仕事というものの不思議をいつも思う。
幼いころからのあこがれの仕事に就いて、つつがなく一生を終える人もいる。反対に紆余曲折を経て、50代や60代で作家デビューやカフェをオープンする人もいる。人生の夢にトライするのに年齢は関係というわけだ。
鎌倉の山の上の借家の一室で「鎌倉今村」の仕事は生まれた。冬だった、子育ての真っ最中だった。バブルがはじけ、夫の仕事も行き詰っていた。家の中で心華やぐものなんて何もなく,唯一、結婚の時、母が持たせてくれた着物をながめている時、つかの間の幸せを味わっていた。
『専業主婦の私が、もうこんなもの着る生活なんて来ないかもしれない』と思った。本当にそう思った。
何げなく、少し派手になった着物の袖をはずし、手縫いで巾着や袋物を作った。とても可愛いものが出来た。プレゼントにも使おうと軽い気持ちだった。
その頃、娘の通う幼稚園のママ友の中で、いつも手編みのセーターや、お手製の洋服を着ている人が2人いた。その人達のその「洋服周り」の、既製品にはない自由さと温もりに、私は心惹かれるものがあった。
話をするうち、二人とも大学でデザインを勉強したり、洋裁学校に通っていたという。私はすかさず「これ仕事にしたらいいじゃない」と言った。
「何言ってるの今村さん、仕事なんかあるわけないじゃない」と言うではないですか。
それを聞いた私はすかさず「そんなことないわ、私が仕事にするから!」と、即答してしまったのです。何と早計な・・・、
これが、苦節22年の「鎌倉今村」の始まりです。