今、自宅で金魚を飼っている人はそんなに多くないと思うのだが?どうでしょう。
幼いころの下町では、金魚売りが夏の街の風物詩だった。
物心ついたころから金魚は家族の一員で、金魚鉢の中を毎日覗いていた。
愛想もないし、目に見えて大きく成長するわけではない金魚、
でも家族だった。
水道水を汲み置きして、日向に出して塩素を抜くのは子供の仕事だった。
縁日でゲットしてきた新入りがだんだん増え、金魚鉢が水槽に変化したり、
餌も、栄養素が含まれたものに変わったりと、それなりに変革もしていたようだが、
金魚のいた生活は、代り映えのしない、逆にいえば平和な毎日だった。
金魚たちは金魚たちで、私たち家族の暮らしを毎日水槽の中から見ていたのだろう。
「平凡」であるという事が「幸せ」と思えるようになったのは結構な大人になってから、
私の中で「あかいべべ着たかわいい金魚」は今でも「平凡な幸せ」の象徴なのです。