれば
「ムラサキサギゴケ(紫鷺苔、Mazus miquelii)は、ハエドクソウ科の多年草。別名、サギゴケ(鷺苔)。ただし、本種の白花に限って「サギゴケ」ということもある。和名は、花が紫色で、形がサギ(鷺)に似ていることから。
日本の本州、四国、九州の湿ったあぜ道などの日当たりの良い場所に生える多年草。匍匐茎で広がっていく。花期は春-初夏。花は紫(たまに白)で、中央の黄褐色の部分に毛が生えている。花の上唇は深裂するが、裂け目の角度が浅くわかりにくいことがある」
花言葉は「追憶の日々」「あなたを待っています」「忍耐強い」とある。田圃作業で踏まれてもしっかり根付き、花の輝きは他の野草を圧倒していると思う。
近くにある白花も鮮やかだ。水田野草の花が田植時期の畦畔を彩る。
田植作業も今日で終った。平年より約一週間遅れたが、田植機からこれらの花を眺めながらの作業も、野草の名の由来や花言葉を知ると楽しいものだ。
田圃を耕す耕耘の前は堆肥散布、肥料散布、畦畔ケズリ、田圃へ水引、水不足だと夜半まで水引、水漏れ防止のため畦畔ぬり、代かき荒代かき、植え代かき二回でやっと田植を迎える。この作業は20日から一ケ月近くもかかった。
それが現在はトラクターで耕耘、代かき作業アッと間に終わり、有機栽培以外堆肥散布はない。肥料は施肥機つき田植機、畦畔塗りもトラクターか、黒マルチを専用道具で張るから畦畔から水漏れはほとんど問題はない。
かつての「春農」になかった作業が生まれた。25年ほど前からだろうか。水漏れ防止の黒マルチを張るために雪消えから伸びた畦畔草刈り作業が入った。地域で畦畔マルチが導入されたのは昭和62年のことである。山形県庄内地方で始まったマルチ専用機のニュースを知り始められた。畦畔塗り作業は重要な作業で圃場整備後も続いていたが、畦畔マルチが入ってくると畦畔塗り作業は消えた。
畦畔にマルチを張る作業は画期的な道具だった。丸い円盤状にマルチビニールの端を引っかけ押していくと、畦畔沿いの心土までビニールが埋まるから水漏れが防止できる。
今ではほとんどがこのマルチ張りは田植後作業する。そのために田んぼに水を入れる前に畦畔の草を刈る作業が行われるようになった。
草を刈るといっても、まだ草の小さい畦畔の草刈りは土や小石を弾き飛ばしていく。この作業をしておくと田植後のマルチ張りがしっくりと畦畔になじむので、その後の草の成長が抑制され管理がやりやすくなるのだ。
畦畔の野草も種類が多様だ。ヨモギ、ヘビイチゴ、スギナ、フキ、ドクダミ、セリ等。
耕耘の後草刈りの終わった田圃に今年は面白いことに遭遇した。ガラス会社勤務のT君、土木建設勤務のI君、JA勤務のN君、勤めながら「あきたこまち」を作っている。出勤前等に畦畔の草刈りの中で「タンポポ」を残したのだ。
天に向かって咲きそろう花に共感、刈るのを惜しんだのかもしれない。まだ草丈の短いこの時期、「タンポポ」の草丈が一番高い。
刈られるのを免れた満開の「タンポポ」。その中でガラス会社勤務のT君の残した「タンポポ」は、花の数が30個もある見事のものであった。
N君の排水路側の「タンポポ」鍋釣山をバックに野を飾る
「タンポポ」にそれほどの想いのなかったが、ここまで周囲に刈られないで咲き誇っている「タンポポ」が多いとなにかしら敬意を感じ、残した人達の優しさを想う。
「タンポポ」を調べてみると
「属名のタラクサクム(Taraxacum)は、ペルシャ語のタルフ・チャコーク(talkhchakok)が中世ラテン語になった言葉で「苦い野菜」という意味からきている。
日本名 「たんぽぽ」または「タンポポ」漢字では「蒲公英」 と書く。
