《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京よもやま話「平城京の読み方」

2010年03月16日 | Weblog
「平城京よもやま話」と題した、奈良埋葬文化財センター所長の話を聞く機会があった。その時の話を主に取り上げてみたい。いま「へいじょうきょう」と読んでいるが、当時はどのように言われていたのか。漢字の読みには漢音と呉音がある。「へいじょうきょう」は漢音と呉音が入り混じった読み方。 漢音で読むと「へいぜいきゅう、へいぜいけい」 呉音で読むと「ひょうじょうぐ、ひょうじょうきょう」となる。漢音は八世紀頃からの読み方であるからそれ以前の奈良時代は「へいぜいけい」と読んでいたのではないか?と考えられる。藤原時代の遣唐使などのハイカラさんは呉音の「ひょうじょうきょう」と読んでいただろうが 一般的には「ならのみやこ」と呼んでいたと思われる。
(今日の歴史=760年万年通宝・太平元宝・開基勝宝を鋳造)