《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

割り込み旅メモ「法隆寺・若草伽藍瓦」

2011年04月19日 | Weblog
推古天皇と聖徳太子が用明天皇の遺志を継いで立てたとされる法隆寺だが、その後火災で焼失し再建されたと日本書紀に記されていた。しかし明治時代にこの記事を疑問視する論争が起こる。昭和なって発掘された結果焼けた瓦が出土し、一つの区切りをつけたのが、若草伽藍跡から出土した瓦。そのレプリカの拓本を採らせてもらった。