「救世観音像 封印の謎」
図書館に行った時に、古代史の書棚でひときわ目立っていました。
法隆寺、夢殿、救世観音像 … 惹かれるキーワードです。
これまで読んできたその手の本では、明治17年にフェノロサと岡倉天心によって、封印が解かれるまで、救世観音は夢殿の厨子の中に、白布で巻かれて祟りをなす秘仏とされてきました。
いつ作られ、いつ誰が封印したかも分からない…法隆寺自体、資料に乏しく、火災後の再建、非再建論など議論に事欠い謎の多い寺院。
そもそも、斑鳩寺を創建した聖徳太子が実在しなかったのでは…とまで言われる謎の人物なのだから、いろんな仮説や伝説が生まれるのも無理はありません。
どちらかというと、梅沢猛先生の「隠された十字架」を読んで以降、聖徳太子、山背大兄王子の鎮魂の寺、聖徳太子を模した救世観音像は、怨霊信仰に基づいて封印された説がわりと浸透しているように思いましたが、今回の本をよみ、視野が開けた気がしました。
そもそも、モデルは本当に聖徳太子だったのかと…。
造物年代検証からはじまります。聖徳太子信仰によって、後世に造られたといわれればそれまでですが、それでは封印の意味がわかりません。
長い歴史の中で、移り変わる時代と権力保持者の中、ずっと法隆寺がそこにあった、と考えると、なるほどと思えることばかりが、この本。
忘れてはいけないのが、東院伽藍にある「百済観音」の存在。
「救世観音」とは、対照的な仏像です。
百済観音→水、月、百済
救世観音→火、日、唐、新羅
光背の形や、作成様式などからもたらされるこの対比。
蘇我氏、物部氏の対立と、当時の国際情勢(大陸からの侵略)、それに直接関わる九州の蘇我、物部系豪族、それらの血の入った朝廷内の権力構想、それから最後は藤原道長の法隆寺参拝にまで繋がり、最終封印にいたる、という、長い歴史の中での過程があったことが、丁寧に語られる本です。
そう思うと、また、違った目線で法隆寺を訪れることができそうです。