《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「ずらりと並んだ釣燈籠」

2018年05月17日 | Weblog

回廊に下がる釣燈籠は約1300基を数える。
中でも多いのは伊勢・津藩主藤堂家の釣燈籠は
毎年正月に一基奉納するのを慣例としたらしい。
釣燈籠の名物燈籠には神前形、鬼形、蝉、御験記(おんげんき)、
瑠璃があり宝物殿に収納されている。
また、室町時代の絵師狩野派の祖・狩野正信の子・狩野元信の画と伝える
六角菊牡丹の粉地彩色が施された朱塗りの銘がある
長六角形の木製釣燈籠も古くから有名。

今日の暦:明治3(1870)年、屯田兵が初めて札幌に入植する。


今昔奈良名所「春日大社の名老木・藤」

2018年05月16日 | Weblog

南門をくぐった正面にある建物は、
一見拝殿と勘違いそうだが、
東側2間は幣殿、西側3間は舞殿。
奥はリンゴの庭でリンゴの木が植わっている。
また、社紋が下がり藤である春日大社では
至るところで藤の花が楽しめるが、
なかでも必見なのが慶賀門内にある棚作りの藤。
近衛家からの献木と伝えられ
『春日権現験記』にも書かれている樹齢700年以上の老木で、
花房が1m以上にも延び、地面にまで届くことから
「砂ずりの藤」と呼ばれる、野田藤の変種とされる。

今日の暦:明治22(1889)年、帝国博物館を東京、京都、奈良に設置。


今昔奈良名所「昨年は造替が終わった」

2018年05月15日 | Weblog

今年、平成30年は創建1250年とか。
創立:神護景雲2年(768年)11月9日鎌倉初期に書かれた
現存最古の由緒記『古社記』には、四所神殿の創建を奈良時代、
称徳天皇の神護景雲2年(768年)11月9日とされています。
藤原永手が左大臣として 活躍した時代でした。
第一殿武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿経津主命(ふつぬしのみこと)、
第三殿天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿比売神(ひめがみ)。
回廊内東には徳川家の「葵紋」と桂昌院の実家の「紋」を付けた桂昌院寄進の銅燈籠、
先祖が大和出身で徳川家に仕え、大和代官も務めた大久保長安の釣り燈籠もある。

今日の暦:昭和7(1932)年、5・15事件が起こり、犬養首相が暗殺される。


今昔奈良名所「見えることに感謝の約18㍍」

2018年05月14日 | Weblog

南門前にある陽向石は「額石」とも呼ばれ、雷で砕けた南門の
「正一位春日大明神」と云う額をここに収めたとも言われる。
また太古の昔神様の憑代として祀られた「磐座」あるいは「若宮御祭神」が
ここより現れたと言われる「出現石」など諸説ある「神石」。
境内には「磐座」があちこちにあり踏んではいけない石の一つなので柵で囲っている。
「さぐり石」から約18㍍、目をつむって歩くのはなかなか難しい。

今日の暦:昭和46(1971)年、名横綱大鵬が引退。


今昔奈良名所「願いが叶うかお試しあれっ」

2018年05月11日 | Weblog

布生橋の北側に頭を出す「さぐり石」。
南北朝時代にこの地に大穴が空き、
石を縄で結い大般若経を納めて埋めたとされる。
おん祭りの遷御の際、神官がこの石を足でさぐり、
曲がり角を知ると言った俗説もあり、
南門前の柵で囲まれた「陽向石(ようこういし)」から
目を閉じてこの石を探り当てれば願いが叶うという。

今日の暦:明治7(1874)年、大阪-神戸間の鉄道が開通。