田中真紀子文相

札幌保健医療大学など3大学が来春開校することになっていたが、田中真紀子文部科学大臣の「ツルの一声」によって、これがキャンセルされた(2日)、と思われたのだが、その直後、この「ツル」は再び一声をあげて「もう一度考え直す」と言明(6日)。こういうことを昔「朝令暮改」と言っていた。 . . . 本文を読む
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アイヌ民族博物館(ポロトコタン)

今日、ウチの高校生全員、課外学習ということで白老にあるアイヌ民族博物館(ポロトコタン)と苫小牧のトヨタ自動車を見学した。 . . . 本文を読む
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「不登校・高校中退」分科会。フラメンコ

今日もたくさんの学生が参加してくれた。レポートも3本あり討議が行われた。ただ昨日も記したが、不登校とか高校中退というテーマは立場によってまったく展開される中身が違う。学校の先生たちは、自己の教育的な気持ちもあって「余儀なく不登校に陥ったこどもがでた失敗・反省・後悔」を口にする。しかし親たちは、子どもの不登校のきっかけにもよるが、自分の子どもの自立へのステップとしてとらえる。私などもどういう側面が強い。今日も高校の先生のレポートが中退をさせた子どもへの取組を「失敗」と総括されていた。 . . . 本文を読む
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合同教研集会「不登校」分科会

例年開催されている合同教育研究集会は今年も「かでる27」で開催された。明日も行われる。私は今回も「不登校・高校中退」分科会の共同研究者の1人。30人近い分科会参加者があり、これまでにない多数という印象である。ただ10人以上が大学生だった。女子学生が多いことが印象的である。「不登校問題について情報を得たいこととこの問題について学校現場がどう関わっているかについて知りたい」といった意見だった。 . . . 本文を読む
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石原新党

石原慎太郎氏が東京都知事をやめて新党を立ち上げることを決めた。この党は、自民民主よりも右よりだ。「維新」と合流するとかその他の右派傾向の党とも合流しそうだ。 . . . 本文を読む
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教育人間塾

久しぶりに「教育人間塾」に参加。今回は「教師論」がテーマ。この種の議論に参加したのははるか遠い昔のことだったように思う。主宰者の村山紀昭さんが整理してくれた資料を提供された。「授業力に焦点を置いた修士レベル化」。終始、皆さんの話を聞いて時間が過ぎた。 . . . 本文を読む
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クライマックスシリーズ

パシフイックリーグは日ハムが優勝し、セントラルリーグは巨人。だから日本一を争うのはこのふたつのチームでいいのではないかと思うのだが、それぞれのリーグでは、あらためて優勝決定戦を行う。これをクライマックスシリーズという。 . . . 本文を読む
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沖縄言葉を使うと首に「方言札」をかける!

先日、北大教育学部の同窓会に行ったときに出会った准教授の近藤健一郎さん(教育史研究)から研究論文の抜き刷りを送ってもらった。近藤さんの論文は「学校記念誌にみる近代沖縄における方言札」である。沖縄が、1872年以降日本国への帰属措置の「琉球処分」は知られているのだが、この具体的内容はあまり知られていない。というより私自身教科書にあるような「琉球の清国への朝貢を禁止し、1879(明治12)年には琉球藩を廃止して沖縄県を設置した」程度のことしか知識がなかった。そして沖縄修学旅行の事前学習と指導で前記のことと同時に「ひめゆり」に代表される沖縄戦争を勉強させることだった。 . . . 本文を読む
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虚偽だった「iPS心筋移植」

読売新聞が大々的に報道している。「iPS心筋移植」はウソだったと。この中心人物の森口さんという人はアメリカハーバード大学客員教授でもなく、医師ですらなかった。この森口氏から「取材」を持ちかけられた(9月19日)読売新聞は、「ウソを見抜く可能性があったにも関わらず」この11日にiPS心筋移植 「iPS実用化へ加速」の見出しの記事を掲載した。 . . . 本文を読む
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絆(きずな)のインフレ

特に「3.11」を契機にしてだろうが、「絆」がいつも言葉になっている。ことあるごとに「絆」が叫ばれる。いわば絆のインフレだ。絆というのは、人と人とのつながりを意味するのだが、特に最近は「絆」の必要性が言われるのだから、人と人とのつながりが欠落している状態をなげきつつこれを復活させたいという願いが込められて言われるのではないか。 . . . 本文を読む
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