先日、とっても素敵な女性と出会いました。
彼女は10年間に3度の流産を経験されていました。
気がつけば、私が流産してからもう三年がたちます。
当初は考えると涙が溢れるので、
とにかく早く忘れようとしていたと思います。
3月3日(出産予定日でした。)になると去年位までは「お誕生日になってたかもしれないんだよな。」
と思っていたような気がします。
でも流産の話は誰ともちゃんとしませんでした。
話してもどうせわかってもらえない…
励まされても涙が溢れるし…
心配かけるだけだし…
そうやって、流産を経験している母や姉にもそんな話はほとんどしませんでした。
流産してから初めて、人と流産の時の話をしました。
その方と別れた後、ふと思ったんです。
「あんなに素敵な女性でも流産を経験されているんだな…。」って。
自分で… ん?どういう意味?って思い直しました。
あんなに素敵な女性でもって
初めて気が付いたんです!
私は流産したことや、子どもに恵まれないことを
「自分に何かが欠けているから。」
と思っていたようです!
知らないうちにそうやって自分を傷つけていたようです。
それでも傷つかないように、流産のことを早く忘れようとしていたんですね~。
この方は三人目のお子さんを流産された時に、
そのお子さんから「何故、あなたのお腹に宿り、生まれずに消えていくのか」
そのメッセージを受け取っていらっしゃいました。
一瞬でも自分のお腹に宿ってくれたということ、
そしてこの世に生まれずに消えていくということには
やはりちゃんとした意味が存在しているようです。
私は誰かの心に寄り添う役割を担っていると(勝手に)思っているので、
流産された方の哀しみ、やるせなさ、痛みを少しでも分かち合えるための経験だったのかな?
と漠然と捉えています。
本当の理由はわかりませんが、
私がこの経験を生かさなければ
流れていったあの子に申し訳ない気がしました。
この素敵な女性との出会いは
私の気づかないうちに閉ざしていた心を解放してくれました。
引き寄せ合うように出会えた彼女との不思議な出会い。
私達の出会いを彼女はご自身のブログの中で
「我が子たちと天使や神様のはからい」
と表現されていました。
涙がにじみました。
まさに「摂理は温かい。」
そう感じました。
彼女は10年間に3度の流産を経験されていました。
気がつけば、私が流産してからもう三年がたちます。
当初は考えると涙が溢れるので、
とにかく早く忘れようとしていたと思います。
3月3日(出産予定日でした。)になると去年位までは「お誕生日になってたかもしれないんだよな。」
と思っていたような気がします。
でも流産の話は誰ともちゃんとしませんでした。
話してもどうせわかってもらえない…
励まされても涙が溢れるし…
心配かけるだけだし…
そうやって、流産を経験している母や姉にもそんな話はほとんどしませんでした。
流産してから初めて、人と流産の時の話をしました。
その方と別れた後、ふと思ったんです。
「あんなに素敵な女性でも流産を経験されているんだな…。」って。
自分で… ん?どういう意味?って思い直しました。
あんなに素敵な女性でもって
初めて気が付いたんです!
私は流産したことや、子どもに恵まれないことを
「自分に何かが欠けているから。」
と思っていたようです!
知らないうちにそうやって自分を傷つけていたようです。
それでも傷つかないように、流産のことを早く忘れようとしていたんですね~。
この方は三人目のお子さんを流産された時に、
そのお子さんから「何故、あなたのお腹に宿り、生まれずに消えていくのか」
そのメッセージを受け取っていらっしゃいました。
一瞬でも自分のお腹に宿ってくれたということ、
そしてこの世に生まれずに消えていくということには
やはりちゃんとした意味が存在しているようです。
私は誰かの心に寄り添う役割を担っていると(勝手に)思っているので、
流産された方の哀しみ、やるせなさ、痛みを少しでも分かち合えるための経験だったのかな?
と漠然と捉えています。
本当の理由はわかりませんが、
私がこの経験を生かさなければ
流れていったあの子に申し訳ない気がしました。
この素敵な女性との出会いは
私の気づかないうちに閉ざしていた心を解放してくれました。
引き寄せ合うように出会えた彼女との不思議な出会い。
私達の出会いを彼女はご自身のブログの中で
「我が子たちと天使や神様のはからい」
と表現されていました。
涙がにじみました。
まさに「摂理は温かい。」
そう感じました。