中山道・甲州街道でお世話になった
旅行社の講師が個人で計画を立てた街歩きを
時折、計画をして,案内してくれます
アルバイト的な・・・
副収入を得るため・・・とか
よくわからんけど
旅行社よりお安い案内料で街歩きを案内してくれるんですわ
少し前までは
玉川上水を歩く・・・ってツアーを6回くらいで
案内してましたが.
玉川上水あまり興味なかったので
1度も参加しなかった
今回、吉原旧跡を歩くツアーの案内がありました
今、大河ドラマで吉原が描かれているので
今回は参加してみました
2月18日 JR浅草橋駅 9:30分集合
このツアー
予約とかないのよ
指定の集合居場所に行くだけです
浅草橋 9:30分集合
浅草から離れていますが、浅草観音につながる道ということから
なずけられているそうです
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柳橋
吉原が日本橋から浅草山谷に移転してから
ここ柳橋から船を使って山谷堀に向かい吉原に行く客が
増えたそうです
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そのため柳橋付近には料亭や芸者が集まるようになったそうです
今は芸者もいなくなり料亭はすべて閉店しているそうです
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ここから船に乗って、日本堤まで行って
船を降り歩いて吉原まで行ったそうです
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今は、屋形船に乗って、楽しめるようです
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駒形堂
623年、隅田川の漁の網に観音様が掛かり、その観音様を
最初に祀らてた所
今は、浅草寺に祀られている
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台東区区民会館
9階に大河ドラマ館がオープンされています
大河ドラマの舞台になると
ドラマ館必ずオープンするよね
群馬の花燃ゆの時
深谷の青天をつけの時のドラマ館・・・
見に行きました
この日はここは見学しませんでした
来年1月までオープンしてるみたいだから
また来てみよう
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馬道通り
吉原への道はいくつかあったようで
柳橋から船に乗るのが粋とされていた様ですが
馬に乗ることを許されていた武士は
馬に乗って、この道を通り吉原に行ったそうです
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浅草猿若町
歌舞伎は今は国から大切に守られていますが
江戸時代は質素倹約の時代
煌びやかで、夜遅くまで派手に営業する歌舞伎は
幕府から疎まれていたようで
江戸の中心地から離れたこの地
猿若町に置かれたようです
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江戸三座 中村座跡
猿若町で幕府に公認された
中村座・市村座・河原崎座が江戸三座と言われていました
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待乳山聖天 (まつちやましょうてん)
浅草寺一山支院の一つ
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境内各所に印されている巾着と大根
巾着は財宝を表し商売繁盛・自業繁栄
大根は迷いの心や怒りの心を抑えてくれるそうで
心身の健康・良縁・夫婦仲よくにご加護があるそうです
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本堂
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本堂にも大根と巾着が・・・
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講師の先生が大根を準備してくれました
自分で求めなくては、ご利益がないような気がしますが
準備してくれたので本堂にお供えしました
本堂内撮影禁止でしたが
ものすごい量の大根がお供えしてありました
供えられた大根は時折
下げられて、境内に置かれ
おさがり大根と言って
持ち帰ってもよいそうです
この日は数本のおさがり大根がありましたが
電車で持ちかえることを思い
いただきませんでした
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江戸湊が埋め立てられる前は江戸湊が・・・
埋め立てられてからは
隅田川を望む景勝地・・・でした
今はスカイツリーがよく見えました
ここは、日光街道を歩いた時
立ち寄りましたが、
街道歩きの時は
先を急いでいたので
本堂まで入りませんでした。
今回はお詣り出来てよかったです。
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三谷堀
江戸時代隅田川の氾濫を防ぐため
造られた水路
堀には9つ橋が架かっていたそうです
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今は埋め立てられています
なんとなく水の感じの舗装がされています
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公園内に船のレプリカがありました
柳橋から、この山谷堀を船に乗って吉原に向かったようです
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正法時
蔦屋重三郎墓所
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震災や戦災で蔦屋重三郎一族の当初の墓地はない
