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2021豪雪と被害

2021年04月02日 | 地域

2021冬の累計降雪量は1026㎝。冬になり降雪があると毎朝、除雪機で道路から玄関まで排雪が日課となる。除雪機始動と同時にメジャーで降雪量を測る習慣になって数年になる。降雪量とは雪が降った量、積雪量とは雪が積もった状態をいう。降った雪にさらに雪が積りある一定の時間で降った雪の深さで積雪量と表現される。我が里は積雪量は最大で220㎝にもなった。

このブログは毎朝の降雪の記録。この冬の豪雪には近年に経験したことがない特徴があった。雪が降ったのは12月14日から21日までと12月31日から1月6日までの集中降雪。約一週間、休みなく降り続いた。1月中旬以降2月は例年の降り方だった。3月は2日が5㎝、3日が2㎝の計7㎝の降雪だけで例年と比較して3月はほとんど降雪なしで終った。以下はこの冬の記録。

豪雪の被害は12月14日初雪から1週間と正月の1週間降り続いた大雪で住宅の被害、リンゴ等の被害、ハウス等の崩壊被害が起きた。以下豪雪被害の状況を振り返ってみる。

秋田県湯沢市で雪の影響で倒れたとみられる電柱などがスキー場に通じる市道をふさぎ、19日夜から利用客と従業員合わせて44人が孤立状態となっています。警察によりますと全員が休憩所で待機していて、今のところ体調不良を訴えている人はいない」とNHKの

                         稲川スキー場孤立(テレビ報道)

テレビはもとより地元の秋田魁新報、全国紙やロイターでも報道された。12月14日から降り続いた降雪で、稲川スキー場は19日に営業を始めた当日だった。多くの住民はこの報道に戸惑いを感じた。全国各地から報道で知ったと安否とお見舞いの電話が殺到したという。稲川スキー場は国道398号線からせいぜい1Kⅿ入った極小さなスキー場。この冬の豪雪でにわかに有名になった。

昨年は記録的な小雪。屋根の雪下ろしはなしだった。この冬も12月になっても雪の兆候はなく、連続の雪の少ない年になりそうだと多くの人は思ったはずだ。それが12月14日の朝24㎝の降雪。初雪状態で除雪機が登場。

14日の初雪状態から休みなしの降雪が21日まで続いた。累積量が287㎝。スキー場が孤立した20日の朝までの降雪量は242㎝もあった。21日以降降雪はほとんどなく、この冬2回目の豪雪は12月31日から1月6日まで連日降雪。この一週間の降雪量は259㎝となった。下記のグラフは日毎の降雪量、単位は㎝。

             12月14日から1月15日まで毎朝の降雪量 単位 ㎝                                  

下記のグラフは12月14日から2月28日までの5日ごとの降雪量。赤はその月の降雪量の合計。

            12月14日から2月28日まで5日毎と月別の  降雪量         

12月の降雪量327㎝、1月が389㎝、2月が310㎝  合計降雪量は1026㎝  となった。 2月も累計で310㎝の降雪があったが例年並みで推移した。ハウス、果樹の被害は12月14日と12月31日から、それぞれ休みなしに降り続いた豪雪の被害。

                 大雪で折れたリンゴの木   2021.3.23

ブドウ棚の崩壊、無残なリンゴの木、雪消えが進むと被害の実態が明らかになってきた。この写真の木の折れた部分は直径25㎝もあった。駒形の大倉集落のブドウ棚は全倒壊らしいとのニュースが1月に入ってきた。この冬の被害は10年前の2011年豪雪被害よりも大きいとみられ果樹栽培の縮小、撤退が進むとの観測もある。

             無残な水稲育苗ハウス     2021.3.19     

育苗ハウスは2011年災害より大きい。JAこまち管内でハウス被害は軽く1000棟以上あるとの報道がある。

各地で住宅の被害が大きい。3月になって大工、板金業者に雪害被害の復旧依頼が殺到。復旧見積等、保険業者や行政への提出書類で忙しさがが10年前の豪雪被害より多いという。3月中は道路わき積み上げられた雪の排雪は連日業者の重機と大型ダンプで進められた。4月に入って畑の雪は30㎝ほど、田んぼは畦畔が出てきた。家の周りは屋根からの雪で場所によっては3ⅿもある。10年前豪雪時よりははるかに少ない。当地では「清明」になれば湯の雨が降ると昔から言い伝えがある。暦の上での「清明」は4月の4日。

雪消えと同時に倒壊ハウスの片づけ、果樹被害木の整理等超多忙の毎日が続いている。

 

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豪雪と自衛隊

2021年01月20日 | 地域

秋田の湯沢は豪雪が続いている。前回ブログ「キノコ大豊作」を書き始めたのが12月13日でリリースしたのが15日だった。それまで標高444mの鍋釣山、587.2mの国見岳の中腹辺りまで降雪があったが平地まで降雪はなかった。昨年は近年まれにみるほどの小雪。屋根の雪下ろしは一回もせずに終わったので、天気予報での降雪情報等はそれほど大事になるとは想像もしていなかった。

平地の初雪になった12月14日朝の降雪は24㎝あった。道路から自宅玄関まで除雪機での排除に小1時間かかる。平地に降った雪に初日から除雪機登場は近年記憶にはない。排雪は日課になり、防寒着にメジャーは常備し作業始まりには計測するのも定着してしまった。

14日夜半から降り出した雪はその後続いた。朝の降雪15日45㎝、16日43㎝、17日30㎝になったら早い人は屋根の雪下ろしを始めた。18日30㎝、19日20㎝、20日50㎝。月曜から日曜の7日間で合計242㎝の降雪量。10年前の2011年の豪雪と似てきた。

 積雪量とは降っても除雪したり踏み固めたりせずに自然の状態、地面から積もっている雪の深さを測った量。降雪量とはある時間内に積もった雪の深さの量。降雪の雪は時間の経過で圧縮されるので雪の深さが違ってくる。

                           12月20日 第一回雪下ろし 車庫兼作業場

雪降り一週間後の雪下ろし時の雪の量は上記の写真となる。雪下ろしの道具はアルミスコップと鉄平型スノーダンプ。スノーダンプの柄まで長さは116㎝ある。上記の写真で屋根の雪の深さが約170㎝あった。一週間の降雪でこの深さの積雪量は近年にはない。10年前の2011年に匹敵する。

                  12月22日 本屋と土蔵

上記は22日住宅と土蔵の屋根、テレビアンテナも隠れて受信不可能の状態。

                12月23日 ハウス倒壊

育苗ハウスの崩壊。雪の前に支柱を立て雪害予防の対策はほとんど効果がなかった。降り出しから5日で壊れ始め10日間で上記の状態になってしまった。

一時的に猛雪は21日から30日までほとんどなかった。時々晴れ間もあり各家で雪下ろしは順調に終わった。大型経営奨励の農家で農地を他者に依存の傾向が高まり、労働人口が極端に減ってしまった。雪下ろし作業員が極端に少なく、かつては自家の雪下ろし後、集落には何組かの雪下ろしのチームがあったが現在ほとんどない。自家の雪下ろしが精一杯の状態。各地から雪下ろし要請で作業員が確保できないとの業者、仮に要請があっても10日か2週間待ちだとの情報が入っている。

1月6日に2回目の雪下ろしを始める。我家の住居は本屋と台所等90坪と土蔵60坪で計約150坪。さらに車庫兼作業舎30坪、農機舎18坪。計198坪。土蔵の屋根は急傾斜なので屋根雪は自然落下する。138坪ほどの屋根雪は人の手で下ろすことになる。下ろした雪は排雪が必要なので延べ3日間は必要だ。

                   1月6日 車庫兼作業場2回目の雪下ろし

上記の写真も一回目同様、スノーダンプで深さを測ってみた。一回目よりやや低い。それでも150㎝あった。下の記事は秋田魁新報の秋田県内各地の積雪深さ。湯沢市川連町の東部は横手市の積雪の10%は多い。

                               1月6日 秋田魁新報引用

湯沢市では、雪による事故防止対策に取り組むため、令和2年12月20日午前8時00分に総務課長を室長とする「湯沢市雪害情報連絡室」を設置した。1月6日(水)午前10時10分、市長が湯沢市内の現状を県知事報告するとともに、自衛隊の派遣について要請。同日、湯沢・雄勝管内の羽後町、東成瀬村も自衛隊派遣要請した。

