「学力」というものを、暗黙の理解として「測定できる学力」すなわち点数として評価できる部分としていわれる。ある人(岸本裕史氏)はこれを「見える学力」といい、A学力(志水宏吉氏「学力育てる」)といったりする。そして「見えない学力」とか、思考・判断・表現のB学力、意欲・関心・態度のC学力などと区分する。 . . . 本文を読む
戦後の日本の教育史は、声高に叫ばれる学力論の特徴によって区分されてもよいといえる。一昨日記したように、学力問題ほど誰でも語ることができ、また反論できるテーマはない。何よりも今の教育・学校を厳しく批判できるのである。だからマスコミを巻き込み大きな学校教育批判の波をつくる。そこでは、「学力」をどうとらえるかなどは一部学者に任せて、それぞれが自由な「学力観」をもって議論する。 . . . 本文を読む
この数十年間、学力に関して云々されたことをメモってみる。
2000年前後に「分数ができない大学生」が発刊された(東京経済新報社)。このころ、あいついで大学生の学力低下が叫ばれていた。そしてさらに「ゆとり教育は学力低下をもたらす」と「ゆとり教育」は02年から始まる(学習指導要領)のだが、その前からこういうことが言われ出した。 . . . 本文を読む
この世論調査の質問はどういうようになされたか。
まずQ1で「小6と中3の全国学力テストで北海道は全国平均を下回り、小6では全国最下位の科目もあったが、知っていたか」、Q2はこのことを「問題と思うか、またはとくに問題はないと思うか」、Q3は「学力が低い原因はどこにあるか。いくつでも選ぶこと」(子ども本人、家庭、教師、校長、教育委員会、教職員組合、その他)、などである。 . . . 本文を読む
読売新聞が道民に対する「教育問題世論調査」を行った。これについての記事が、1月12日から計5回にわたって大きく掲載されている。これは教育問題をテーマとしたかなり大がかりな調査で同紙の熱意が感じられる。大タイトルは「検証・北海道の教育」である。 . . . 本文を読む
特定の野球人をとりあげるなど、我ながら妙な違和感をもつのだが、この人についてはいろいろな思いがある。
私も、北海道のほとんどの「野球ファン」と同じくジャイアンツファンだった。ところが、忘れもしない1978年秋のいわゆる江川問題をきっかけにしてアンチジャイアンツの一人になった。 . . . 本文を読む
今朝未明からの降雪だった。朝は大雪で久しぶりで除雪に精を出すことになった。久しぶりで北海道らしい雪(パウダースノー?)。 . . . 本文を読む
「オルタナティブ教育法案」の骨子はこれまでに記したとおりである。フリースクール全国ネットワークはこれから約1か月かけて内部討議をし、必要な修正補強をして「フリースクール環境整備推進議員連盟」と議論をしながら一般に問題提起し、正式な法律案として国会審議をめざす。 . . . 本文を読む
次に「オルタナティブ教育法案」は、オルタナティブ教育機関をどこがどのように認定するか、について若干説明しておく。いうまでもなく、これまでのインフォーマルなフリースクールなどを「公的な地位」にまで高め、これを現在の「学校」と同じ意義をもたせるわけだから、認可基準がはっきりされるべきであろう。 . . . 本文を読む
では「オルタナティブ教育法案」は、オルタナティブ教育機関をどのように定義するか。
「この法律で言うオルタナティブ教育機関とは、学校教育法に定める学校以外の『普通教育』を実施する学習の場として認定されたもの」で、二つを言う。 . . . 本文を読む