「焼却を止めたのは、奈良の土木請負業・尾田利吉翁。瓦師・又一翁と半六、かねまの興福寺ご出入の作事方の四天王だった」とある。尾田利吉はいま、奈良の神社仏閣の修復などをされている「尾田組」だったという話もあるが定かではない。
五重塔の西側には三重塔がある。じつはこの三重塔も30円で売れることになっていた。敷地は永代借用の約束だった。ただし当時の30円は相当な大金、買い手が兄に融通を求めたところ「物好きにもほどがある」と一蹴されあきらめている。
日本屈指の名塔が、明治初年、廃仏毀釈令によりただの「五十円」で売れたという事実がある。買い手の目的は九輪の銅だった。塔を壊して銅を取ろうとしたが、費用倒れで引き合わないことに気づく。それでは燃やして金物を拾うことにしたが、危険だと苦情が出て破談になった。明治40年代に聞いた話で50円だとか35円だとか、また75円にのぼったりもして、いずれにしても嘘のように安い。
5月2日に「興福寺の五重塔が25円で売り出された」と書いたら、翌日ご指摘をいただいた。いまおもうといい加減な自分の知識に反省している。その後資料までいただいた。しばらく、昭和17年・高田十郎「奈良百題・五十円の五重塔」より抜粋することにする。