尚横手市は前日の5日に県に報告、自衛隊派遣要請している。湯沢市で7日、活動を始めた。陸自秋田駐屯地の隊員70人が6班に分かれ、倒壊の恐れがある高齢者宅などの雪下ろしにあたった。1月10日(日曜日)午後2時30分、湯沢市における大雪に伴う自衛隊の災害派遣活動が終了しました。4日間で延べ300人余りの隊員が活動した。

                1月6日自衛隊による雪下ろし 横手市栄小学校 秋田魁新報 引用                  

1月8日雄勝地域、稲川地域において高齢者世帯等の14軒の家屋の雪下ろし作業。我が集落の一人暮らしの90歳 Eさん宅が自衛隊の手で雪下ろしが行なわれたという。当日の夜半は強い風。昼も小雪が舞って寒い一だった。自宅の前を通ったという自衛隊の車を見過ごしてしまった。

                 1月8日 白鳥の群れ 

8日夜半の強風でテレビアンテナがとんでもない方向に向いてしまった。業者に調整依頼していたら住居の上空を白鳥が2回ほど舞って南に向かった。越冬地が近くにあるのだろうか。それとも白鳥ではなく別の鳥だろうか。 

12月20日から約10日間降雪が0の日が4日、降っても2、3㎝ほどで朝の除雪機排雪がなった。それが年越しの31日、この冬第2波の大雪が新年にかけてやってきた。31日朝降雪32㎝、夕方までプラスの31センチ。12月14日から31日まで362㎝を記録した。1月1日から1月10まで263㎝。11日から20日までは73cmこの冬12月14日から1月20日まで合計698㎝になった。 12月14日から31日まで降雪0が6日、5㎝以下が4日。1月1日から20日まで降雪0が6日、5センチ以下が2日。12月14日のこの冬初雪から大寒の1月20日まで38日間で降雪0の日が12日、5㎝以下が6日あった。

屋根からの雪で住宅の中は暗くなってしまった。今日は大寒。第三波、第四波と新型コロナ禍なみに雪降りが続くのだろうか。現在2回目の雪下ろし後屋根の雪は70cm程度、大寒過ぎ天気は落ち着くとの予報。暦の上では立春に向かっているのだが、、、。    

 

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キノコ大豊作

2020年12月15日 | 地域

秋は「きのこ」の季節。今年の当地方は梅雨には比較的雨が多く日照不足で作物は低調な成育。8月に入ってから比較的好天が続き、作物は例年並みだったが収穫時期は遅れ気味だった。そんな中で平年より半月以上も遅れて「キノコ豊作」の報が入ってきた。

近年各地で熊の出没情報が多発。2020・1・25「秋田魁新報」に次の記事があった。「24日午前9時ごろ、秋田県湯沢市川連町川連の市道にクマがいるのを、付近の10代女性が見つけ、市役所を通じて湯沢署に届け出た。人や物への被害は確認されていない。県内でクマの目撃情報が警察に寄せられたのは今年初めて。県警地域課によると、県内で1月にクマが目撃されたのは2018年以来2年ぶり」。さらに7月八坂神社にある小社がクマに小破された。ミツバチの巣があったらしい。

こんな背景が重なると村に住む住民は山菜、きのこ採り等で里山にも出入りすることが少なくなった。私も裏山に出向くことはいつもよりは少なくなったが、それでも時々住宅近くの山には出入りしている。

10月の中旬、クリタケとヤマブシタケにぶつかった。ほとんどがナラ枯れに枯死したミズナラの樹。クリタケはともかくヤマブシタケを地元ではウサギタケと言い珍しいキノコ。私も年に一、二個採った程度だったが今年はそのヤマブシタケが連なって生えていた。

            ヤマブシタケ、ヤマブシタケ下面

Wikipediaには「日本名の由来は、子実体の外観が、山伏の装束の胸の部分についている梵天(丸い飾り)に似ているためといわれる。中国ではシシガシラ(猴頭)猿の頭の意ともいう。食感は海鮮類に似ているが、特別な香りや味はないため、スープなどの汁物として味を含ませて用いることが多い。中国では四大山海(他はフカヒレ、ナマコのいりこ、熊の掌)の珍味の一つとされ、宮廷料理用の食材として珍重された。」とある。

私がこのヤマブシタケを知ったのは20年ほど前、友達と松の木峠散策で見つけた。友人に地元ではウサギタケと言い、珍しいキノコと知らされた。その後15年前国見岳の峰、そして2年前は地元の里山。せいぜい見つけても一個。それが今年は十個近くに遭遇。採った方がビックリの状態。一般のキノコのイメージが全く違う形なので、自然の山でであっても見過ごす確率が高い。近年血糖値を低減、マウス実験で抗腫瘍効果等話題となり原木や菌床栽培が可能になりスーパーで見かけられるようになった。

                              左クリタケ、右ナラタケ

クリタケとナラタケもナラ枯れのミズナラの木に今年初めて出てきた。クリタケは初め饅頭形でのちに平らになる。探してみてもこの木一本だけだった。クリタケ、ナラタケは当地ではサワボタシやサモダシと呼び最もポピュラーなキノコになる。

ナラタケの表面は帯黄色で中央部に放射状の線がある。このナラタケは3年前ナラ枯れで薪に伐採した切り株と周辺に発生。今年はここだけにしか発生しなかった。数年前は杉林にも大発生。旺盛なナラタケ菌は古木や土だけではなく生えている樹の表面にも生えていた。

ナラタケ菌はオニノヤガラやツチアケビのような無葉緑ランに内生木菌根をつくる。この場所の近くの杉林に毎年オニノヤガラが出てくる。今年は発生がいつもより少なく丈も短かった。

              ナメコ        

11月になって、昨年までムキダケが生えてきたミズナラの枯れ木にナメコが生えてきた。今年のムキダケはいつもよりは少なかったがそれでも10月から11月にかけて堪能した。はじめわずかな発生だったので来年に期待などと思っていた。11月の末になって昨年までムキダケだらけのミズナラの枯木におびただしいナメコの発生。株元から4、5mの高さまで、ナメコタワー化ししばらく呆然として見とれた。高いところは持参の鉈で柴枝伐り、臨時の長枝でかき落とした。晩秋ゆえレジ袋等入れ物なしでの入山。想像以上大量の発生。とっさに着用ていたヤッケを脱ぎ、胴部分を紐で括ったら大きな入れ物になった。帰宅で計量したら14㌔もあった。

       広げた新聞紙2枚分の量のなめこ

雪のなかった12月も昨日と今日で雪降りの天気、昨日の朝の積雪は27cmだったが今日は45cmもあった。予報は明日も大雪予報。この冬初めての除雪車が稼働した。ニュースで奥羽本線真室川から横手、北上線が不通。

雪降りの直前、裏山の「なめこ」は前回の半分、約10Kの量になった。さらに老菌になった「なめこ」タワーのミズナラの枯れ木は4、5本もあった。

                    ナメコタワー ミズナラの枯れ木

私のキノコ採りはほとんど自宅の山中心で、山名人のように深山にはいってのマイダケやマツタケ等とは縁はない。自宅からせいぜい1Kほどの集落中心の裏山。天然のナメコは初めての体験で豪華な晩秋だった。

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田植えの終わった田んぼ

2019年06月25日 | 地域

2019年田植えが終わり約20日が経過した。順調な気温の推移で田んぼの稲も順調な生育に見える。この頃の気温の高低差が大きく心配なところもある。「春、田圃に稲を植え、秋に実りを収穫する」ことは稲作農家の大きな作業。一つ一つの作業の終わりは次への作業が始まるまでホッとした気分が漂う。田植え作業の終わった田んぼにある種の異常を感じたのはつい最近のことだ。

2年ほど前の6月末、由利本荘の友人と富山の友人宅訪問を企画し、私は奥羽本線経由で秋田に向かい羽越線で新潟に向かった。秋田駅を出発し車窓に田植え後の景色を見て唖然とした。田植え後の田んぼが雑然としていたのに気づいた。現在の田植え作業はすべて機械作業。田植え機が畦畔でターンした場所に稲苗の姿がないのだ。

