出町柳から叡山電鉄で修学院へ。
今回は念願の修学院離宮の参観許可が出たので、
なかなか足を延ばせなかったこのエリアを回ってみようかとの計画です。
何せ都の表鬼門エリア、個人趣味的にそそられる寺社がいくつかあったものです。
まずは曼殊院を目指すことにし、道を歩いていると千種忠顕の石碑…。

最近は幕末中心で、太平記あたりの人物の名前に妙な懐かしさを覚えてしまいました(^^)
何の史跡なのかも知らぬまま、思わずカメラを向けてしまいました。
さて、曼殊院に向かう途中に立ち寄ったのは鷺森神社。

ご祭神は素盞嗚尊など。
創建は9世紀頃で、もともとは赤山禅院付近に祀られていたものが応仁の乱後に、
現在の修学院離宮付近に、その後その造営の為に現在の場所に遷座したそうです。
修学院離宮の入り口、つまり赤山禅院への参道の付近に、
「鷺森神社御旅所」という石碑があり、赤山禅院と神社とのかつてのつながりを感じさせます。

平日ともあって、このエリアに参拝の人の姿は見えず…
いつものことながら、相変わらずの孤独な1人歴史部…。
参拝には適しているのですが、何にせよ、ちょっと怖かったな、今回…。

うっそうとした森の中の、古い神社。
梅雨の晴れ間とはいえ、森の中は暗いし。
つい最近、入江敦彦さんの「怖いこわい京都」を読んだばかりなので、こういう森が怖かった…。
お参りをして、曼殊院へと抜ける林の小道を抜けると、やっと人家と車道が。
ちなみにこのあたりは「きらら坂」、叡山への上り口です。
北方謙三さんの太平記や、香西かおりさんの歌でよく雲母坂は出てきたのですが、
ようやくその場に立つことができました。
今回は念願の修学院離宮の参観許可が出たので、
なかなか足を延ばせなかったこのエリアを回ってみようかとの計画です。
何せ都の表鬼門エリア、個人趣味的にそそられる寺社がいくつかあったものです。
まずは曼殊院を目指すことにし、道を歩いていると千種忠顕の石碑…。

最近は幕末中心で、太平記あたりの人物の名前に妙な懐かしさを覚えてしまいました(^^)
何の史跡なのかも知らぬまま、思わずカメラを向けてしまいました。
さて、曼殊院に向かう途中に立ち寄ったのは鷺森神社。

ご祭神は素盞嗚尊など。
創建は9世紀頃で、もともとは赤山禅院付近に祀られていたものが応仁の乱後に、
現在の修学院離宮付近に、その後その造営の為に現在の場所に遷座したそうです。
修学院離宮の入り口、つまり赤山禅院への参道の付近に、
「鷺森神社御旅所」という石碑があり、赤山禅院と神社とのかつてのつながりを感じさせます。

平日ともあって、このエリアに参拝の人の姿は見えず…
いつものことながら、相変わらずの孤独な1人歴史部…。
参拝には適しているのですが、何にせよ、ちょっと怖かったな、今回…。

うっそうとした森の中の、古い神社。
梅雨の晴れ間とはいえ、森の中は暗いし。
つい最近、入江敦彦さんの「怖いこわい京都」を読んだばかりなので、こういう森が怖かった…。
お参りをして、曼殊院へと抜ける林の小道を抜けると、やっと人家と車道が。
ちなみにこのあたりは「きらら坂」、叡山への上り口です。
北方謙三さんの太平記や、香西かおりさんの歌でよく雲母坂は出てきたのですが、
ようやくその場に立つことができました。