石山寺から京都市内に戻り、鳥獣戯画を見るべく国立博物館に行きましたがすごい混雑ぶりだったので、次の目的地である青蓮院に向かいました。
青蓮院では、今年、飛地境内である東山の将軍塚に青龍殿が出来、そこでただいま国宝の青不動を公開しているので、行ってきました。
将軍塚は、桓武天皇の平安遷都の際、都の鎮護のために、都の東…青龍が護る東山の山頂に、甲冑を付けた大きな将軍の像を埋めたという塚です。京都市内を一望できる絶景スポットです。
常々、京都を山から攻めてきた私としても(1年前は阿弥陀ヶ峰と狸谷山不動院にお参りしました)
行ってみたい地だったので、今回は青蓮院からシャトルバス(片道百円)もあり、またとない好機でした(*^^*)
青蓮院に着くと、青蓮院&青龍殿、シャトルバスのセットになったチケットがあったのでそれをゲットし、ちょうどバスが出るというので、先に青龍殿に向かいました。(バスは30分に1本)
バスもなんと大型バス!
青龍殿の落慶と今回のご開帳にかける意気込みが感じられます。
バスは蹴上から山道に入り、一気に山の上にのぼります。
バスを降りたらまだ新しいお庭と、京都市内を背景に青龍殿が。
青龍殿は、大正時代に大正天皇の即位を記念して建立された総ヒノキ造りの「平安道場」を解体・移築し、後ろに内陣と青不動を安置する奥殿を増築したもの。
山の上とは思えない、巨大木造建築です。
かつ見晴台の舞台を造った大がかりなもの。
青龍殿でまずは青不動にお参りしました。
内部は広々として、ちょうど門主さまのお話と護摩祈願に参加することができました。
もちろん祈願内容はK君が回復してご飯を早く食べられるようになること。小さい護摩木にしっかりと書きました!
門主さんのお話、とても勉強になりました。
要約するとこんな感じ。
青不動が、千年の時を経て、今もこうして拝めることの奇跡。
つまり、今のように大量生産、使い捨てではない時代に、手間をかけた岩を砕いた顔料を使って、たった1枚を大切に大切に描いたこと。
現在の絵の具だったら、もうとっくに退色してしまっているでしょう。
たくさんの思いのこもった大切な1枚だからこそ、今も存在しているんです。
北野天満宮付近にあった、平安道場を移築し青龍殿としたのも、貴重な建造物を大事にしたいから。
この巨大な木造建築を移築するのは、行政とのかなりのやりとりがあったようです。
改めて、現在当たり前の、大量生産、使い捨て、ものが溢れる世の中で、ものの価値…というか、ものを大切にする気持ちをみんな忘れてしまっているのを悲しく思いました。
それから、青不動に対する思い。
今回は3年間の修復を終えて初公開なのですが、私は以前修復前に、青蓮院にて国宝青不動のご開帳に行っています。
その時は、やはり国宝ということもあって、奥まったお部屋で薄暗い照明のもと、お参りした記憶があります。
今回の青龍殿では、増築された内陣の明るさの中で、しかもその正面で護摩が焚けるのです。
何でも、青不動の前には、一見分かりませんがガラスが入っていて、温度や湿度管理もバッチリ。
災害やセキュリティ的にも完璧な安置所がこの後ろにあるそうなんですね。
以前のままでは、生身の国宝の前でまさか火などたけるはずもなく…門主さまは、青不動の前で護摩祈願を行うのが悲願だったそうです。
それが努力の末にようやく叶ったわけなんですね。
それに参加できるなんて、なんか感無量。
門主さま、自分の願いではなく、人のために願ってくださいっておっしゃっていましたが、私はもうこの数年間、ずっとK君の体のことしか祈ってないよ~。
自分中心になりがちな現在社会の中で、(サービス業してると本当に実感します)少なくとも私はもっと人のことも大事にしたいと思う…傲慢?
とにかく、この青龍殿は本当に今の私にとって今が行くべき時だったんじゃないかなって思いました。
励まされました。