由利駅から乗車した友人に聞くと近年由利地方で田植えの終わった後田んぼに入り「補植」作業する人はほとんどいないと云う。列車の風景は山形荘内地方に入っても見られた。国道や高速道路側よりも鉄道本線側にこれらの田んぼは多くみられる。

一般的な田植え後の生育情報。左正常、右欠株の圃場

田植え機が入ってきたのは昭和50年の中頃、はじめ歩行型の2条植えから4条植えの機械が入り一気に田植え作業が捗った。育苗箱に蒔かれた苗の不ぞろいがあれば植えられない場所が多く出たが当時一通りの田植え作業が終わると、一斉に欠株等に補植が行われた。当地方では「植えなおし」と呼び結構時間がかかった。丁寧に補植作業を行えばそれなりの収穫が約束された。近年田植え機は乗用型になり作業は一気に進むようになった。つい数年前まで「補植」作業は当たり前のことだった。欠株はほとんど田植え機の植え爪に当たらなかったか、苗がかき取られないのは育苗土に問題があるのかもしれない。

2019年田植えの終わった各地の田んぼを注意深く回ってみた。 

右側の写真は苗質が悪く一条または二条10数メートルから中には100メートルも植えられていない個所もあった。

横手市浅舞 2019.6.20

畦畔で田植え機がUターンされる部分が植えられていない。

羽後町 2019.6.21

田圃の耕耘が深いのか植えられた苗が沈没してしまった。

 湯沢市山田地区 2019.6.19

同じように植えられた田んぼも主食用、加工用、畜産用、ホールクロップ用と多様になっている。政策的な規模拡大奨励で耕耘、田植え等機械作業以外の作業から撤退の傾向にある。極端な場合を除き収量がそれほど減収しない。米価が安く生産意欲の減退がみられることが考えられる。

見渡せばほとんど変わらない風景、多くの農家が稲作から撤退が始まっている。先日鉄くず回収業者と話したら、廃ビニールハウスの持ち込みが急激に増えたという。 

※2019.6.25のものを投稿

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薪伐採の顛末記

2019年06月05日 | 地域

薪ストーブを利用の多くの人は伐採作業は3月、4月の雪のある時期に終わっている。5月になると薪割り作業も終わり、乾燥促進のためきれいに積んだ薪が方々にみられる。

私の場合は田植が終わり田んぼ作業が一段落してからの時期に集中している。林道側の自家の雑木林での作業。軽トラ横付けの作業をモットーとしてるのでこの時期になってしまう。自家の雑木林の主流はミズナラ。樹齢が80年前後。薪材としては最良だが数年前から「ナラ枯レ」に侵されている。今年の薪材は昨年来「ナラ枯レ」とまだ枯れてはいないが衰弱したミズナラの伐採を決め込んだ。

今年の素人のナラの木伐採は失敗だらけ。初めの一本は予定の方向に倒すことができ、滑り出しが上々で作業の開始となったが、二本目の直径40センチのミズナラ伐採は予測した方角から大きく外れ側の杉林にもろに倒れてしまった。

林道から4,5メートル離れた場所。根本から切り詰めてながら作業を進めても杉の木の間に挟まってしまったミズナラはどうにもならなかった。 

チェンソーと樹脂製のクサビを巧みに使い、林道側までたどり着くこと小1時間。トラクターを持ち出し、持ち合わせのワイヤーは無くロープでの牽引、短くした根元につなぎ引っ張ってもびくともしない。引くのを中止し、トラクターのローダーで押し出す作業を数回重ねたらやっとのことで林道まで引っ張り出すことができた。

ミズナラの太い枝は杉の木に挟まり、林道に直接倒れる心配がなかったのでチェンソーで切りつめたら挟まっていた枝がもろとも落下した。

汗だくになっての作業。半日をかかってしまった。杉の木と違って枝が片方によじれて茂っていたミズナラの木。初めに倒す方向を確実に予測して伐採にかかってが素人作業の悲しさ。予測の方向とは全く違う場所に倒れてしまった。処理に時間がかかったがやっと倒した満足感はまた格別なものだ。直径40センチもあるミズナラの木、自宅まで運ぶことにまだ時間がかかる。薪の長さに短くしても相当の重量。現場でさらに鉄クサビで割って運ぶのにまだ時間はかかる。

猛威のナラ枯れで衰弱してしまったミズナラの木。素人の雑木伐採。チルホール(手動ウインチ)等道具を使いこなせればもう少し手間をかけずにできたかもしれない。幸い林道筋、自家の雑木林に造成した小さな林道。ほとんど人も車も通らない。今回林道の近くの場所、トラクター持ち出しで作業ができた。

 

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人形送りと鹿島様

2019年03月31日 | 地域

2010年5月2日に「人形送り」を次のように書いた。「岩手県西和賀町左草地区の「左草人形送り」。 ネットで調べたら下記の記事であった。 「ショウキサマ」と呼んで、昭和28年頃まで続けられていたようですが、何らかの事情で中断されました。そして昭和62年から再開し、今年で24回目となりました。男女2体のわら人形には、病がソバに寄らないようにとして、ソバ粉で作った団子を持たせます。その他に穴の開いたお金を持たせ村はずれまで、送って道端の木に結わえて無病息災をお祈りします」。

通りすがり初めての対面。ミズナラの木高さ4㍍程にワラ人形二体。地域の伝統行事に何かしら新鮮な感動を覚えた。

岩手県西和賀町左草 2010.5.2

その後も西和賀町の左草地区を通る度にミズナラの木の人形を思い浮かべていた。今回鮮やかな晴天に久しぶりのドライブ。コースは西和賀、沢内から雫石、田沢湖を設定。西和賀の左草の近くを走っていて、再び「ワラ人形」に会いたくなった。国道106号線のバイパスで横手、盛岡線で沢内へ向かう。106号線からバイパスを通ると間もなく左側に左草地区の入り口が目につく。バイパスからせいぜい3キロほどで「ワラ人形」がある場所にたどり着く。

岩手県西和賀町左草 2019.3.20

今回3月26日のFBに次のように書いた。

「岩手県西和賀町左草地区では今年も2月11日に「人形送り」の行事が行われたという。 当日公民館で2体のワラ人形を作り、病が「ソバ」に寄らないようにとソバ粉の団子と、しっかり身に付けて守ってもらうようにと穴の開いたお金を持たせ、地区のはずれまで送って道端の木に結わえて無病息災を祈る行事。

約10年ぶり再び「ワラ人形」に会いに行ってきた。西和賀町では他の地区でも伝統の「人形送り」の行事が継続されているという。地区によって「ワラ人形」の形は違うようだ」。

今年の「人形送り」は2月11日に行われて約40日経過でイナワラが新しい。2010年の「ワラ人形」は5月の写真だったのでワラ人形がやや風化し色合いが出ていた。さらに約10年の月日で制作者も変わったのだろうか。2010年の時の「ワラ人形」になにかしら厳かさを覚えるのはなぜだろうか。

秋田県にある巨大ワラ人形。湯沢市岩崎地区のものは約4ⅿはある。2018年9月30日のブログ「追想 米を作る若者 と皆川嘉左エ門」を書いた。岩崎の緑町の「鹿島様」は骨組みと面以外は稲ワラで作られている。面の製作は彫刻家の皆川嘉左エ門だ。村々の疾病・災厄退散と五穀の実りを祈願した。さらに周辺地域独特の守護神像がある。

旧稲川町の飯田地区に4体の「鹿島様」(ニンギョ様)がある。他に御岳堂、岩城にもある。この地区の鹿島様は他とは違っている。1m程度の石碑にワラで作った兜のようなものを被り、腰にまわしのようにワラで作ったものを巻いている。小さいながらも脇差をして力強い。このような形は全国的にも珍しいといわれている。このタイプは飯田地区の他、御岳堂、岩城、皆瀬の若畑にもある。

飯田地区の一部では男神と女神が一緒に鎮座する双体道祖神のような形をとっています。又、道切りと呼ばれる注連縄を集落境に張り込み、その下で小さな人形道祖神が睨みを効かせて子孫繁栄、安産などの性神としても捉えている。春、秋にニンギョ様のワラの着せ替えをしている。今年は4月10日に着替しお祀りが行われる。