納骨堂にこの寺の他の方々の遺骨と一緒に収められています
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現在の墓碑は昔の資料を基に復刻されたもの
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蔦屋重三郎って歴史の教科書とかに出てないからさぁ~
なんか、この人の墓参りしてる気になってしまった
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日本堤
隅田川の水害を防ぐため、
1621年に待乳山を崩して、堤防を築いたもの。
約2キロ、高さ、約3メートル、
江戸時代堤の上は吉原へ向かう客のメインストリートであり露店などもあった
昭和2年に崩され道路になっている
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吉原
吉原という地名は、今はなく
この信号だけが、その名前を残している様です
昔も今も吉原の賑やかさを
通りから見る事は出来ません。
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次回のこのツアーは
ここ、大門から吉原のなかを、案内してくれる様です。
ちょっと、個人では、行きにくいからねぇ
ツアーなら、行けそうな気がする
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あしたのジョー像
ジョーの故郷は山谷のドヤ街・・・
地元活性化のために建てられたそうです
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浄閑寺(じょうかんじ)
投げ込み寺と呼ばれるようになったのは、
幕末の安政大地震の際、亡くなった遊女達が寺に投げ込まれたと伝わっているから
大河ドラマでは、遊女達が裸体で投げ込まれているように描かれていましたが
最近の研究では、裸体で投げ込まれるのは、何か罪を犯して、死んだ遊女の可能性が高いようです
先生から配られた資料のコピペです
山門は江戸時代に建てられたもので
荒川区最古の木造建築
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山門横のお地蔵さん 小夜衣(さよぎぬ)供養地蔵
遊女が店の女主人に放火の罪を着せられて火あぶりになったそうで
以後、その店は度々火災を起こしつぶれたそうです
そこで、吉原の方々が小夜衣さんの供養をしたところ
火事が起こらなくなったんだって・・・
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いのこ塚
吉原大門の所で災害除けのためイノシシを飼ってたんだって
このイノシシの死後、供養のため建てられたそうで
この淨閑寺は昭和59年まで
震災でも戦災でも火事の被害に遭わなかったんだってよ
ふぇ~~
イノシシって災害除けになるんだぁ~~
じゃ・・・
我が家・・・大丈夫やん
わたいがイノシシだから・・・
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新比翼塚
心中した遊女と客を供養するために碑が建てられている
永井荷風は、この碑にひかれて淨閑寺に来ているそうです
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新吉原供養塔
現在の塔は、昭和4年8月に1793年以来の供養塚を回収し、
名も新吉原総霊塔としたものです
新吉原創業から廃業まで、
江戸・明治・大正・昭和と384年に淨閑寺に葬られた遊女・遊女の子など
安政・大正の大震災で死んだものを含めた推定数は25,000人の方々が葬られています
資料のコピペです
浄閑寺の本堂のほぼ裏手に、大きな供養塔がありました
ブログに載せようと供養塔の写真を撮りました
写真を撮ってしまった後に
講師の先生がこの供養塔をお参りすると体調が悪くなる方がいらっしゃいます。
特に男性に多いようです
お写真は自己判断で撮ってくださいとの案内がありました。
ふえ~~
撮ってしまったわぁ~~
即行、削除・削除しました
供養等の側面に1カ所だけ中が見られるところがありました
柵があるだけで、供養塔の中を見ることができます
ちょっと覗いてみました
暗くて、少ししか見られなかったけど
たくさんの骨壺が階段みたいな所に並べられて
いました
江戸時代に火葬は無いので、
この骨壺は明治以降の遊女の方々なのかなぁ~~
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供養塔の写真は削除しましたが
供養塔の下のほうに刻まれていた川柳の写真は残しました
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」
この日のツアーは午前中だけです
浄閑寺の見学で終了となりました
ランチは都内住みの友達と上野で待ち合わせをし、
おしゃべりをして帰ってきました。
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次回は吉原大門より吉原の中を案内してくれると言うことです
吉原は、建物は変わっているけれど
区画は、ほぼ残っているそうで、区画周囲を囲っていた
お歯黒ドブの名残などをたどるそうで
楽しみです
帰宅後、頭が重たいんさねぇ痛いんよ
これは新吉原供養等の写真を撮ってしまったからか
遊女の怒りを買ってしまったか
少々不安になり
頭痛薬を飲んで休んだ次第です
翌朝には回復しましたので、ただの疲れかと思います
講師の先生は、このコースを2度ほど下見をしたそうですが
2回ともアイフォンの充電が切れてしまったそうです
なんだかんだでそこそこ幸せなわたいは
吉原遊女の方々の
恨みを買ってしまったかと
少々不安になりました
わたいは今
苦界で生活していないことに感謝
いろいろ不足の思をしてはいけません
感謝・感謝