「電池切れの場合があるので、声を出して呼んでくれ」という事がわざわざ書いてある。電池の持ちが悪いチャイムなのか?だとしたら最初からこのチャイムはいらないと思う。しかしお住まいの方はご高齢なのだろうか、心遣いが感じられる、棟続き住宅の中程の一つの玄関。
奈良市埋蔵文化財調査センター所長から頂いた、高田十郎「奈良百題」から引用を交え長々と書いた。ここには25円と云う話は出てこなかった。しかし発端が25円の五重塔だったから、改めて司馬遼太郎著「街道をゆく・近江散歩/奈良散歩」を読み返してみた。奈良散歩の「五重塔」に2度にわたって「25円」が書かれている。また司馬遼太郎はこの塔に対して「この塔は遠望すれば奈良風景に欠かせぬアクセントになっているが、造形的には、奈良に残る様々な古塔にくらべて、優美の点でやや欠ける…」しかし最後にこうも言っている「…私はこの塔の重すぎる感じも捨てがたいと思っている。猿沢池を隔て、水を近景として、向こうの大地を見たとき、ずっしりとまわりをおさえこんでいるのはこの塔である。…この塔で良いんだ。私は塔の精霊のために、ふりかえってそういった」とある。この塔を残してくれた先人たちに「有難う」。(完)
買って、一儲けをたくらんだ人、日本屈指の名塔を守った人。売値が35円から75円と幅があり当時としては相当金額だったのだろう。明治の初年に売り出されたことは確かだ。しかし買った人の考えが間違っていた。火をつけて燃やしてしまおうなんてもってのほか。それを止めたのも奈良の人。その人たちに感謝をしなくてはならない。
別の話もある。買い手はわからないが、焼却すれば火の粉が飛び散って危険という事で人々が騒ぎ始める。中御門胤慶と云う人が心配して、京に上り前興福寺一乗院門跡・奠應親王へ訴えて差し止めを願った。結果「焼くことは相ならぬ。取り壊すのは勝手だが、三日三夜を限りのこと」と買い手に命ぜられた。当然三日三晩ではできないので買主は中止をした。と云う話もある。
「塔の焼却」について異説が出てきたらしい。「五重塔の買い手は『魚定』および『押重』という二人の小道具屋。また焼却の止め手については、塔の下に『浅香亭』いう料理屋があった。そこの主人は勇み肌の男で、手前の物を焼くのは勝手だが、俺の屋根へ火の粉一つでも落ちてきた日にはそれ相当の考えがあろうナ、と開き直られ両人は中止した。明治5年ごろの話で、浅香亭はその後明治12,3年頃まであた」という話もある。