湯沢市三梨町飯田の鹿島様(ニンギョ様)   2019.3.28

文化十一年(1814)江戸時代後期の旅行家、「菅江真澄」がこの地を訪れた。菅江真澄全集 第五巻に「雪の出羽路」雄勝郡二 稲庭ノ郷 新町に鹿島様の記述がある。

「郷堺に藁をつかねて五尺に余る芻霊人(くさひとがた)を作りて、横刀を帯せ剣を持たせておしたてり、こは春秋これを造りたて、又をりとしてすりを加ふ事あり、こや疫神を避け逐ふの祭りと云えり、秋田路にもいと多かるもの也。又家々の門の柱にささやかのわら人形を作り左右の方にゆひ添へ、あるは串にさしても立り茅もて制り金銀鉄泥なんども以て人像を作りてはらうにひとしかるべし。此大なる境人形を草二玉といひ、また牛頭天王なんどいえり。此稲庭は草二王を造るよしといえり。」とある。

 現在稲庭地区でかつて人形を作ったことが語り継がれ、明治の廃仏毀釈当時にその歴史は絶えたともいわれれる。

左  菅江真澄全集 第六巻 雪の出羽路 平鹿郡11   右  湯沢市三ツ村の鹿島様

菅江真澄全集第六巻 「雪の出羽路」に横手市下樋口村に「芻霊」の図がある。稲庭新町の記述とほぼ同じように記されているが、秋田県内最大といわれる岩崎や雄勝地区の「鹿島様」について記述は見られない。 

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パソコンの解体

2019年02月18日 | 地域

1978年(昭和53年)、東芝が初の日本語ワードプロセッサJM-10を発表した。これはワープロ専用機で630万円の価格報道に驚いたことを覚えている。当時和製タイプライターが出ていた時代で超価格のワープロ専用機のニュースは報道で知った。1980年代後半には、ワープロ専用機は、持ち運びが可能な大きさまで小型化されたパーソナルワープロとして、中小企業等への導入が始りだした。

そのような背景の中で1989年(平成元年)私はやっとのことでワープロを手に入れた。富士通のデスクトップで当時の新しい型だった。21万ほどだで当時の自分にとっては高価な買い物だった。富士通にしたのは変換が親指も使いローマ字変換な苦手な自分にピッタリと思ったように思う。パソコンはまだまだ高価でパソコンのパの字も話題に上ることはなかった。電子計算機の名が一般的だった。

ワープロのLotus 1-2-3は、MS-DOS用表計算ソフトで、当時減反政策が年々強化され補助金等複雑な会計処理、「転作組合」の経理はずいぶん助かった。さらに「ハガキ通信」を始めた。時々の感じたニュース等ハガキに8ポイントの文字で最大見出しの他1000~1200文字が書けた。ワープロから汎用性が拡大されるパソコンの動静は調べていた。当時は100万円前後していた。ワープロ同様、20万以下になったら導入を考えていた。

ワープロ導入前に某社がIBMのパソコンを750万で輸入等のニュースは知っていた。近い将来「パソコンの価格は20万以下」になる等と話しても、当時秋葉原の電気店に勤めオーディオ担当の弟に「ありえない」と反論された。しかし、数年経過して弟はパソコン等の取り扱いを進言、重い腰の上司は取り扱いにGOサインが出たと電話してきた。1995年頃にパソコン教室が生まれ官公庁に導入が進んできた。スキャナーにも手を広げ、カラーではなく白黒だったが「ハガキ通信」も充実してきたように思えた。                    

そして今年はワープロからパソコン歴30年になる。ワープロもパソコンもすべてマニアル任せ、それでも操作が分からないと本屋に走り関連本の購入に明け暮れた。数年前パソコン関連本が100冊近いことを知って驚いた。現在のようにネット検索ができなかった。導入初期ワープロ、パソコンに詳しいのは業者等の一部、当地方では官公庁を始め一般の企業等にも導入された90年代の中頃からだった。

30年間でワープロ1台、デスクトップ計4台、ノートが6台になった。現在までデスクトップ3台は機能の低下、ノートパソコン2台は健在だが2台は液晶画面が壊れ2台は機能低下でほとんど使い物にならない。当時1984年登場のMac OSの評判が高かったが1992年Windows3.1になって急速に普及したようだ。その後Windows95 2001年にWindowsXP、2009年になってWindows7、2015年にWindows10になった。Windows95以下はもはや使い物にならない。

このほど2011年導入のデスクトップ液晶一体型パソコンの液晶が真っ黒になりパニックとなってしまた。ノートパソコンはHDMIで他の液晶画面で観られたが液晶一体画面はできなかった。ノートとデスクトップ併用で過ごしてきた日常から脱しきれず、デスクトップパソコンを買い求めた。かつてはデスクトップは10万以下で求められていたが知らぬ間に価格が高騰していた。

使いなれたデスクトップから最新の機器、慣れていたはずの機器の初期設定、セットアップに苦労した。業者に委託すると2万円以上かかるらしい。パソコン価格プラスセットアップ等の料金となれば相応の高価格。パソコン離れが急速に進んでいる一因かもしれない。

セットアップ、プリンター接続、ネット等が終わると旧機器のデータが必要だった。複数のパソコンと共有していたが全てではなかった。そこで使い物ならない壊れた液晶一体型パソコンからハードデスク取り出しをすることにした。

ノートと違って液晶一体型の解体は面倒だった。ノウハウがあるわけでもなく小さなプラスドライバー等で作業、大胆にバラし作業をこなし慎重にハードデスクを取り出した。データを移行のため近くの電気店にケーブルを求めにいったが、需要がほとんどないので取り扱っていないという。結局通販で1300円ほどで求めた。

宅急便で届くのを待ち配達されてきたコードを取り出した、ハードデスクと新しいデスクトップパソコンにつないだら即反応した。

今回壊れたデスクトップからハードデスクを取り出し、新しいパソコンへ移行などとは考えたこともなかったが実行してみたら比較的簡単にできた。旧機器からすべてのデータが必要なわけではない。必要最低限のデータは新機器に移行できた。そして取り出したハードデスクは外付けの機器として利用できることがわかった。 

2011年から愛用していたデスクトップ。1月新年早々からパニック。ノートパソコンは健在だったが、日常併用していたデスクトップパソコンが使えないことになると生活リズムに少なからず悪影響があった。「パソコンと解体」などと少し大げさな題名で振り返ってみた。30年にもなると悪戦苦闘してきた機種に思い出が重なる。

 

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2018 紅葉の栗駒山

2018年10月12日 | 地域

栗駒山は、紅葉狩りの名所として、全国的にに知られ紅葉が見事な奥羽山脈の中でも、とりわけ栗駒山が美しく日本一とも言われる、紅葉、黄葉、褐葉が同時に進み、緑葉との絶妙な組み合わせと配色にある。栗駒山の高度と緯度、気象条件は、多様な植生を同時に紅葉(紅葉、黄葉、褐葉)させ、昼夜の寒暖差が大きいことなど美しい紅葉になるための条件を満たしている。

稲刈りが終わった9月28日紅葉盛りの栗駒登山をした。この日の午前9時には300台駐車可能の須川温泉前東北はもとより関東ナンバーの自動車はほぼ満車状態。名残が原周辺は始まったばかり頂上はガスがかかって見えない。

昭和湖で休憩。大勢の登山客がいた。

昭和湖からの登り狭い階段状の登山道は登りと下りの人でごった返しの状況。前日の雨で階段状の登山道は水が音を立てて流れる。低木帯で見通しは悪くひたすら登る。紅葉目当ての登山者はごった返しの状況。10時過ぎになると下山客も多く狭い登山道は渋滞状況。高度を上げていくと数か所に視界が開ける。地獄谷から見えなかった栗駒山頂がみられた。波打つように見える山肌の見事な色彩が見事だった。

天狗平には多くの登山客が小休止していた。秣岳(天馬尾根)コースへ向かう人たちもいた。湯浜コースに人影はなかった。天狗平から頂上向かう風景は一変する。宮城県側は南斜面で紅葉の色合いは鮮やかに見えた。

天狗岩から天馬尾根方向を望む。少しガスがかかって来た。渋滞状況下で撮る一枚もなかなか苦労してしまう。立ち止ると歩行の流れが変わる。登山者と下山者がつながっている。

宮城県側の錦秋。

 イワカガミダイラから登ってきた人たちだろうか。ジット同じ視線で眺めている集団があった。見事な風景に言葉はいらない。

 

