宇治田原探索「妙楽寺の句碑」 2012年08月14日 | Weblog 「与謝蕪村は1783年に宇治田原を訪れ松茸狩をして、帰京後その時の様子を「宇治行」にまとめた。礼状と共に直筆の「宇治行」を送っており、大正15年境内に句碑が建立された。世に知られている「宇治行」に収録されているものとは異文と成っています」とある。常々思うのだが達筆はいらない、読める文字が欲しい。誰のために「崩し文字」の句碑はあるのか?少なくとも小生にはとうてい読むことができない。いずこも設置者側の「一方通行」であることが多い。