鎌倉徒然草

鎌倉に住んで25年。四季折々の自然を楽しみながら、オリジナルの和雑貨の企画、製造、販売を展開しています。

景気の回復は?

2022年02月16日 | 日記
厳しい厳しい2月です。いや1月もですが「ニッパチ」の2月。

浅草の知人に電話して「少しは景気はよくなった?」と聞いたら「とんでもない状況よ」と返事が返ってきた。彼女は親から譲り受けた飲食のお店を商っている。お正月がチョットだけ盛り返し、月末からこの2月に入ってひどいことになっていると。(あくまで彼女の意見です)

「浅草キッド」人気もあって、人出も上向きになっているものと思っていた。そうはいかなかったようだ。私のふるさと浅草、離れていても気になるのです。

「大河が人気で鎌倉すごいでしょ、いいわね」と言われ返事が出来なかった。そうなんですね「鎌倉殿の13人」盛り上がってきています。

3月1日、鶴岡八幡宮の鎌倉文華館に「大河ドラマ館」もオープンします。「鎌倉殿の13人」の世界観が楽しめること間違いなしです。

少しずつご案内させて頂きます、どうぞよろしくお願いいたします。

「大河ドラマ館」3月1日オープンです!

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焼き芋

2022年02月15日 | 日記
小学2、3年生頃だったと思う。歳の近い、いとこと国分寺の叔母の家に泊まったことがある。

叔母は子供たちにピアノを教えていると母から聞いていた。駅からそれほど遠くないところにあった家の周りは、はまだまだ緑の多い、田園風景だったと記憶している。

その叔母の家は、下町の我が家とはあまりにもかけ離れた佇まいで驚いた。

ステンドグラスを設った玄関ドア、マントルピース、見たこともない美しい小花をあしらったカップ。夥しい数のレコード盤。美しい黒髪を揺らしながら引いてくれたピアノは、ショパンだったかリストだったか?

叔母は30代半ば、とても美しい人だった。叔母は「クミちゃん」「エミちゃん」と少し甲高い声で2人を呼び、ホットケーキやカップケーキを焼いてくれた。

「いつもはこんなことしないのよ、子供もいないし」といった。

広い落ち葉をかき集め焼き芋も作ってくれた。「冬のおやつは、やっぱりこれが1番ね」と、真っ黒に焼きあがったお芋を火の中から転がし、2つに割って差し出してくれた。

「アッチアッチ!」と大騒ぎしながら頬張った2人。叔母はにこにこと二人を見ていた。その笑顔は、下町の街並みにもとても似合いそうだと思った。

「国分寺の叔母さんがなくなったの」いとこからの、その知らせを受けたのは私だった。少しの沈黙。黒い電話機の向こうで、2人が思い描いたのはあの焼き芋・・・、きっとそうだ。私たちは社会人になっていた。

1度も結婚することもなく、1度も国分寺の町から出ることもなく、妻子ある人との長い恋の真相も、とうとう語ることなく「国分寺の叔母さん」は、少しだけ病んで、生涯を閉じた。
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本を読む日

2022年02月13日 | 日記
こんな冷たい雨の日曜日は、暖房の効いた部屋にごろりとなって1日中本を読んでいたい。

朝方〒に行って(お休みだからポストに投函)カルディーでコーヒーを買ってさっさと帰宅。2時間だけ布の整理をして今日は、後は休日とすることにした。

休みがない、いや、とらなければないわけで、そんなことは自慢にならない。

「星々の船」で直木賞を取った村山由香の「キスまでの距離」を読む。この本は長ーいシリーズになっていて、若い男女の恋の、じれったい成り行きに目が離せないで、はまってしまった1冊です。

「恋」か・・・、誰かに守られたいと、それだけを強く願った10代、届かない思いに打ちひしがれたリ、泣いたリ、ヒリヒリするような熱い思いにスポイルされ、只々相手の電話を膝を抱えて待ち続けた日々・・・、思い出すと、どの私もいとおしい。

経験がすべてではないでしょうが、そんな心のありようを文字にして、人物に血肉を与え物語にする作家の生業、すごいなーといつも思うのです。

村山由佳、島本理生、乃南アサ,唯川恵、辻村深月、読みたい本がありすぎて困ってます。

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青空

2022年02月12日 | 日記
大雪警報とやらが出た朝、雨戸を開けたら、ピカピカの青空でした。

それはそれでよかったのです。

雪を連れてくる空気がありますね。寒さの中にもピリリとした粒子の細かい寒気、みたいなものが。

今夜もそんな気配がしました。(20時ですが)

明後日がまた雪模様ですか、受験生は大変です。

受験の思い出・・・、あまり思い出したくないです。

こんな年になっても、白紙の答案用紙の夢見ることあります。

また、私の問題用紙だけびっしりと問題が書いてあったり、筆記用具を忘れたり、もう勘弁してと言いたいです。

でも今になつて思うのは、もっとしっかり一つのことに取り組みたかったなーと。時間は有り余っていたのに。社会人になったら中々勉強できないですね、いや、心がけ次第かも。

社会人入学をして、40代、50代で院に通う人もいます。

やっぱり、心がけ次第です。

                                                                                  
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安井かずみ

2022年02月11日 | 日記
昭和歌謡のことを書いたブログを読んでくれた友人から苦言が。

「あなたのセレクトはあまりにも古い」と言われた。しょうがないでしょう、すりこまれているから・・・、とかなんとか云っている内、蘇った感覚が。

「恋のしずく」「おしゃべりな真珠」「何も言わないで」「歌おしえて」等々、大好きな曲の作詞者、安井かずみの顔が、美しいその姿が生き生きと思い出されたのだ。

ファッションはもちろん、そのライフスタイルにもあこがれ、わたしの20代30代には女神のような存在でした。惜しくも50代で亡くなられてしまいました。あの頃、恋する若い女性の心の機微を、まるで代弁者のように差し出してくれた、届けてくれた唄の数々。

昭和歌謡というより、キラキラした昭和ポップスの素敵なたくさんの歌に巡り合えたしあわせな時間、宝物です。(なんと4000曲を作詞している)

そう言えば「安井かずみがいた時代」というタイトルの本がありました。生い立ちから、詩作の苦労、結婚生活のあれこれ、こだわりのファッションの話、伝説のイタリアン、六本木の「キャンティ」のメニューまで、丸ごと安井かずみの1冊です。実家の書架にあると思います。

キャンティにも何度か足を運んだ。表通りに面した小さなブティックには、ヨーロッパ直輸入の見たこともない美しいオーガンジーのブラウスや、バッグがチョコット並んでいて、ガラスにおでこを付けていつも覗いていた。覗いていただけ・・・。

六本木から飯倉、霞町、青山、思い出が沢山こぼれています。でも、それらの思い出の中の私は、いつも手の届かない物を追い、少し僻んでいる可愛げのない女の子です。

美しさと才能を抱いて、神様から選ばれたような「安井かずみ」の名前をふと口にしたとたん、東京タワーの望む飯倉の街の夜景が一舜でよみがえった。

あの頃の唄におぼれたい。














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