頂上に団体等100人近い。昼時とあって三々五々食事。12時半頃一転ガスに覆われ強い雨に襲われた。一瞬霰と間違えるほどの雨だった。頂上の登山者は一斉に下山の途についた。狭い登山道は雨の中登ってくる人もいてごった返しの状態。昭和湖では福島県郡山から朝5時出発、栗駒登山を企画した団体はこの雨で引き返すという。残念、残念と言いながらミーテングしていた。

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秋田駒ヶ岳の噴気活動と田沢湖

2017年09月20日 | 地域
9月15日秋田駒ケ岳に登った。登山開始の時間に丁度派遣された気象台の職員が観測を終えて下山してきた。テレビが待ち構えていた。8合目の駐車場には仙北市の消防車や県外からの登山者の車が10台ほどいた。焼森山を経由し横岳付近から女岳を望んだ。帽子が飛ばされるような強風、麓の天気とは打って変わって寒い状況だった。

写真は9月15日午後2時25分女岳の状況。紅葉の始まった駒ケ岳、田沢湖は神秘的な姿だった。噴気活動は強い風で山肌を下って見えた。下記は仙台管区気象台発表。火山性地震は16日以降終息に向かっている。

平成29年9月15日16時00分 
<噴火予報(噴火警戒レベル1、活火山であることに留意)が継続>
火山活動の状況
本日(15日)秋田駒ヶ岳で実施した現地調査の結果、女岳(めだけ)およびその周辺では噴気活動や地熱活動に特段の変化はありませんでした。秋田駒ヶ岳では昨日(14日)火山性地震を227回観測しました。昨日15時以降は少ない状況で経過しています。 本日は15時までに火山性地震を3回観測しました。

14日からの火山性地震の発生回数は以下のとおりです(速報値)。
14日 00時から24時 227回
15日 00時から15時 3回


直線距離で7~800ⅿ程。不気味さもかも出している。この場所に立っている自分の不思議さもあった。ある意味貴重な体験。この日は偶然な動機から遭遇でした。


旧火口が近くに見えた。後方の山は和賀山塊、真昼岳。


右側に田沢湖。雲の間からの陽の光で水面の色合いが刻々と変わって見えた。噴気活動とのコラボ。


「コミネカエデ」紅葉の始まった山の斜面と女岳、高温の噴気活動でかなりの場所の黒こげが強風で範囲が広がっていた。田沢湖が陽の光を浴びて輝いている。


下山中刻々と田沢湖の様子が変わって見えた。変わりようは何かしら火山活動と連動しているような感覚にもなった。幻想的な風景。

※9月15日のFB投稿に少し加筆した。
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稲川盆地 東西南北プラス1

2017年01月25日 | 地域
FB記事の2017年1月8日、15日をブログに持ってきた。稲川盆地 東西南北プラス1とは「赤とんぼ乾燥米 あきたこまち」の田んぼから四方の写真プラス1の風景。

2017年1月8日
七草も終わり、寒入り4日目は朝から快晴。積雪は20㎝ほど。寒からず快適な新年。2017年1月8日早朝、田んぼから四方の風景を収めてみた。
北の八面神社の木立は幻想の世界。南は高松岳と山伏岳。東は鍋釣山。西には雄長子内嶽と雌長子内嶽。南東に国見嶽、朝靄の集落は日の出の朝を迎えました。1日の始まりです。

東 麓集落というより川連町の東の象徴。地元では鍋釣山とは言わず字名から小坂山と呼んでいる。


西 雄長子内嶽、雌長子内嶽とも川連町、かつては大舘村そして川連村。今は湯沢市になってはいる。


南 朝靄の三梨、稲庭の背。奥宮嶽、高松嶽が一足早く目覚めた。


北 天空の森に見える。八面、三又神社等の杉木立。朝霧に霞む独特な姿。


東南 国見嶽、国見の名のつく山は全国的に多い。戦国時代が彷彿される。

1月15日
稲川盆地。今日の東西南北とプラス1。
雨で明けた新年、5日に15cm、11日12cm、12日28㎝、13日45cm、14日10cm、15日28cmの降雪、今朝はマイナス11度の気温、除雪機から飛び出す雪煙は勢いが良かった。屋根の雪は約80cm。日曜の今日は日中の降雪はほとんどない穏やかな一日になった。


東 杉に雪の風景、どっしりとした姿はいつみてもいい


西 稲川のマッターホルン。雄と雌と鎮座、ウーンとの想いがしばらくつづく。


南 奥宮嶽、高松嶽、山伏嶽今日は見えない。


北 駒形方面。八面、三又神社の森。かつて戊辰戦争の時は戦場となった。


南東 今日の國見嶽は山麓の杉軍団に守られ、どっしりとシベリア嵐に立ち向かっている。
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天声人語と赤トンボ

2016年09月29日 | 地域
2016年9月22日、朝日新聞「天声人語」は各地で絶滅の危機にある「ミヤマアカネ」の話題だった。

2016.9.22朝日新聞 天声人語

以下は天声人語全文
「俳優であり俳人でもあった渥美清さんに次の句がある。〈赤とんぼじっとしたまま明日どうする〉。詠んだのは63歳の秋。じっと動かないトンボに四角い顔を寄せ、何ごとかつぶやく名優の姿が目に浮かぶ▼先日、取材で訪ねた長崎県佐世保市で赤トンボをじっと観察した。県版レッドリストで絶滅危惧種に指定されたミヤマアカ。「深山茜(みやまあかね)」と漢字で書いても美しい。隣の佐賀県も含め生息数が減り、佐世保市では環境団体「ふるさと自然の会」が20年前から保存に努めてきた▼「休耕田が増え、苗にまく農薬が変わったのが急減の原因だと見ています」と川内野善治(かわちのよしはる)会長(68)。公務員として市役所で働くかたわら、地元の希少な動植物を調べてきた▼繁殖に欠かせないのは水の流れ。急流にはすめない。田でも水が漏れず農薬のよく効くところは向かない。最適なのは水がちょろちょろと流れ出る棚田とわかり、川内野さんは農家から棚田を借りた。食べるためではない。トンボを育てるためである▼会員の手を借りて田植え、ヒエ抜き、稲刈り、掛け干し、脱穀、精米。それでも、羽に白い印をつけて数えると、4年前に1622匹いたのが、今年は734匹どまり。「私らが棚田をやめたら県内ではもう絶滅が近い。責任は重大です」▼間近で見るとミヤマアカネはなかなか精悍(せいかん)である。お尻を太陽に向けてまっすぐ突き上げる姿など五輪の体操選手のようだ。実りの9月、棚田を歩きながらトンボと田んぼの行く末を案じた」。 引用

前回の「まぼろしの湿地と沼」で「ミヤマアカネ」のことを次のように書いた。

「日本で最も美しい赤トンボと言われる「ミヤマアカネ」(深山茜)が「ホソバオモダカ」に静止した。ミヤマアカネの特徴でもある翅の帯とピンクの縁紋(えんもん)がスッキリとしている。この縁紋は始めは白色で成長するとピンクに変わってくる。もう少し時間がたてば全体が鮮やかな赤色になる。日本の各地に生息していると云われるが、都道府県によっては絶滅が危惧されている」。極めて似たトンボ「ノシメトンボ」にはピンクの縁紋がない。長崎県は絶滅危惧Ⅰ類、東京都は絶滅危惧Ⅱ類。佐賀県、和歌山県等8県で準絶滅危惧類になっている。秋田県では全域で確認されている。

2016.9.6 湯沢市 まぼろしの湿原

赤トンボというトンボはいない。秋を代表するトンボをすべて赤トンボの名で呼ばれているが住宅や田んぼで見られるトンボの多くはノシメトンボ、アキアカネ、ナツアカネ等が主になっている。稲から一日で玄米に仕上がるコンバイン刈り乾燥機体系の作業と違って、昔ながらの自然乾燥で仕上げる「赤とんぼ乾燥米」作業は、赤トンボと少し会話ができるような錯覚に陥る。トンボの大きな目は個眼と呼ばれる小さな目が1~2万個も集まっての二つの複眼と三つの単眼持ち、視覚はほぼ360度。複眼でものの形、単眼で明るさを捉えられるといわれている。

