《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「奈良の宝物を大事にした奈良奉行」

2018年05月10日 | Weblog

南門と若宮を結ぶ御間道に掛かる朱塗り高欄の木橋「布生橋(ふしょうのはし)」。
興福寺七堂遥拝の地とされ、造替時には本殿と共に架け替えられ
「ありがたや布施の橋をうち渡り手向けの神楽聞くぞ嬉しき」と云う歌が伝わる。
橋の南詰めに第33代奈良奉行・梶野良材、天保8(1837)年寄進・石工嗽楽の石燈籠がある。
この辺りには奈良奉行が寄進した燈籠が10基集中しているが、
参道には奈良奉行43人のうち18人の寄進燈籠が確認できる。
梶野良材は正倉院を修理、宝物の点検を監督し「正倉院文書」を45巻に整理させた。
この天保年間の修理があって今の宝物は現在まで伝わっといえる。

今日の暦:明治4(1871)年、円・銭・厘の10進法による新貨条例を定める。


 


今昔奈良名所「修道士も驚いた御間道」

2018年05月08日 | Weblog

本社南門と若宮を繋ぐ約100㍍の参道・御間道(おあいみち)。
左右に約300基の「御間燈籠」が並ぶ。
もっとも古い御間燈籠は元享3(1323)年奉納のものが宝物殿にある。
永禄8(1565)年、奈良を訪れた修道士の手紙がルイス・フロイスの「日本史」に収められおり、
それによると「御間道で見られる御間燈籠の火袋は漆で黒く塗られ鍍金した真鍮の枠がはめられて、
豪華な透かし細工や浮彫の飾りが付いていた…」とあり、
さぞ参拝者は驚いたことだろう。

今日の暦:元和1(1615)年、大坂城落城し、大坂夏の陣が終わる。


今昔奈良名所「パワースポットの若宮大楠」

2018年05月07日 | Weblog

若宮北側にある楠に多くの人が留まる。
地上2㍍で三本に分岐しているが、三本の木が癒着した可能性もある。
樹齢約1400年、神功皇后のお手植えとされている。
楠の下に在銘最古の鎌倉後期元享3(1323)年の、
笠は軒口に桧皮葺一段の石燈籠があったが昭和50年に宝物殿に移設された。

今日の暦:昭和20(1945)年ドイツが連合国に無条件降伏を行う。


今昔奈良名所「咲けば八房藤だが…」

2018年05月06日 | Weblog

森下惠介著「今昔奈良名所」に戻る。
春日大社・若宮神社本殿北側のナギの幹に、
蜘蛛の糸が絡んでいるようにしか見えないシーズンオフ冬の藤。
古くから、「八房藤」または「八ツ藤」と呼ばれている。
この名は太いツルが八つに分かれているためとも、
花が八重であるので八重藤から転じたとも伝えられている。
他のフジよりも開花が一週間程遅い。文明元年(1469)の記録が残り、
樹齢は五百年以上と考えられる。宝永年間(1704~1711)に結成された
「春日八ツ藤講」の由来ともなった由緒ある藤。
右下は過去の5月初旬の「八房藤」。

今日の暦:昭和32(1957)年、東海村の原子力発電炉第一号が完成。


ちょこっと造幣局通り抜け「30分のクルージング」

2018年05月02日 | Weblog

八軒屋浜からの観光クルーズは、水上バスや外輪船を模した船などは予約客のみ。
今回タイミングよく乗れた小型のクルージング船はこの通り抜け時期のみ、
1ヶ月間だけ運航しているとか。それ以外の時期は別の仕事に使っているとかで、
床をよく見ると大きな「ボルト」跡があちこちに。
「源八橋」手前で船はUターン。大川を造幣局側を進むと花見物が我々に向かって手を振る、
またこちらも手を振り何故か不思議と親近感が湧く。
船が停船しガイドが指さす先には大阪のシンボルの一つ大阪城天守が…。
30分のクルージングは終わった。(完)

今日の暦:昭和27(1952)年、世界初のジェット旅客機(コメット)が英国で就航。