雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

山手線一周 5回 目白〜新宿

2024-10-16 21:08:49 | 山手線一周 ウォーク

10月6日

山手線1周の旅 5回目
目白から新宿まで歩いてきました

山手線1周の旅と言っても山手線の路線沿いに
歩くわけではありません

山手線周囲の歴史探訪ウオークですから
周辺を歩きながら目的の駅に向かいます

この日は目白駅に集合
高田馬場、新大久保周辺を歩きなが
ゴールの新宿駅に向かいます

9:30 目白駅集合

金乗院(目白不動尊)
江戸城鎮護のため江戸城の四方に不動明王像を配置したそうで
目黒・目白・目赤・目青の4つの不動尊に
家光が目黄不動尊を加え5つの不動尊になったそうです

五色は目にあるのではなく
東西南北中央の五方向を示しているそうです

目赤不動産は文京区を歩いた時
お参りしましたが
残る目黒・目青・目黄不動尊は山手線沿いにあるのかな

 


南蔵院
室町時代開山の古いお寺です
3代将軍家光が度々訪れていたという
記録があるそうです
明治時代、三遊亭圓朝創作の怪談
「乳房榎」ゆかりの地との事
 


山吹の里の碑
ここ当たり一帯は太田道灌の「山吹伝説」にちなんで
「山吹の里」と言われています
 
山吹伝説
太田道灌が狩に出掛けたところ、雨が降って来たので
近くの農家に雨具である蓑を貸してほしいといったところ
中から出て来た乙女が山吹の花を1輪差し出したそうです
道潅は意味が分からず
怒って帰り家臣にその話をしたら
「七重八重 花は咲けども 山吹の 
       みのひとつだに なきぞかなしき」
っていゆ後醍醐天皇の王子が詠んだ和歌を知らされ
 
その娘は蓑一つもない貧しさを
山吹の花にたとえたのではないかとわかったそうで
道潅は我が身の無学を恥じて
歌道に精進し教養豊かな名将になったんだって・・・
 
この伝説、鼻高で父ちゃんに説明してやったら
「八重の山吹ってのは実をつけないんだよ
その花に合わせて自分の家には実(蓑)ひとつない・・・って
謳っているんだ」・・・と教えてくれました
 
ふぉえ~~
そうなんだぁ~~
父ちゃん、意外と物知りじゃん
八重の山吹は実をつけないんだね
 


甘泉園公園
当地の湧水が清らかで涸れることがなく
味もまろやかでお茶に適していることから
この園の名になっている
徳川御三家、清水家の下屋敷があった所


堀部安兵衛碑
この人、赤穂浪士のイメージが強いけど
なぜにここに石碑が・・・
この人はもともとは赤穂の人ではなく
高田馬場の決闘で名をはせて
赤穂浅野家の家臣、堀部金丸の養子に
なったそうです
 
高田馬場の決闘って・・・なに
超~~簡単に言うと
家臣同士の決闘があったんだけど
力の差があった決闘で
安兵が力の弱い方の助太刀をして
「18人切り」をしたと有名になったみたい
 
講師の先生の話によると
この話は後からつくられた話で
実際には3人くらいしか切ってないって言ってた
 


高田馬場跡
神田川沿いの低地に比べると高台にあった馬場なので
「高台にある馬場」に由来する地名
馬術の練習や弓道の練習場に使われていた
 


神田上水大洗堰
水を堰き止め取水し、江戸の上水道に繋いだ堰が設けられていた
 

今は堰のあとを
まったくうかがうことはできませんでしたけど
レプリカが作られていてちょこっと想像することが
できます
お昼ご飯
この日のお昼はリーガロイヤル東京
なにリンガーハット・・・
長崎ちゃんぽんかい・・・って
田舎者のおばちゃんは思ってましたが
ホテルだった笑笑
 

ビュッフェ料理でしたが
豪華な雰囲気での食事・・・
美味かったわぁ~~


早稲田大学
午後は早稲田大学見学
大隈重信が、次世代の指導者の育成を目的に作った
東京専門学校が前身
 
明治35年早稲田大学と改称
 
 
大隈記念講堂
大隈重信が
「人間は摂生すれば125歳まで生きられる」と
唱えていたことにちなんで
時計塔の高さは125尺(約38m)との事
 
大隈さんご本人は摂生して125歳まで生きたかというと
そこまで生きられなかったようで83歳で
亡くなっています
それでも昔の人にしては、長生きよね
 


演劇博物館
坪内逍遥博士が古稀になった時
半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が
完成したのを記念して建てられたそうです
演劇の歴史あれこれが展示されていました
 
花子の母校なんで
この博物館を知っているかラインで
聞いてみたところ
建物は知っているけど、入ったことないって・・・
おりゃ~~
入ったことないんかい
母はツアーで来とるんじゃ~~
 
学生たちは、自分の学部のある校舎にしか
入らないんでしょうかね
もったいないなぁ~~
 


坪内逍遥先生の銅像
明治から昭和にかけて
演劇・文学・舞踊・児童劇・美術・教育など
多方面の業績を残した人なんだって
 
この銅像の坪内先生と握手すると
早稲田大学に入学できるとのジンクスから
受験生が皆さん握手をするそうで
この銅像の先生のお手手光ってましたわ
 
わたいはこれから受験する予定は
ありませんがボケ防止で握手してきた・・・って
なんじゃい・・・
 
 
夏目漱石誕生の碑
食堂の前にあって、メニューが写らないように
写真撮るの大変でした
今は多くの人が行きかうにぎやかな所でした
 
 
穴八幡神社
1062年 源義家が奥州からの凱旋の途中
この地に兜と太刀を納め八幡神を祀った
 
庵を作るため南側の山裾を切り開いているとき
横穴が見つかりそこから金銅の御神像が出てきてから
穴八幡宮と称するようになったそうです
 

放生寺
穴八幡宮の隣に別当の放生寺
 


戸山公園(箱根山)
江戸時代は尾張徳川の下屋敷「戸山荘」
 
明治以降は陸軍用地として
戦後は国有地となり
集合住宅や都立戸山公園になっている
 
花子が学生時代
友達と過ごしたり、
学業にいきずまった時
この公園で過ごし
癒されていたようです
 
娘がお世話になりました
この日も学生さんたちが集まっていました
 
 
抜弁天
境内を南北に通り抜けることができるので
通称、抜け弁天
私達も南北に通り抜けてきました
 


市ヶ谷刑務所&監獄跡
市ヶ谷刑務所と市ヶ谷監獄が並存したいたので
刑務所通りと呼ばれていたそうです
 
今は石碑が建つのみ
 
 
花園神社
この地域の総鎮守
 


新宿ゴールデン街
新宿区歌舞伎町1丁目にある飲食店街
聞いたことあるけど
こんなところだったのね
小さなスナックなどが
たくさん並んでた・・・
 
作家や映画・演劇の関係者が通うらしいけど
今もそうなんかねぇ~~
ドアの開いてるお店あってちょこっと
中が見えたけど
椅子が5つくらいしかない
激狭空間だったよ
 
 
ゴールデン街を抜けて歌舞伎町に出て来たぁ~~
世界に誇る日本のゴジラが見えて来たぁ~~
 


そんで、ただいまの人気者は
こちら・・・らしい
皆さん、カメラを向けていましたよ
 
猫ちゃんが飛び出してきそうでした
 

ゴール新宿駅
この日のゴール・・・です
人が多い・・・
田舎ものは人酔いしてしまいました
 


この日は目白駅をスタートし
高田馬場・新大久保と山手線では2駅
進みました
 
 


 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
コメント (2)
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