7月に田んぼで羽化した「アキアカネ」は山に移動し、稲刈り時の田んぼに下りてくる。「ナツアカネハ」は山に行くことなく周辺にたむろしている。一斉に飛び交う赤トンボは「アキアカネ」と」「ナツアカネ」が交じっているのかもしれない。成熟するとアキアカネの雌よりも雄のほうが鮮やかな赤に変化し、山から下りてきた赤とんぼの仕事は子孫を残すことで、雌雄結合したまま行動する姿は壮観だ。

 アキアカネの交尾 引用

交尾後もしもオスとメスが離れ離れになると、メスは他のオスと交尾してしまう。後から交尾したオスは、メスの体の中から前に交尾したオスの精子を掻き出して捨てるなどして、自分の精子のみが受精できるようにするするといわれ、産卵まで同行しないと自分の子孫を残してもらえない。交尾の後、連結して移動産卵まするまで、オスはメスの頭部をしっかり捕まえて離れないようにしている。

 秋空を舞う連結のアカトンボ  2016.9.22 湯沢市川連町田屋面

そらいっぱいの雌雄連結の姿は交尾後ので産卵前の行動かもしれない。この光景は曇りよりも晴天の時に多く見られる。より好条件は雨上がりの後の日差しの時、稲の刈られた田んぼに水たまりができる。連結のトンボは一斉にこの水たまりに産卵を行う。

 産卵 2016.9.24 湯沢市川連町田屋面

産卵は連結のまま、水面の上を移動しながら上下にメスが腹部先端で叩き、数個づつ産み落とす。この行動は「アキアカネ」で、「ナツアカネハ」の産卵は連結しながら打空産卵と呼び、稲刈り前の稲穂の上から卵を振り落すといわれる。産卵数は個体差があっても1000粒以上、メスは数日後新たな卵が作られ別なオスと交尾産卵を繰り返すといわれている。

産卵の終わった後は連結を解き、単独行動になる。ほとんどが午前中で終える。午後の田んぼで連結のトンボはあまりいない。私の稲つくりはコンバイン刈りではなくバインダー刈り。刈った後の稲はハサがけになる。トンボは稲杭が大好きらしい。100mで立杭が約65本、2本の倒伏防止用のクロスの杭が約12箇所で24本。計90本。30aの田んぼに2列になるから稲杭の総数は約180本。稲杭を立てると間もなく赤トンボが居住権を宣言する。そしてこの場所を死守する行動に出る。先端に止まっているトンボをめがけて他のトンボがやってくると悉く追い払い静止する。

2016.9.24 支柱の赤トンボ 湯沢市川連町田屋面

今回稲刈り作業の中で多くの赤トンボをデジカメに収めた。朝日新聞の天声人語で「ミヤマアカネ」を取り上げた。赤トンボの中で「ミヤマアカネ」は一番美しいといわれている。「ミヤマアカネ」は9月の始め幻の湿原で出会ったばかりだった。朝日新聞の天声人語で珍しく赤トンボの記事、稲刈りの赤トンボとクロスした。この記事で知った俳優のトラさんこと「渥美清」氏が俳人だったことを初めて知る。俳号を「風天」そのまま、多くの句は尾崎放哉を彷彿させる。

赤とんぼじっとしたまま明日どうする 渥美清

アカトンボが受精後雄雌連結しながら産卵、連結を解いて稲杭に静止している姿を見ると「じっとしたまま明日はどうする」の句は言い得て妙に思える。複眼と単眼の五つの目をもち360度のほぼ見渡せる赤トンボには、じっとしていても次への行動は決まっているのかもしれない。それに比べて「、、、、明日はどうする」の呼びかけは、どこかピントのずれている世情に無関心を装う者への問いかけでは等と独り言をいって苦笑(にがわらい)。

陽が西の山に傾いても支柱の赤トンボはじっと動かない。
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まぼろしの湿地と沼

2016年09月08日 | 地域
「まぼろしの湿地と沼」、このタイトルは私の生活空間からの距離せいぜい40㌔の範囲の場所。幻とあえて呼ぶのは多くの人の出入りを制限した方が良いと思ったからだ。近年自然とふれ合う愛好者が増えてきている。増えるに従い一部にマナーに疑問がつく行為が多くなってきている。私が自然や山野草に興味を持つようになったのは「鶴田知也」氏との交流からだから50数年になる。酪農業からリタイヤし少し時間がとれるようになって山野草や軽い登山を楽しむようなってせいぜい10年、この分野では初心者でしかない。

近年各地に「農産物の直売所」が生まれた。新鮮さをキャッチフレーズに山菜や野菜の他に山野草も並ぶようになった。時々珍しい山野草が並ぶ。時々乱獲を彷彿される山野草に遭遇することがある。売店のレジに尋ねると地域の生産者が栽培していると答える。明らかに山採りをして栽培し、繁殖していることが想像される。中には種子から時間をかけて栽培繁殖している人もいるようだ。

「クマガイソウ」は秋田をはじめ全国的に絶滅危惧1類に指定されている。私の地区には昔から「クマガイソウ」(熊谷草)の群落があった。10数年ほど前、根こそぎ盗掘されてしまった。調べて見たら著名な人が混じったグループだったことを知り愕然とした思いがある。この盗掘された「クマガイソウ」は2年後近くの直売所に並んだ。他の直売所より安いことを宣伝したちまち売り切れたという。

この事件以来、山野草や湖沼は静かに見守ることにしている。今回の湿地も沼も多くの人には知られていない。歩道等整備し管理をしている湿原等各地にある。季節ごとの散策を楽しみにしている。管理が不十分な歩道の整備されていない湿地に多くの人が入り込むとたちまち踏み荒らされてしまうのを恐れる。

今回訪れた標高319ⅿの湿地には「サワギキョウ」(沢桔梗)が真っ盛りだった。ヨシに覆われて池塘の近くには黄色の花に交じって紅花と白花の「ミミカキグサ」(耳掻き草)が生えそろっていた。。

ミミカキグサ

日本では本州以南や、中国からマレーシア、オーストラリアに分布する。湿地の湿った地面か、ごく浅い水域に出現する。多くの都道府県でレッドリストに指定されている。秋田県では準絶滅危惧種に指定されている。長さが10㎝に満たない小さな植物で、花が咲いて初めて気づく。匍匐茎から泥や泥炭の中に地下茎をのばす。この地下茎と地上葉にも捕虫嚢をつけ、ミジンコなどのプランクトンを捕食する食虫植物。花が終わった後に果実を包むような姿が耳かきに似るのが名前の由来と云われている。

タヌキモとミヤマアカネ

池塘の水面から突き出して黄色の花があった。始めてみる植物だった。同行した雄勝野草の会鈴木房之助氏の調べで食虫植物の「タヌキモ」の名がわかった。根のように見える茎はフサフサでタヌキの尻尾ににていることから名がついたという。20㎝近いこんもりとした茎を水面に下げ浮遊している。この茎をくデジカメに収めることができなかったので下記のイラストで説明すると、大きさがまちまちだったが丸いのが捕虫嚢がある。ここからミジンコやカの幼虫のボウフラ、発生初期のオタマジャクシ等を捕獲するといわれ驚かせる。「タヌキモ」は牧野富太郎氏が明治33年(1900)に命名した植物。

 引用
  
日本で最も美しい赤トンボと言われる「ミヤマアカネ」(深山茜)が「ホソバオモダカ」に静止した。ミヤマアカネの特徴でもある翅の帯とピンクの縁紋(えんもん)がスッキリとしている。この縁紋は始めは白色で成長するとピンクに変わってくる。もう少し時間がたてば全体が鮮やかな赤色になる。日本の各地に生息していると云われるが、都道府県によっては絶滅が危惧されている。

ミヤマアカネ

この湿地には大小15ケ所の池塘がある。小さいのはタタミ半分位、大きくてもせいぜいタタミ4枚ほどの大きさ。その中でヒルムシロが面白い形、タタミ一枚ほどの広さ。

池塘のヒルムシロ 

この湿地から約20K離れた沼にむかった。初めての場所。両側から草に覆われて林道をひたすら走る。g00gleマップで調べた沼、数日前の大雨で林道で少々不安もあったが走っていたら忽然と沼が現れた。標高522ⅿ地点、面積は推定で1ha程だろうか。杉林の中の沼は集落や国道から離れ、物音ひとつしない神秘的な沼。