英語名 「ダンデライオン」(dandelion)dandelionはフランス語の「ダン・ド・リオン」(dent-de-lion)"ライオンの歯"からでて、タンポポの葉の縁の欠刻(ぎざぎざ)がそれに似ているところからこのように呼ばれることになった。
日本名の由来 「タンポポ」の名前の由来については諸説がある。有力なのは、頭花を鼓に見立て「タン・ポンポン」と音を真似たというもの。茎の両端を細く裂き水に浸けると鼓の形になるため、と言う説もある。他に、「タンポポ」の冠毛の形が昔日本にあった「たんぽ槍」に形が似ているところから名づけられたとする説もある。
さらに、日本名の「タンポポ」は、現在中国で「婆婆丁」(ポポチン)と呼ばれているが、そう呼ばれる以前香気を意味する"丁"が上に置かれて「丁婆婆」と呼ばれていた頃日本に伝わった名前ではないか、とする説もある。
花言葉 ヨーロッパでは、子供が「タンポポ」の白色の冠毛のついた実を吹いて占いをしたところから、花言葉として「いなかの神託」あるいは「幸福を知らせる花」となっている。
また、冠毛を一息で吹き飛ばせたら恋が成就するとも言われている。白い乳液を手につけると乳の出が悪くなるとの伝承もある」
(たんぽぽの名の由来)
:http://www.geocities.jp/tampopo7007/namae.htm 引用
「タンポポ」の葉のぎざぎざがライオンの歯に似ているとの発想は今までなかった。「タンポポ」と云えばその花が中心で、葉を意識してみることはなかった。よくよく見ると他の植物に見られない不思議な形をしている。ライオンの歯の形と似ていると言われればそうにも見える。そして「タンポポ」は「セイヨウタンポポ」主流で、在来種が駆逐されてしまったの感があったがそうでもなかった。在来種との交雑種もあるそうだ。
「セイヨウタンポポ」は在来種よりも生育可能場所が多く、かつ繁殖力が高いが、その反面で多くの在来種よりも低温に弱く、初春から初夏にかけての寒暖差が激しい条件下では生育できない場合も多い。「セイヨウタンポポ」の個体数が多いために相対的に在来種の割合が減っただけで、在来種も一定の個数で存在している」
:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D 引用
田圃で「タンポポ」よりこの時期好きな野草は「ムラサキサギゴケ」だ。
これは板金業のI君との境界の畦畔にこの時期毎年咲く。10年ほど前30aの田圃の中に境界を水田の土だけで畦畔を作った。ここに数年前からこの「ムラサキサギゴケ」が定着した。花弁が鷺の形に見える。常に湿気が強い畦畔の花色が濃く、毎年少しづつ増えてきた。
拡大の写真は下に
ウィキペディアによれば
「ムラサキサギゴケ(紫鷺苔、Mazus miquelii)は、ハエドクソウ科の多年草。別名、サギゴケ(鷺苔)。ただし、本種の白花に限って「サギゴケ」ということもある。和名は、花が紫色で、形がサギ(鷺)に似ていることから。
日本の本州、四国、九州の湿ったあぜ道などの日当たりの良い場所に生える多年草。匍匐茎で広がっていく。花期は春-初夏。花は紫(たまに白)で、中央の黄褐色の部分に毛が生えている。花の上唇は深裂するが、裂け目の角度が浅くわかりにくいことがある」
花言葉は「追憶の日々」「あなたを待っています」「忍耐強い」とある。田圃作業で踏まれてもしっかり根付き、花の輝きは他の野草を圧倒していると思う。
近くにある白花も鮮やかだ。水田野草の花が田植時期の畦畔を彩る。
田植作業も今日で終った。平年より約一週間遅れたが、田植機からこれらの花を眺めながらの作業も、野草の名の由来や花言葉を知ると楽しいものだ。