韓国に赴任がきまって一息ついた頃。韓国をおおよそ一周してみようかと思った。
その頃は彼女もいなく完全に一人旅。「宮南池」、今は立派に整備されているが、当時はただのため池にくさった橋が架かっているだけだった。GDPは日本の5%、賃金は一部を除いて1/30だった。
さらにいうと、GDP5%の1/5が国家予算だとすると、なんと予算は1%。1%の予算の40%は軍事費。歴史文化にカネをかけるゆとりは絶対無い。
「宮南池」と称していても観光用にレプリカを作っただけだ。遺物が出たとかいうがここは百済の首都。掘ればどこでも出る。
武寧王陵は発見されたばかりで立ち入り禁止だったが、掃除をするという名目で近くで見ることが出来た。燭台のすすが残っていたので少し感激した。
整備前の「宮南池」に行こうと畑のあぜを通っていたら、向こうから人が来たのでよけようとしたがあぜ道は細くてコケてしまった。その人たちが田んぼから救い上げてくれたが、どうも僕の韓国語がおかしかったらしい。後で大変なことになる。
日本人の韓国語は北朝鮮の言葉と似ている。尾行がついているとも知らず、宿に帰ってシャワーを浴びていたら、警察が踏み込んだ。一番抵抗できないときを狙った。多少すったもんだはあったが、日本の旅券はありがたい。
当時は韓国語もあまりできず、田舎の孤独な牢獄で北のスパイは退屈な日々をすごすことになりかけた。
今は昔。