まぼろしの沼

約半分はヨシ等で覆われ一部に浮島のが見える。奥の方の杉林から入れそうに見えたがヤブだったので見合わせた。浮島よりの沼面に生えているのは「ジュンサイ」(蒪菜)と「ヒツジグサ」(羊草)だった。「ジュンサイ」は東南アジア、アフリカやアメリカ等に分布している。食用にしているのは中国と日本だそうだ。秋田県の郷土料理で三種町は生産量日本一として知られている。東京、埼玉、沖縄では絶滅したと云われている。浮島の足跡は誰かがジュンサイを取りにきたのかもしれない。

「ヒツジグサ」の名は、昔の未の刻(今の午後2時)に花が咲くことから名づけられたというが必ずしもそうでもないらしい。花は3日ほど咲いて、終わると花柄が曲がって水中にもぐり、実が熟されると敗れて種を出す。たねは空気を含んだ浮袋のような皮で包まれ、水面に浮き上がり移動し繁殖する。

ヒツジグサと波模様

浮島を歩くと静かに揺れる。ヨシに囲まれて「ウメバチソウ」(梅鉢草)が咲いていた。いつも見慣れた姿と違って茎が長く、花も小ぶりだった。側の「コバギボウシ」(小葉擬宝珠)の花は終りを告げていた。「ヒツジグサ」は照り付ける強い日差しの中で、沼面の小さな波に独特の表情があった。奥に回れば別の山野草が見られたかもしれない。

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「山の日」の一日 

2016年08月15日 | 地域
「山の日」は2014年平成26年)に制定され、2016年(平成28年)に施行された日本の国民の祝日の一つである。祝日法では、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としている。第一回「山の日」記念全国大会が長野県松本市で開かれた。

祝日として「海の日があって「山の日」がないのはおかしい等の意見は前々からあった。2013年4月に山岳関係者や自然保護団体等からの意見を受け、超党派110名の議員連盟「山の日制定議員連盟」(会長:衛藤征士郎)が設立された。当時9党のが祝日法の改正案を衆議院第186回国会に提出し、賛成多数で可決され、参議院本会議でも可決され2016年から8月11日が「山の日」となった。

休日のない「米と牛飼い」には「国民の祝日」にはほとんど無関係に過ごしてきた。近年とってつけたように祝日が増えてくるとますます関心が薄れてきていた。牛飼いから離れて数年になるが「祝日」の感は依然として鈍い。盆前の8月11日の祝日が「山の日」であることを知ったのはカレンダーからだった。

8月11日朝、某君が急遽「山の日」だから山に行こうと車で玄関前に来た。慌てて車に乗り込んで、「どこの山」と聞いたら「駒ケ岳」と云う。山菜やキノコ採りにしか山に関心のなかった某君が、「山の日」だから山に行こうと云うのだから「山の日」の祝日は効果大だったのかもしれない。総勢5人で出かけた。

アルパこまくさ登山バス停

6月~10月のマイカー規制中は、アルパこまくさ登山バス停で乗り換え、アスパこまくさには大駐車場は満杯状態。 アルパこまくさから羽後交通バス「駒ヶ岳線」八合目登山口まで25分かかる。バス切符売り場で聞くと平日の倍以上の出足と云う。

バスは満席

車のナンバーからほとんどが県外客らしい。初めての「山の日」制定で子ども達も多い。
バスの終点八合目の休憩所で昼食。標高1305ⅿ地点。緩やかな風もあって心地よい。某君等は登山歴はない。ひっきりなしに下山客がくる。登山準備はほとんどなしで8合目まで来たついでに、日窒の硫黄鉱山跡まで足を延ばした。いきなり見事な「ミヤマアキノキリンソウ」と色鮮やかな「アカモノ」と出会う。

ミヤマアキノキリンソウ (もしかしたらハンゴンソウ?)

アカモノ

しばらく歩くと薄紫のきれいな花「オクトリカブト」と「オニアザミ」。全部毒のトリカブトの妖艶な花。「オニアザミ」の花はアザ最大と云われているが、この「オニアザミ」は先月始めて目にした「ハチマンタイアザミ」より花は少し小さく見える。

オクトリカブト
オニアザミ

早朝から縦走してきたと云う人と、地元のボランティアの人と硫黄鉱山跡でしばし懇談。ここから頂上までの標高差は310ⅿ。8合目のバス停で下山する。アルパこまくさ登山バス停まで25分程。

時間も早く、その足で八幡平に向かう。八幡平アスピーテライン頂上駐車場は満車状態。さらに黒谷地湿原バス停に駐車して木道を通って黒谷地湿原に向かう。熊の泉で冷たい水をごちそうになり、黒谷地湿原展望台で休憩。途中「シロバナトウウチソウ」の赤花、「ウメバチソウ」そして見事な「エゾオヤマリンドウ」に遭遇。

ウメバチソウ
シロバナトウウチソウのベニバナ

花は白色で、ときに紅色を帯びると云う。名前がシロバナトウウチソウで紅花の呼び名、何か面白い。和名が白花唐打草、唐打とは「16本の糸で組んであり、各糸は二本浮き、二本沈む組織をしていて、芯糸のない組み目の細かい組み紐」とある。中国から来た絹糸の組紐からきた呼び名。

エゾオヤマリンドウ

登山人口は近年700万~800万人とも云われている。「山の日}制定で登山人口がさらに増えるのだろうか。今回偶然に「山の日」で駒ケ岳、八幡平の山の雰囲気を味わった。駒ケ岳8合目硫黄鉱山跡、標高1350ⅿ。八幡平黒谷地湿原、標高1445mを散策。山に関心のなかった某君、登山道でのすれ違い時のあいさつ、「こんにちは」が新鮮だったらしい。
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薪伐り 漆の大木

2016年04月29日 | 地域

今日は雨。連日1.5k離れた里山での薪伐り作業は休み。多くの人たちは雪が消える前に薪伐りを終え、すでに薪割も済ませて積んでいる。私の場合は例年の如く雪が無くなり、軽トラを横付しての作業となる。今年の薪伐りで大失敗をしてしまった。樹齢100年程の「漆」の木が枯れ、この冬の雪で倒れてしまったので雪消え早々、薪用に細断した。当地方は800年の伝統を誇る「漆器」の町、屋敷や山際等に「漆」の木が多かった。叔父が「漆」搔きをするのをよく見ていたし、地元に漆搔きをする人がいなくなると、岩手県の浄法寺から漆搔き職人がきて案内したこともあった。「うるしかぶれ」等は他人事に思っていた。

倒れた漆の木もかつて漆掻き職人が手をかけた木だった。枯れたと云っても漆の老木にも「ウルシオール」が残っていたらしい。見事にかぶれてしまった。「アレルギー性接触皮膚炎」と言うそうだ。「あきたこまち」の種まきは季節の仕事、うるしかぶれの状態での作業。約2週間でかぶれが引いたので残っていた薪伐り作業を再開し昨日まで終わる。今年の作業は100年ものの「漆の木」、80年のミズナラ3本、雪折れ杉3本となった。暖房用の薪は常に3年分の在庫を目途としている。伐った漆の木を運ぶのを少しためらっている。

枯れて倒れた漆の木 2016.4.10

「漆の木」の伐り口は黄色できれいな木だ。何かに活用できないか等と思ってみる。ウルシオールは乾いても無くならないのかはよくわからない。漆器の町では多くの人はウルシには負けない。免疫になっている。乾いた漆器で「うるしかぶれ」等はほとんどない。

2016.4.24 樹齢100年 ミズナラ 

ミズナラ 当地方にもナラ枯れが進んできた。昨年からこの木は生気が無かった。直径50㎝はある。ナラ枯れは樹齢40年過ぎの木がやられるという。我が家のミズナラは樹齢80~100年とみられる。約10アールの所に40本ほどある。ナラ枯れの浸食はすぐ目の前。すべて被害にあうとえらいことになってしまう。侵される前に倒した。100年近くこの林を見守ってきた木を切り倒すことに済まない気がした。ミズナラの実のドングリから二世を期待している。数本幼木が生えてきている。

ミズナラも老木になるとなかなか固い。チェンソーが唸った。重いので薪の長さに伐って金矢を使いオオハンマーでたたき割る。軽くして軽トラに積みこむ。周りでは心地よい野鳥の鳴き声。少し離れた場所で葉が開いたのはブナの木、他にヤマモミジ、ホウノキが立っている。低木はユキツバキ、ヤマツツジ、ヨウラク等。集落から直線距はせいぜい500ⅿ弱。この場所に来るとホットする。隣地の杉林は間伐作業が行き届いたので山野草が復活してきた。ホウチャクソウも出てきた。近くでトンビが死んでいた。キツネの仕業だろうか羽毛が散乱している。鳥インフルエンザと関係があるのだろうか。

2016.4.26 樹齢60年 杉

3年前の豪雪の被害木。樹齢60年にもなる。平成4年から2回の間伐で残っていた杉の木だった。

2016.4.28 自宅に集積

自宅に運んだ杉、ミズナラの木の一部。山にまだミズナラと漆の木が残っている。木割作業は田植作業が終わっても続く。使用は3年後の予定だから気が向いた時やればいい。気ままな作業、時間はタップリある。


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集団のスズメ達

2016年03月23日 | 地域
過去スズメの事を3回ほど記事にした。2013.12.21「野鳥もスズメも消えた庭」、2014.7.29「帰ってきたスズメとサンチェクアリもどき」、2015.1.8「雪の足跡とスズメ」と続いた。

2013年12月は11年、12年と3年続きの豪雪、毎日のように容赦なく降り続く雪の合間に部屋の外の庭木にたった一羽姿を見せたスズメはほとんど見ることはなかった。農業情報研究所06.4.21「ヨーロッパからスズメが消える?人間は何を失いつつあるのだろうか?」の記事を保管していたので2013.12.21「野鳥もスズメも消えた庭」に引用させてもらった。

一部は「イギリスからイエスズメの姿が消えつつあることは早くから知られていたが、フランスの鳥類学者の研究でパリやその他のフランスの都市でもその数が急減していることが分かった。さらに、ドイツ、チェコ、ベルギー、オランダ、イタリア、フィンランドの都市ではもっと急速な減少が見られるという。しかし、原因は分からない。英国のインディペンデント紙が伝えた」。詳細は2013.12.21「野鳥もスズメも消えた庭」。

3月15日FBに
「2年程前、自宅周辺から消えたスズメに違和感を覚え、米の消費拡大?も考慮して餌箱を設置した。朝除雪のために外に出ると集団でスズメが待っている。昨年より倍近くスズメが増えてきた量も多く「あきたこまち」特Bを毎日与えている。小さな餌箱が狭いので順番待ちで交代しながら啄んでいる」。を紹介した。これはその記事に加筆したものだ。

朝除雪の終わりを待っているスズメ

平成14年以降、朝家を出ると餌箱にクズ米を与える習慣になった。毎日続けていると数羽のスズメが近くの電線に止まり待っているようになった。平成16年の冬はいつもより羽数が多くなってきた。多いときのスズメは数えてみたら70羽もいた。餌箱は小さいのでどう見ても一度にクズ米にありつけるのは10~15羽ほどだ。

順番待ち状態

集団で来るのでスズメは順番待ちをする。餌箱の近くの屋根、庇とスズメが並んで順番を待っている。ある種のルールが確立されているようだ。見ていると絶えず餌箱から入れ替わる。



いつも植木囲いの杭の上で一羽、監視役だろうか。スズメの集団は短時間でどこかへ飛び立っていく。数羽が残ってクズ米を漁るなどとはしない。特にこの頃はいつも年より雪消えが進みエサ場が増えたのか間隔が長くなってきた。餌箱に来るのは決まって集団で来る。この冬はスズメの数が増えてきたので以前よりクズ米の与える量は多くなった。一日の量は約500グラムほど。夕方まで数回の集団で来てほとんど食べつくしてしまう。

彼岸の中日(3月20日)、びっくりする光景を目にした。100~150羽程のスズメの集団が賑やかに屋根越しに飛んでいく。それも次々と3集団、さらに1集団は隣家の槻の木にいた。どう見ても総数は5、600羽も通過したことになる。残念なことに素早い通過でカメラに収めることはできなかったが槻の木の集団の一部は撮れた。



スズメが急激に増えたのはどうしてだろう。2013年の冬はほとんど目にすることはなかった。
牛を飼っていた10年ほど前は良くスズメ達は牛舎に来ていた。牛飼いを止め、牛舎を解体したころからスズメを目にしなくなった。そのころ農業情報研究所の記事(06.4.21)「ヨーロッパからスズメが消える?人間は何を失いつつあるのだろうか?」を出会い記事を保存していた。その後の調で日本でのスズメの個体数は1960年代の10分の1、1800万羽と環境省の発表(2010.4)を知る。

これらの記事に出会ってから餌箱設置を試みてきた。この冬いつもの年の数倍になったスズメ。一昨日の5、600羽程の集団飛行は一体何だったろうか。このまま定着するのか今の処わからない。もしかしたらスズメではなく、冬鳥として秋にシベリア方面からきた渡リ鳥の「アトリ」だったかもしれない。良く考えてみれば急に5.600羽も増えることなどはあり得ない。あの日かぎりの一日の出来事、偶然通過した渡り鳥の集団飛行をスズメと間違えたことになる。
結果渡り鳥「アトリ」を知ることになった。

註 2013.12.21「野鳥もスズメも消えた庭」から「英国のインディペンデント紙」の記事全文

「イギリスからイエスズメの姿が消えつつあることは早くから知られていたが、フランスの鳥類学者の研究でパリやその他のフランスの都市でもその数が急減していることが分かった。さらに、ドイツ、チェコ、ベルギー、オランダ、イタリア、フィンランドの都市ではもっと急速な減少が見られるという。しかし、原因は分からない。英国のインディペンデント紙が伝えた。 First they disappeared from Britain. Now Europe's house sparrows have vanished,Independent,4.19
 http://news.independent.co.uk/environment/article358584.ece

イギリスのイエスズメの数はこの15年で90%減ったと信じられている。その理由については、多くの説があるがはっきりしていない。この17年で20万ー多分、10分の1ーのイエスズメが消えたパリの謎は特に深い。ここでは、様々なエキゾチックな鳥が増えているという。

自然史博物館の研究者は、何らかの病気のためなのか、生息地が減ったためなのかなどと答えを探している。 鳥類学者は、他の鳥の数と種の増加が営巣の場所と餌を食べる機会を減らし、また建築規制の強化が巣作りに利用する割れ目を閉じてしまったのではないかと言う。さらに、パリにおける猫が増加しており、その餌食になる鳥が増えている可能性もある、また移動電話からの電波とか、車による汚染のせいではないかと言う人もいる。しかし、それでは何故スズメだけが影響を受け、他の鳥に影響がないのか説明できない。

同様なパターンはヨーロッパ全体でも見られ、ハンブルグでは過去30年に50%のイエスズメが消えた、プラハでは60%も減ったという。
イギリスでは、他の鳥による駆逐、農薬、気候変動、家屋の改善など、原因をめぐる多くの説がある。デュ・モンフォート大学の研究は、昆虫の減少がスズメの飢えにつながっていることを示唆している。この影響はパリやヨーロッパ中で見られるという。

いずれにせよ、人々の住居近くで長年にわたり人間と共存してきたスズメのこのような減少は、我々の住居環境に馴染みのない、あるいは不気味な雰囲気をもたらす。数年前にフランスの山間地を訪れたとき、鳥の姿が滅多に見えず(目立つのは教会広場の鳩ばかり)、その囀りも ほとんど聞こえない(気づいたのは非常に辺鄙な山奥の1ヵ所=コンクにおいてだけだった)のに異様な感じを覚えた。こころなしか、東京郊外のわが家の周辺のスズメも大きく減っているように思われる。大樹の葉陰のスズメの大集団のうるさいほどの大合唱も、近頃聞いたことがない。

フランスの鳥類保護団体会長は、スズメ(moineau)が英国のスズメ(sparrow)と同じ運命を辿るのではないかと恐れている。「すべてのシグナルは赤だ。イエスズメは1万年ものあいだ人間と共生してきた大変に象徴的な鳥だ。アオガラのように魅力的ではないが、生物多様性のために生き残る権利がある」と言う。しかし、スズメの減少が持つ意味はこれだけでは説明できそうにない。人間とスズメの共生にはどんな意味があったのだろうか。原因は分からないが、人間はかけがえのない何かを失いつつあるようだ」 
農業情報研究所06.4.21(引用)
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